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【つの版】度量衡比較・長さ編08:船での移動距離

ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。前回は徒歩や馬での移動距離でしたが、今回は船での移動距離と速度についてざっくり見ていきます。

▼船舶概論

船と水運は、人類史において極めて重要な役割を果たしています。古来陸上動物は流木などによって水上に浮かび、河川や湖水や海洋を越えて来ましたが、人類はそれを櫂で漕ぐことで前進させ、自発的な移動手段としました。ただの流木では沈んでしまいますので丸木舟ですが、丸木を縦に割って焼いたり削ったりするなど複雑な工程を必要とします。遅くとも5万年前には、人類がウォレス線を船で渡った形跡があります。3万年前にはビスマルク諸島やソロモン諸島に到達していましたし、日本では旧石器時代に伊豆諸島の黒曜石が日本列島各地へ運ばれていました。

やがて風力を利用するが現れ、造船技術・航海技術も進歩して、太平洋の彼方まで人類が住み着き始めます。船は大量の物資や人間を一度に運ぶことができ、遠く離れた異なる文化圏を繋げました。しかし蒸気機関が発明されていない時代、その速度はさほど速いものでもありませんでした。ここではそうした過去の船の動きをざっくり振り返ってみましょう。

▼ノット

船が一時間に一海里(1.852km)進む速度を1ノットといいます。ノットも海里も近代になって定められた単位です。

航海中は天体観測などで船の現在位置を確認していましたが、速度を測るのは難しいことでした。オランダ人は船の舳先から木片(log)を投げ入れ、それが舷側を通って船尾に届くまでの時間を砂時計で計測し、大体の速度を計算していました。その後、縄に一定間隔の結び目(knot)を作り、木片に縛り付けて投げ入れ、一定時間の間に結び目がいくつ流れるかをカウントして記録(log)しました。これがノットとログの語源です。28秒間に測程索が47フィート3インチ(約14.4m)繰り出されると、時速1ノットということになります。

なおマグロは40-50ノット(74-92.6km/h)の速度で泳ぎます。…というのはで、せいぜい8km/hほどだそうです。イルカやシャチもそれぐらいです。

▼船の速度

では、船の速度はどうでしょうか。

8人漕ぎレガッタの最高速度は1分半で500m、6分で2000mというところで、60分=1時間で20km。頑張っても10ノット(18.52km/h)がせいぜいです。また、この速度で漕ぎ続けることも出来ません。古代や中世の復元船では、平均速度は3ノット(5.5km/h)程度です。潮や風によって大きく変わり、風待ちもありますので、近代以前では日数で測った方がよさそうです。

1977年、ノルウェーの人類学者ヘイエルダールは、円筒図像をもとにメソポタミアの湿地帯に生えている葦でつくった全長18mの帆船を再現し、ティグリス号と名付けて実際に航海しました。この船はティグリス・ユーフラテス川の合流点からペルシア湾を経てインダス河口に到達し、その後アラビア海を横断して紅海の入り口のジブチまでたどり着きました。全行程6800km、所要日数は143日でしたので、1日平均47.55kmとなります。1947年のコンティキ号は102日間に8000km弱を進みましたので、1日80kmになります。

1世紀にエジプト在住ギリシア人が記した『エリュトラー海案内記』によると、交易や風待ちの日数を除外すれば、イタリアのプテオリ港(現ナポリ県ポッツォーリ)からインド南部のムージリス港(現ケーララ州コドゥンガルール)まで114日(16週間余、約4ヶ月)で着くといいます。すなわちプテオリ→アレクサンドリア間が海路20日、アレクサンドリア→コプトス→紅海西岸のベレニケ港間が陸路24日(1日30kmとして720km)、ベレニケ港→アラビア南岸の2000kmが海路30日(1日67km)、アラビア南岸→ムージリス港間3600kmが貿易風に乗って海路40日(1日90km)となります。

奈良時代から平安時代初期の渤海使船は、800kmの海路を7日から10日で航行しました。1日平均80-114kmです。

中世にノルウェーとグリーンランドを繋いだ輸送船クナールは、1日75マイル(120km)進みました。ヴァイキングが用いたロングシップはクナールより軽く、最大速度は15ノットにもなりました。

コロンブスは37日かけて大西洋5700kmを無寄航航海しました。1日平均154kmですが、24時間で割れば6.4km/h(3.45ノット)程度です。

1620年、メイフラワー号はプリマスからニューポートまで2750海里(約5095km)を66日間かけて渡りました。1日平均77.2kmです。

大西洋航路の日数は長らく1ヶ月か2ヶ月程度でしたが、19世紀に蒸気船が実用化されると2週間に縮まり、現代では数日で渡航できます。

川船はどうでしょうか。『唐六典』巻三尚書戸部には「水行之程、舟之重者、溯河日三十里、江四十里、余水四十五里。空舟、溯河四十里、江五十里、余水六十里。沿流之舟、則軽重同制、河日一百五十里、江一百里、余水七十里。」とあります。河とは黄河、江とは長江のことです。唐の1里は530mですから、黄河を積載船が遡上するには1日30里(16km)、長江で40里(21km)、他の川(水)なら45里(24km)かかり、空船が遡上する場合は各40里・50里(26.5km)・60里(32km)、流れに沿っての下りなら150里(79.5km)・100里(53km)・70里(37km)となります。

◆ここではない◆

◆どこかへ◆

今回は以上です。次は面積についてしていきます。度がやたら伸びてるので量や衡を先にやってもいい気もしますが。

続く

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