中国科学説話雑識~古代中国のSF的記述~ 4 「漆と蟹」

「もしまた明教の者で、左の耳には鉛、右の耳には水銀を注ぎ込まれ、目には生漆を塗られて、痛くてたまらず目をあけることもできないとしたら、どうします?」

 胡青牛は怒ったらしい。
「明教の者にそんなことをするやつは誰だ?」
「まったくひどいやつですが、ぼくはまずその人の耳や目をなおしてやってから、あらためて相手の名前などを聞くつもりなんです」
 胡青牛は少し考えて、
「もし明教の者であれば、まず水銀を左の耳に注ぎこめば、じきに鉛は水銀に溶けて流れ出る。それから金の針で右の耳をさぐれば、水銀は針に付着して、少しずつ取り出せる。生漆のほうは、蟹をすりつぶした汁で湿布すれば、溶かすことができよう」

引用は、香港のみならず、中華圏の国民的作家、金庸の『倚天屠龍記』第十二章における、主人公・張無忌と、「仙医」胡青牛の会話です。張無忌が自分の手に負えない患者達への処方を尋ねているシーンです。
 ここに、目に漆を塗られたのを、蟹の汁で治療するというのがありますが、これの元になったのではないかと思えるような記述が、宋・洪邁の『夷堅丙志』に見られます。

◎蟹治漆  宋・洪邁『夷堅丙志』巻13
 乾道五年(1169)、襄陽に窃盗犯で死刑に相当する者がいたが、特別に赦して刺青の上で流罪ということになった。州牧(州の長官。知事)は彼がまた人を害するのを考慮して、すでに刑を受けているのに加えて、漆を彼の両目に塗った。
 囚人は荊門まで行ったが、盲目で何も見えないので、長林県の監獄に収容され、移送を待つことになった。
 そのとき、ちょうど監獄に用事が有るというので里長が訪れた。里長は囚人を不憫に思って語りかけた。
「お前さんがここを去るとき、蒙泉の側を通ったら石蟹を捕まえてくれるよう、護送の者に頼むといい。それを砕き、その汁を濾して目の中にたらせば、漆は汁に従って流れてしまい、傷も治るだろう。」
 翌日、護送官に賄して、小さな蟹を一匹捕ってもらい、その方法を行った。二日すると目は元通りになり、少しの傷害も残らなかった。
 私(洪邁)の妹の夫である朱晞顔が、そのとき当陽県尉(警察署長に相当する)から長林県令(県の長官。知事)に抜擢され、自分の目でそれを見たのである。

 いくら死罪に相当する犯罪者の再犯を予防するためとはいえ、非道いことをするものです。眼に漆を塗るというのが、もしも眼球に漆を塗るのでなくて瞼に塗ったのだとしても、皮膚はかぶれて腫れ上がり、目を開いていることはできなかったでしょう。

◇  ◇  ◇

 ではまず、ここで漆について現代の知識を確認しておきましょう。
 漆が漆の木(Rhus verniciflua)の幹から採取される樹液を原料としているのは周知のことと思います。しかし、これがどれだけの地域に見られるかというと、中国、日本、朝鮮半島、その他タイやミャンマーなどの東南アジア諸国といった、きわめて限定されたものなのです。
 漆は、人体に触れると皮膚に炎症を引き起こすという厄介な面を持っています。その扱いづらさにも関わらず、広く生活のあらゆる場面で利用され重宝がられてきたのは、防水性、強度、耐久性に優れ、酸やアルカリ、熱にも強く、防菌効果まで持ち、さらに、強力な接着力も併せ持つという驚異的な物質だったからです。加えて、鉱物性の含量で簡単に色づけする事ができ、塗料としての用途も実に多彩なものがあります。
 この漆をいったい人類はいつ頃から利用していたのか、残念ながらこの問題ははっきりしませんが、1977年に浙江省余姚にある河姆渡遺跡から発見された漆器は新石器時代のもので、紀元前四千~五千年のものと言われています。
 漆の主成分はウルシオールで、ラッカーゼという酵素の作用で凝固します。樹皮から採取したばかりの漆は「生漆」と呼ばれ、普通は摂氏40度位の低温で余分な水分をゆっくりと蒸発させて、「製漆」にして使います。保存する場合は、これを桶に入れて、紙を漆の表面に密着させて空気に触れないようにします。先人たちは、理屈はともかく、どういう状況で固まるかを経験で学び取っていたわけです。近年、「地下の正倉院文書」として我が国の考古学で注目を浴びている「漆紙文書」は、封に用いられた反古文書が、漆の作用のおかげで地中でも朽ち果てずに残ったものです。
 もう一つの保存法としては、摂氏70度以上の熱を加えて、ラッカーゼを不活性化させるというのがあります。このままですと、絶対凝固しないのですが、摂氏100度以上に加熱すると、ラッカーゼが重合して、再び活性化し、凝固するようになります。これを「焼漆」と言います。

◇  ◇  ◇

 「蟹治漆」では、この囚人は幸運にも里長のおかげで失明を免れています。この話の眼目は、その「蟹の汁で漆を溶かす」という里長の知恵ですが、これは、どうも大昔からの言い伝えのバリエーションであるようなのです。いかにも事実めいて記されているのも、そのことが背景にあったればこそと言えそうです。そこで、その伝承を見てみることにします。
 神仙の術について記した有名な書物に、晋の葛洪(184~363)が編んだ『抱朴子』というものがあります。そこに、次のような一節があります。

◎『抱朴子』内篇巻3・対俗
 私は今、仙人はなることができるということを知っている。私は穀物を断って食べずにいられるし、流珠を飛ばすことができること、錬金術が可能なことも保証できる。しかし、もし私を責めてその原理を求められても、私は実のところそれを知らない。世の中の人が、もし実際に考えの得られるものだけを存在するといい、考えの及ばないものを存在しないと言えば、天下の事象は甚だ少なくなってしまう。だから、老子の言うところである「狸頭は鼠漏(病の名)を癒し、啄木が齲齒に効く」というのは、類を以て推し量ることができるものである。しかし、蟹が漆を変化させて(だめにして)しまうこと、麻が酒を腐らせることというのは、理屈では推し量ることができないものである。物事というのは千差万別、紛々たるものである。頭で考えて極め尽くせるものであろうはずがない。

 葛洪は四世紀の人ですから、乾道五年(1169)から見れば、800年近く昔の人ということになります。その時点で、「蟹が漆をだめにする」ことというのは、理屈は分からないが起こりうることとして、広く知られていたように見えます。しかし、実はこの『抱朴子』の記述は、前漢の淮南王・劉安(BC180~123)の『淮南子』に基づくものだというのが分かっています。つまり、さらに500年ほど遡ることになります。
 該当する記述は、次の二カ所です

◎『淮南子』巻6・覽冥訓
 燧が太陽から火を取り出し、慈石が鉄を引きつけ、蟹が漆をだめにし〔注〕、葵が日に向かうというのは、自明のことと雖も、理屈を解き明かすことはできない。
  〔高誘注:蟹を漆の中に入れると、だめになって乾燥せず、使えなくなる。〕

◎『淮南子』巻16・説山訓
 膏が鼈を殺し、鵲の羽でできた矢が蝟を殺し、腐った灰が蝿を生じ、漆が蟹に合うと乾燥しなくなる、これは類を以て推し量ることができないものである。

 説山訓の方は、事実かどうかよく分からないものとも併記されているので、「蟹が漆をだめにする」ということも怪しく思えていまいますが、一方の覧冥訓の方は併記されている事例も検討しやすいので助かります。
 「燧」というのは、同じ『淮南子』の天文訓に「陽燧は日を見ればすなわち燃えて火となる」とある「陽燧」と同じものだと思われます。宋・沈括の『夢渓筆談』によれば、これは凹面鏡のことだそうです。つまり、凹面鏡の焦点に可燃物を置くと燃えるという、オリンピック聖火の採火式でもおなじみの光景のことを言っていると考えられます。
 次の「慈石」は言うまでもなく「磁石」です。古代においてはこの両者の表現が用いられていました。「慈石」というのは、磁石が鉄を引きつける様が「慈母が子を招く」ようだというので名付けられたということです。こちらが本来の名称で、「磁石」は俗称だったようです。ちなみに漢代の字書『説文解字』には「磁」の字は見えません。
 最後の「日に向かう」という「葵」は、まさに「向日葵」でしょう。ひまわりは生長中、花が日の方に向かうことが知られています。大きくなると動かなくなるのですが、この点を誤解されている方も多いのではないでしょうか。
 ついでに言っておきますと、原文では「葵之郷日」となっており、この「郷」という字は「嚮」や「向」に通じました。
 つまり、覧冥訓に関しては、四つ挙げられている例の内の三つは確実に事実と言えるものということになります。こうしてみると、「蟹を漆の中に入れると、だめになって乾燥せず、使えなくなる」というのだけが、事実無根というわけはなさそうに見えます。
 また、同様の話は、日本でも見られます。
日蓮御書には、些細なことで全体が悪くなってしまう喩えとして「うるし千ばいに蟹の足一つ」という表現が使われているのは、明らかに、この蟹が漆をダメにするという知恵に基づくものでしょう。

◇  ◇  ◇

 さて、それでは蟹が漆を駄目にすると言うことは事実なのでしょうか、そして、化学的に説明ができるのでしょうか。
 実は、ジョセフ・ニーダムが『中国の科学と文明』の中で、甲殻類の殻に含まれる成分が、ラッカーゼの作用を阻害して漆を固まらなくする、という趣旨のことを書いています。しかも重合も妨げられるので、加熱しても「焼漆」にもならないということです。つまり、蟹の甲羅には、非常に強力なラッカーゼ阻害物質(今回の調査では具体的なところまで探れませんでした)が含まれているということです。
 しかし、そうすると、「蟹治漆」の話のように、漆を溶かすことができるかどうかは疑問あります。「蟹治漆」の記述から判断する限り、固まった漆を溶かしているように見えるからです。これだと、ラッカーゼの作用を阻害しようにも、もうその余地はありませんから、主成分であるウルシオールそのものを分解することができなければなりません。しかし、いくら蟹でもそのような成分は含んでないでしょう。先にも述べたように、漆はきわめて安定した物質なのです。
 あるいは、里長が訪れたときには、まだ漆を眼に塗られただけで固まっていなかったのかもしれませんが、飛躍した空想としておくのが無難なところでしょう。
 これで、「蟹治漆」最大の焦点には一応の説明が付きました。しかし、もう一つの蟹の作用が残っています。蟹の汁が傷を治すという部分です。
 最近はキチンとか甲殻類から抽出した成分が医薬品や健康食品などに使われています。別にキチンが傷に効くわけではないですが、そう考えると薬効がありそうな気もします。
 実は、この「蟹の汁が傷を治す」というのも、唐以前にすでに言い伝えられていたようなのです。
 唐代の『冥報記』という仏教関係の小説を集めた書物に、比丘尼の修行という女性が死後 に幽霊となって現れたという話があります。その中で修行は姉に対して、「私は子供の頃に病気になった時、一匹の蟹を殺して、その汁を瘡に塗ったら治った」と話しています(『太平広記』巻103)。この場合、「瘡」と書いてありますから、ある種の出来物なのでしょう。
 日本にも、比較的新しいですが、漆を蟹で治療する例はあって、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』には、「漆は蟹を忌もの也。されば、漆を掻く家にて、もし蟹を烹ることあれば、漆ながれてよらずとなん。よりて思ふに、今その瘡は、漆の毒に觸たるのみ。内より發きしものならぬに、蟹をもてその毒を觧ば、立地に愈もやせん。用ひて見よ」と、「蟹が漆をダメにする」「蟹が漆かぶれを治療する」と記されています。
 人間国宝の故・松田権六氏の『うるしの話』の中にも、漆によるかぶれを治すのに沢蟹をつぶして塗る、という話が見え、漆を扱う人々の間では、古くから伝えられ、実際に行われてきたことのようです。 
 また、中国医学の処方を調べると、蟹を使って骨折や打撲による傷の治療を行うという記述がいくつか見られます。鬱血を散らし、経絡を通じさせて、筋骨の修復を促し、熱を下げる効果があるとされています。使い方は簡単で、蟹を焼いてから砕いて粉末にして、酒で飲むというものです。

【テキストと参考文献】
何卓 点校『夷堅志』(明文書局、1994年)
馮逸・喬華 点校『淮南鴻烈集解』(中華書局、1989年)
李宏 主編『夷堅志 全訳本』(北京燕山出版社、1997年)
石島快隆 訳注『抱朴子』(岩波文庫、1932年)
本田濟 訳注『抱朴子内篇』(平凡社、1990年)
ロバート・K・G・テンプル『図説 中国の科学と文明』(河出書房新社、1992年)
台湾中央研究院・漢籍全文資料庫
今井溱『中国物理雑識』(全国書房、1946年)
松田権六『うるしの話』(岩波文庫、1964年)
岡崎由美監修、林久之・阿部敦子訳、金庸著『倚天屠龍記2』(徳間文庫、2008年)

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