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「好きな事を仕事にしよう」という考えが嫌い。

どうも、シンガポール在住、底辺現地採用のXin(しん)です。

だれもが理想に描く生き方として、よく「好きな事を仕事にする」という考えがあります。

義務教育で基礎を学び、興味のある分野をみつけ、高専や大学で其の分野を専門的に勉強する。そして学んだことを活かせる仕事について、社会に貢献する、という生き方。

聞こえは美しいですが、自分はこの考え方が好きになれないです。今回は、その理由を説明します。

理想のみを追うと経済的に困窮するかもしれない

たとえば、興味のある分野が「歴史」「文化」「言語」などの文系科目。いかにも金にならなさそうな分野で、大学院まで出たとします。

その場合は、学んだことが最大限活かせる将来の職業は「学者(大学教員)」くらい。しかし雇い先の大学はどこも少子化により経営難ですよね。

結果として、専門的に学んだ事を後輩たちに伝えたいという動機で、大学非常勤講師をしている人もいると思いますが、彼らの給料は安い。

口コミや厚生労働省の労働白書を参考を基に年収データを公開している「給料BANK」によれば、非常勤講師の年収は「214万円~277万円」とのこと。社会的意義は高い職業ですが、高等教育まで受けた人の努力に見合う給料じゃないです。

実績も力もある講師を正式に雇って十分な給料を払ってあげたい、と思う学長もいると思いますが、少子化による財政難はどうしようもない。

大学院まで出た本人も、高等教育まで受けたプライドがあるので、どこかの機関が雇ってくれて給料をくれるはず…という考えがあるのなら、それは甘いです。

「じゃあ必要なのは何だったの?」という話になりますが、自分は金銭的リスクヘッジだと思っています。

仮に「歴史」「文化」「言語」などの分野が好きでも、夢を諦めてでも妥協して金回り良い業界に就職する。あるいは他の仕事をしながら好きな分野に関する本を書いて出版をして印税を稼ぐ。そんな風にリスクヘッジすれば、経済的に困窮する事態は避けられるかもしれません。

社会的立場の低い職業への当たりが厳しくなる

好きを仕事にする考えが蔓延すると、社会的立場の低い職業への当たりが厳しくなる、という事も言えます。

たとえば、興味分野が「IT」「プログラミング」「金融」「経営」など金になる分野で、好きな事を仕事にしている人もいます。そういう人は、高給で経済的に余裕のある生活をしている人が多く、キラキラしているイメージです。特に人工知能(AI)に関する分野は人材難で、今の日本でなら給与交渉の余地は有り余るほどあるでしょう。破格の待遇で雇ってもらうこともできますし、何なら起業しても、需要があるため成功できるかもしれません。

しかし、ステータスが高くキラキラしている理想遂行者は、社会的立場の低い職業を下に見ている傾向が強いです。

この場合の低ステータス職業とは俗に言う3K(きつい・汚い・危険)と言われる職業「清掃」「介護」「建設」などの業界に従事している人のこと。なかでも低ステータスの代表的な業界は「清掃」ですよね。特に「トイレ清掃」は、誰からも見向きされない低ステータス職業の代名詞のような職業。

とはいえ、そんなトイレ清掃ですが、誰かがやらないといけない仕事である事は間違いないです。

仮に、この世の全ての人が、「好きな事を仕事にする」を実行して達成したとします。

人気のある職業。意義があり魅力がある職業。お金も稼げて楽しい職業。たとえば医者、弁護士、大学教授、スポーツ選手。最近では、Youtuber、ブロガーなども挙げられるんじゃないでしょうか。誰もが人気の職業につける社会です。

「そんなのは有り得ない」という人もいるでしょうが、極端に具体的に想像してみましう。全ての人が、理想的な職業に就くと、世界はこんな風になります。

・トイレに行っても誰も掃除してないので汚い(←トイレ清掃がいない)
・コンビニには品物がないし店員さんもいない(←コンビニスタッフがいない)
・家電が壊れたのサポートに電話をかけても繋がらない(←苦情対応係がいない)
・町中に一箇所にまとめられてるゴミがたまり続ける(←ゴミ収集車の作業員がいない)
・レストランに行っても店員さんがいない(←ウェイター・ウェイトレスがいない)
・購読している新聞が配達されてこない(←新聞配達がいない)
・家を購入して間取り等も決まったけど実際に建てる人がいない(←一級建築士はいるが、建設作業員はいない)
・両親の介護が必要なのに介護施設がない(←介護士がいない)
・車が欲しくて貯金したのに車の在庫がない(←車関連の工場作業員がいない)
・高速道路やショッピングモールでいつも事故が起きる(←交通誘導の警備員がいない)

などなど、ぱっと思いつく例を挙げましたが、こういう世界めちゃくちゃ不便で困りますよね。

もちろん現実には、ここまで極端な事にはならないでしょうが、好きな事を仕事にする理想が蔓延すると、それを遂行しようとする人は増えるかもしれませんが、社会的立場の低い職業になる人も減っていきます。

差別する側が増えて、差別される側が減る。そうなると社会的立場の低い職業従事者は減ってきて、彼らへの当たりが益々きびしくなると思います。個人的には、社会的立場の低い職業従事者には、国が補助金を出してでも高給を保証すべきだと思います。

香港では、建設作業員は誰もやりたがらないため、ホワイトワーカーに比べ建設作業員の方が給料が高いらしいです。

嫌われてる職業従事者に感謝することが大切

自分はシンガポールでは、好きな仕事をしている訳ではないですが、不満はないです。

給料も日本で働く同世代よりも貰えているし、仕事にも非常にゆとりがあるし、一応ホワイトワーカーに分類される仕事に従事しているので。

その一方で以下のような人々…

・自分が住んでいるHDB(公団住宅)にペンキを塗って綺麗にしてくれるワーカーさん
・いつもオフィスの清掃をしてくれているアンティ(おばちゃん)
・会社のビルのトイレ清掃をしているアンティ(おばちゃん)
・毎朝ホーカーで美味しいプラウンミーを作ってくれる兄ちゃん

自分は彼らの仕事はやりたくないです。

だけど、これらに仕事はすごく大切なこと。こういった人たちが「誰もやりたくない仕事」をしてくれてるから、みんな快適に生活できてるんです。なので、自分はそういう人たちに会ったら「すみません、いつも僕らが快適に生活できるようにしてくれて有難うございます」という気持ちを込めて、挨拶しています。

心から感謝して挨拶すると、相手もフレンドリーに返してくれる場合が多いです。彼らの過去はどうあれ、今現在だれもやりたくない仕事をしてくれてるから尊いし偉い。

もし自分が「人はみんな好きな事を職業にすべきだ」という考えを支持したら、彼らの生き方を否定する事になる。だから「みんな好きな仕事をすべき」という考は好きではないし、自分も好きとは言えない仕事を続けています。

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