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蕎麦に何を求めるのか

「蕎麦」というのはややこしい。
タデ科の一年草である植物そのものも蕎麦だし、その実を製粉して、紐状に伸ばして茹でた料理も蕎麦と呼ぶ。
小麦とうどんの区別がないのと同じなので、蕎麦と蕎麦切りで言い分けたほうが誤解がなくて良いのではないか?と僕は感じている。

その、蕎麦切りの話だ。
自称蕎麦好きは多いが、そういう人に限って「蕎麦は新蕎麦に限る」とか、どこかで聞きかじったことを言う。
本当に蕎麦は新蕎麦が旨いのか、通年食べ比べて検証したことがあるのか。
同じく挽き立て、打ち立て、茹で立ての「三立て」でなければダメだという話も聞くが、自分の経験として理解した上で、述べているのか。
蕎麦は手打ちでなくちゃ!と言うが「一茶庵」の片倉康男さんが手打ちを再興させるまで、機械切りのほうが上等とされていた歴史を理解して語っているのか。

蕎麦切りは色々と誤解されている。
僕自身、まだまだ全てを理解したとは思わないが、自らが経験した範囲で確からしいことを書いてみたい。
今後、新たな経験や知見を得て変節するかもしれないが、全ての技術や学問はそうやって進歩するのだから、暫定的に結論を出す試み、ということだ。

まずはコシである。
この蕎麦切りはコシがあって旨いという人がいるが、コシとは何か。
噛み締めた時の心地良い歯応えと言い換えることができるだろう。
ただ蕎麦の場合は状況が異なる。
通常、グルテンというタンパク質が粘弾性を持つことによってコシが生まれるが、蕎麦はグルテンが含まれていない。
グルテンが含まれているのは小麦粉である。

そのため、コシがあって旨い蕎麦切りとは、その中に含まれている小麦粉のグルテンを褒めていることになる。
だったら蕎麦である必要はない。
小麦粉100%のうどんは、もっとコシがあって旨いということになる。

いや、十割蕎麦でもコシがある店があるよ!と言われるかもしれない。
正確にはそれはコシではなく、硬さだ。
蕎麦には穀物として特殊な性質があって、人間が生食できる(消化できる)のだ。
小麦粉は加熱によってデンプンがアルファ化されないと消化が難しいし、グルテンが強くならないのでコシが生まれない。
蕎麦はグルテンが含まれていないが生食できるので、しっかり茹でなければ硬いまま提供できてしまうのだ。

そしてややこしいことに、茹で足りない蕎麦切りは香りが強く出たりする。
なので茹で足りなくて硬い蕎麦切りを、奥歯で噛みつぶすようにして食べさせる店もある。

しかし、茹で足りない蕎麦はネチャついた食感があるし、穀物の甘味が出てこない。
蕎麦が穀物である以上、穀物らしい旨さが感じられることが正常だと僕は思う。

小麦粉から生成されたグルテンのコシを喜ぶのは論外だが、茹で足りなくて硬い蕎麦切りを喜ぶのも違うと思う。
つまり、蕎麦切りにコシを求めるべきではないのだ。
コシが必要なら小麦粉の麺を食べればよろしい。
蕎麦に小麦粉の魅力を求めるのは、柿にリンゴの味を求めるのと同じ。
蕎麦には蕎麦にしかない魅力を楽しむべきなのだ。

次はのど越し。
ツルリとのど越しが良い蕎麦切りを好む人も多いが、それは真に必要なのか。
例えばそうめんのようなのど越しがあれば、それは旨い蕎麦切りなのか。
ゴワゴワとのどに引っかかるような蕎麦切りは確かに困るが、そうめんのようなのど越しがほしければ、そうめんを食べればよろしい。
コシと同じ話だ。

蕎麦切りの魅力は表面の小さなザラつきが、口の中やのどの不快な粘りをこそげ落としてくれるところにある。
そして口の中には蕎麦の深い清涼感が広がるので、熱が出た後とか、雨のジメジメした日にこそ蕎麦切りが食べたくなる。
汚れを落として清涼な気分にさせてくれるのが魅力だ。
そのため、蕎麦粉の粒子を小さくすればするほど旨くなったりはしない。
粒子(メッシュと言う)を細かくすると磁器のような質感にはなるが、蕎麦切りの魅力は陶器のザラつき。
上手に打たれた粗挽きの蕎麦切りなんて、素晴らしい風味になる。

最後に鮮度である。
新蕎麦が重宝されたのは、現在のような設備がない時代。
常温で保存すると夏には高温にさらされ、劣化してしまった。
しかし、今では心ある蕎麦生産者や蕎麦店であれば、脱気して冷蔵保存した蕎麦を使っている。
昔のように劣化しないのだ。

そこで何が起こっているか。
蕎麦の熟成である。

新蕎麦の魅力は、牧草のような青い香りと蕎麦らしい薄緑色だが、逆に考えると草っぽい青臭さと言うこともできる。
これが適切に保存されると、薄緑色は消えるが、穀物らしい甘さと深みが出てくるのだ。
だから僕は新蕎麦を重視しない。
青臭いよりも、甘味と深みがあるほうが蕎麦として旨いからだ。
新蕎麦はボージョレーヌーボーみたいなものでお祭りとしてはありだろう。
しかし、良いワインは適切な期間、熟成させて飲んだ方が旨いに決まっている。
実際、不作の年の蕎麦よりも、豊作の年の蕎麦を保管したもののほうが旨い。
真のワインラバーがボージョレーヌーボーで大喜びしないようにに、真の蕎麦好きは新蕎麦を喜んだりしない。
新蕎麦を語る時点で、間違いなく初心者だ。

実は手打ち蕎麦の鉄則、挽き立て、打ち立て、茹で立ての三立ても揺らぎつつある。
挽き立てと茹で立ては真理ではないかと感じているが、打ち立てだけは違う場合がある。
一度、ある店で十割蕎麦を頼むと、前日に打ったのしかないんですが...と言うので、いいよ、それを出してとお願いしたら、驚くほど旨かったのだ。
え?ちょっと待って?何が起きた?と店主に訊くも、いやいや、打ち立てのほうが旨いですよと言うばかり。
もちろん打ち立ては旨いが、一日置いた蕎麦切りは甘さが増し、独特の風味が生まれていて、それはそれで旨かったのだ。

そこで、別の店にお願いして、前日と当日の食べ比べをさせてもらった。
前日の蕎麦切りはやはり甘味が強めに出て、全体的にマイルド。
しかし当日の蕎麦は風味が抜群に強くて、この店の場合、総合力で当日打ちのほうが旨かった。
店主曰く「もっと粗挽きの店だったら寝かせたほうが旨い場合もあると思います」とのこと。
この店の蕎麦は当日が旨かったけれど、寝かせて旨くなるには、産地、製粉、配合、打ち方などの様々な変数が関係していることがわかった。
ただ単に寝かせれば良いというものではない。
その辺りもワインと同じだ。
また店主が言うように「冷蔵するとはいえ、非加熱の蕎麦を何日も寝かせるのは衛生的にどうなんですかね?」というのはある。
一時期、手打ちが廃れて機械打ちが隆盛したのは、手打ちは不衛生だから、機械で打てというのもあった。
一日や二日なら問題ないが、それ以上寝かせるのであれば、様々な工夫が必要だろう。

まだまだ薬味問題、二八と十割の問題、優良国内産蕎麦の不足問題、茹で時間と仕上げ洗いの問題など、語ればいくらでも長くなるが、今回はここでまとめる。
初心者は蕎麦の魅力を、コシ3、のど越し3、鮮度3、その他1の割合で考えている。
しかし、真の蕎麦好きは、蕎麦という穀物の可能性がどれだけ花開いているかを総合的に考えている。
人事評価のチェックシートみたいに、コシ、のど越し、鮮度のそれぞれに点数をつけるのではない。
全人的に(全蕎麦的に)判断するのだ。

だから島根県の出雲蕎麦や、山形県の板蕎麦のように奥歯で噛み締める太打ちもいいと思う。
僕は出雲蕎麦の釜揚げが大好きだ。
蕎麦切りだけじゃなく、蕎麦掻きもいいと思う。
冷たい蕎麦切りだけじゃなく、花巻や玉子とじのような種物もいいと思う。
そして何より、蕎麦という穀物の新たな魅力が引き出された料理は最高と思う。

真の蕎麦好きは、蕎麦という穀物そのものが好きなのだ。
良いワサビを使っていて旨いとか、ツユが辛口で旨いとか、それらは全て付随物だ。
その料理は、蕎麦という穀物の魅力を十分に体現しているか。
あらゆる角度から考察して楽しむことができる者こそ、真の蕎麦好きなのだ。

最後に、広島市内で旨い蕎麦切りを出す店を紹介する。
誰もが蕎麦の味をわかる必要はないけれど、わかるようになりたいならば、これらの店を基準に感覚を磨くと良いだろう。

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