見出し画像

事務員_35日目

車が怖かった。

大学の夏休みに免許を取ったのだが、あちこちレンタカーに乗って地方を巡るなんて大それた趣味は臆病な僕にはできず、10年経った今もペーパードライバーのままである。命を自分で握る感じが怖い。どこかの文章でも読んだが、免許というのはその命の行く末に責任を持てる人のみが持っていいもので、本能的に身の危険を感じる僕のような人間が持っていていいものではない。今まで道行く車を見ていても「僕より精神が大人な人が乗り回していて僕の肝っ玉では到底追い付かないことをしている」と思っていた。そんな自分を小学生の頃から変わらない子どものように感じ、たぶん劣等感もあった。

ただ。

マウンテンバイクを譲ってもらい、こいつを漕いで会社に8時半から出社するという若干のイレギュラーが今日は起きたのだが、その時に見た景色がとても心地良かった。いつもバスで通勤するその感覚もずいぶん自分にとって自己効力感を感じられるものだったが、明るい朝方に肌で感じる見渡す限りの緑というのはまた別物に思えた。こんなにこの街に長く住んでいるのに、まったく新しい体験のようだった。

そして郊外の物流業界に来て数ヶ月経ったからだろうか、道行く人々から「ほどほどに暮らしを頑張り営みを続けることのあたたかさ」のようなものを感じて、あれ、僕は実は周りを自分よりも大人と思って戦々恐々として見ていたけど、案外もう自分も結構大人になったんじゃないか、ここにいる人たちはそんなに僕ほど色々気負って生きていたのだろうかと不思議になって、何故か肩の荷が下りたのだった。結局今日は普通の社会人と同じ時間に出社して、普通の体調でラウンジに上がって読書なんかして、普通に挨拶して普通に仕事している。なぜかここまで来るのにとてつもない時間を要してしまった。全く眠気も恐怖もない始業など未だかつて味わったことがなかった。

もちろんこの職場に骨を埋める気はない。ただ、僕は高い理想に隠れたところでものすごく勇気のない幼い部分を育てずにここまで歳を重ねてしまったのだなあと思って、反省している。しかもそれに身体感覚というか本能のレベルで引っ張られているのだ。だからこの生活を選択しているようにも思える。そんな気持ちになりながら、すべてが脳内と導通した今だけの現実を、もう一度噛みしめている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?