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【AZアーカイブ】ゼロの蛮人(バルバロイ)第一話

《『王宮日誌 シャルロット私書録』より》

それは、トリステイン魔法学院の二年生進級が済んでしばらく経った日のこと。

私は当時『タバサ』と名乗っていたが、風竜を召喚の儀式で使い魔とし、『シルフィード』と名づけて可愛がっていた。

だが、同級生のあの少女は……。


ガチャッ ガチャッ ガチャッ ガチャッ ガチャッ ガチャッ

「うっうっ うっ うっ うっうっ」

学院の中庭。人々が行き交い、憩いの時を楽しむ者もいる。
だが金属が擦れるような、耳障りな音がする。そして呻くような男の声。
皆が訝しげに振り返るので、すぐ音と声の元は知れた。

痩せた半裸の青年が、手足を鎖つきの『枷』に繋がれたまま歩いている。
膝までも長さのない腰巻だけを身につけ、下は裸足。裸の上半身はそれなりに筋肉がついているが、生傷やミミズ腫れだらけで、薄汚れている。

手首の枷(手錠)は、間の鎖から革紐が伸びて『主人』の左手に繋がれている。問題は足枷だ。足首を結ぶ鎖が、手錠と同じ15サントぐらいしかない。当然、彼の歩行は極めて制限され、ガチャガチャと耳障りな音を立てて、ちょこちょこと摺り足でしか歩けないわけだ。足首は鉄の輪が擦れて、血が滲んでいた。そんな男に構わず、主人はズンズン先を急ぐ。

ガチャッ ガチャッ ガチャッ ガチャッ

「うひっ」

遂に男が歩く速度に耐え切れなくなり、両足を宙に浮かせて前のめりに倒れた。「あぐっ」

何やってんの! 早く立って!
「うううううう……」
蹲る男を、『主人』―――桃色の長い髪をした少女、ルイズは振り向いて叱責する。手には乗馬用の鞭が握り締められている。

「立ちなさいつってんでしょホラァ!!」

バシ、ベシ、ビシ。鞭が容赦なく振り下ろされる。

「どうしたの? トラクス。立ちなさいよ、こっちは急いでるの」
「ううう……」
『トラクス』と呼ばれた男は、汗と泥で汚れた顔だけを主人に向け、哀れげな目をして呻く。言葉がよく分からないのだろう。まるで怯えきった犬のようだ。

「うらァ!! 立てェ!!」
「ひっ」
怒ったルイズの鞭が、八つ当たりのようにトラクスに注がれる。
「あんた! ご主人様の! 言葉が!」
「ぎゃっ」
「聞こえたでしょォが! この!」
「ひぎっ」
「蛮人(バルバロイ)がァ!!」

「ちょっとルイズ! いくら言葉も通じない『蛮人』の使い魔でも、少しひどすぎるんじゃないの?」
見かねた近くの女性――私とルイズの共通の友人、キュルケが止めに入る。

「ほっといてもらえないツェルプストー、今調教中なのよ! せっかく召喚したこの使い魔だけど、どうも物覚えが悪くてねえ」
息を荒げて、ルイズは不機嫌そうに言う。
「だけど、脚の間の鎖がそれっぽっちじゃ、普通に歩けるわけないでしょ」
「だァから! 調教中なんだって!! 他人が口をはさむ事じゃないのよ!いつまで寝てんのコラァ!!立ちなさい! この、うすのろの蛮人が!!」
「ひいいいっ」
主人に脇腹を蹴られ、トラクスはまた情けない声をあげた。キュルケも諦めて、その場を立ち去る。

「不運だよなァ、あの蛮人。よりによって『ゼロのルイズ』に召喚されちまうなんてよ」
「きっと長生きできないぜ」
「ああ……」
見物人が他人事として呟く。貴族と奴隷そのままの図に、多少は憐憫を抱いたらしい。

「ゼロのルイズって感じ悪いんだよな――。実家が公爵家だからって傲慢だし。いくら威張っても、魔法の使えない『ゼロのダメイジ』だぜ」
「おい、聞こえるぞ」
そう、ルイズは魔法使い(メイジ)である貴族の名門に生まれながら、魔法がいまだに使えない。どんな魔法でも、使えばいつも必ず、『爆発』が起きて全部ぶち壊してしまうのだ。誰もがつけた二つ名が、魔法の成功率と胸の『ゼロ』。

そのためか、彼女は恐ろしい癇癪持ちで傲慢な少女に育ってしまった。哀れと言えば哀れであろう。しかも、やっと成功した『使い魔召喚』の魔法で呼び出してしまったのが、あの哀れな蛮人の青年なのだ。まあ、彼女の怒りも分からないではない。

「それにしても、すごくみじめって言うか、哀れだな、あの男」
「ああ……卑屈な感じもする。もとから奴隷か何かだったんじゃないか?」
「はははは……」
貴族の子弟ばかりがいるこの学院では、平民や蛮人など下等な人間として見下されている。彼らも蛮人の不運を笑い種にして、中庭から立ち去っていった。そして、私は…笑う気には、なれなかった。

それから数週後。私は本を片手に、キュルケと並んで食堂へ向かっていた。
そこへ、またあの鎖の音がした。
「やだ、またあいつ……」
(いつかの男……)
トラクスだ。相変わらず手枷足枷をつけた半裸の姿だが、主人はいないようだ。代わりに、何かの入った袋を二つ紐で結び、前後に抱えている。

「おお? 今日は一人でお使いかァ? 蛮人」
「やっと一丁前の使い魔、いや奴隷らしくなってきたな」
「そうやって、従順なイヌっころみたいにしてりゃあ、いつか鎖をはずしてもらえるってか?」
三人の生徒たちに囲まれ、憂さ晴らしにか、いびられている。
トラクスの表情は余り変わらない。

「いや――無理無理! 飼い主はなんと、あの『ゼロのルイズ』だぜ!? せいぜい鎖をちょび~~~~っと伸ばしてもらうのが関の山よ!」
「かわいそうにな―――トラクスゥ」
生徒たちはトラクスをニヤニヤと嘲笑いながら道をふさぐ。後ろに回った一人が、腰を蹴った。
「おおっと、ごめんよォ!」
「うぐっ」
なす術もなく、トラクスはまた前のめりに倒れ、袋を落としてしまう。
「ひゃひゃひゃひゃっ」

生徒たちは、無様に倒れたトラクスを笑い、気が済んだのか歩み去った。
「うくく…………」
トラクスは立ち上がろうとするが、手足の鎖が邪魔でなかなか上手くいかない。私は、彼の前に行き、屈んで右手を差し出した。
「!」

なぜそうしたのかは、分からない。彼の境遇に憐憫、いや同情したせいか。
トラクスは、しばし私の手と顔を呆然と見つめていた。しかし、
「ふっ」
彼は鼻で軽く笑い、ガチャと音をさせて自分で立ち上がった。そして落とした荷物を背負いなおし、再び鎖の音をさせて去っていったのだ。

「なァにィ!? あの態度! 蛮人のくせに! 珍しく、タバサがせっかく手を出してあげてたのに」
キュルケが顔をしかめる。身分制度に融通がきくゲルマニア出身の彼女でも、目下の者は蔑むのか。

(……………………)

そう……まさにこの一人の蛮人(バルバロイ)が、その後の私の運命を大きく変えたのだ。

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