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臭いものに蓋をする

最近ぼちぼち関わっていたインターネットの最果てのようなコミュニティが10周年を迎え、そちらで物書きをすることが多かったので勢いで書き殴ってみようと思う。

人間はアウトプットの一貫性に欠ける生化学的システムで、それは人間という多変数関数の1つ1つの項が三角関数のように振動するからであるという考えだけは一貫して持っている。
それは自分もそうで、二面性を上げればキリがないし、自分はどうも振幅が大きい方の人間だという感覚も常々抱えている。

自分を社会不適合者だと自覚しながらも日本で一番大きい企業体の一つで働くことになったし、人間は社会をやめろと言いながら複数のコミュニティを維持し続け、挙句小社会を作る側の人間になったし、あるいは自分は人間でも生物でもないという自負を持ちながらも子孫を残すことへのこだわりがある。

他にも至る所で両極端が並存している、と思っている。

そんな私が若気の至りで発した言葉がある。

「ガチで優秀な人間しか地球に必要ないと思う。 これ厨二病とか関係ないだろ」

10年ほど前、小学生だか中学生だかの頃に心の底から思っていたことだ。今考えると究極の資本主義であり、それは最も嫌いな類である。なぜなら今は友人からお前は社会主義者だと言われるほど徹底した功利主義者であるからだ。

だが、その主張もまた選民的であることは否めない。今の考えはこうだ。

「一定の技術進歩を前提としてユニバーサルベーシックインカムを導入し、働かなくても生きていける世界を作るべき」

根底にあるのは、人間は我々が思っている以上に馬鹿だという醜い差別意識であり、それは今も一貫している。しかし、成長した。そして、人間に対して期待することを諦めた。

畢竟、成長というのは様々なものを諦め、思考を停止させる営みだと考えている。私は人間や社会というものに一面ではとてつもなく期待しつつ、一面では完全な諦めを持っている。上の鉤括弧の中身はそういうものだ。

ところで、就職先は大衆向けのエンタメ系サービスを開発する企業であり、まさにその諦めた大衆が潜在的な顧客である。5年、10年と経って自分の企画が通せるような立場になった時、できるだけ多くの人に楽しみを提供できるようなプラットフォームを作る、それがキャリアを通して1つ実現したい目標である。というのも、働かなくても生きていける世界で自分が諦めた人間達に労働意欲を持って欲しくないからだ。それは私が期待している社会を改悪する営みでしかないから。

そうやって臭いものに蓋をする人生をこれからも送っていくだろう。

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