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みんなはやく無敵の人になろう

今日のトレンドに「無敵の人」というワードが上がっている。おそらく失うものが何もない犯罪者を差す言葉という共通認識だろうから、ここでもそう定義しておく。

無敵の人になる条件はいくつか考えられる。例えば中年独身で一人暮らし、家族とも疎遠、そして給与も上がらず社会に不満を抱いている…こんな人物像はまさに無敵の人になり得るだろう。あるいは少し前から話題になっている怒れる老人たちだ。これらの無敵の人に通底しているのは、社会的に孤立しており、その状態に不満を抱いていることだ。だから別に刑務所に入ろうが今死のうが問題ではない。もちろん自分は無敵の人ではないから、的外れなのかもしれないが…

ではなぜ無敵の人が生まれるのだろうか?

結論から言えば、現代の日本社会が過渡期にあるからだろう。閉塞感とも言えるが、過渡期という方が適切な感がある。終身雇用があり、かつ年功序列の給与体系、結婚しないのは世間体が許さないから何らかの方法で大抵は結婚する…社会的に孤立した層は望んでそうしているだけ。また、身寄りのない老人でも地域の人々との交流で社会に属していた。それが従来の日本であった。

しかしテクノロジーの発展の結果豊田章男社長の「終身雇用は難しい」発言に象徴されるように日本の雇用体系は変わることを余儀なくされ、では給与が上がるのか?と思いきやそうではなく物価だけが上がりスタグフレーションと言える。そして日本は前例のない急速な少子高齢化を経験している。本来人口減少社会においては労働者の価値が上がり、また成熟社会として高付加価値の産業にシフトしていることも相まって給料が上がるのが通常であるが(北欧がいい例だ)、旧来の「楽して高い金をもらうのはおかしい※」「出る杭は打っていけ」そんな昭和の価値観が蔓延っており、雇用者側の足が重いのが現状である。(※江戸時代まで遡ると意外と日本人はあまり働いていなかったらしい)

そして近年ではSNS(特にTwitter)の普及により過度な可視化がなされ、ジョージ・オーウェルの1984年のような、そんなディストピア的な世界が今まさに実現している。また「多様性」「男女平等」といった言葉の元にわけのわからない言説がよくバズっている。寛容・安心を目指すべき成熟社会で逆に選民的あるいは不安を煽るような発言ばかり目立つ印象がある。世界的に見てもポピュリズムが蔓延し、労働が必要ない時代が訪れたとしたら指針にすべきは古代ギリシャ・ローマだと考えているがどうやらそれらが崩壊した後の衆愚政治を先に教訓とした方がいいようだ。

これらの現状を招いているのは日本社会の価値観が生活水準の飽和に対応できるようにアップデートできていないからだ。昭和的価値観で令和の時代を生きようとしたらそりゃ生きづらいわって話で。そしてそんなような現状の結果(特に金の面での不安だと思うが)余裕のない人が生まれ、原因を社会だとして、じゃあそんな社会に頼っても無駄だと信じた結果無敵の人が生まれるのではないだろうか。

そんなわけでみんな社会を信じずに無敵の人になろう。別に犯罪者になろうと言っているわけではなく、自分が生きやすいと思えるコミュニティに身を置く、それは趣味でも仕事でも地域でもいい。絶望に苛まれているときにキラキラしている人たちを見るから心が壊れる、じゃあ最初からシャットアウトしてしまえばいい。自分が敵だと思っているSNSも武器にすればよい。能動的に動いていけばコミュニティはいくらでも作れる。それすらできないならひとりで死ね。もちろん偏狭なコミュニティにしか身を置けなくなったら目が潰れて勝手に死ぬので、それはやめておくべきだが…

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