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【まねきねこ的学校解説】東京農業大学稲花(とうか)小学校の願書ネタ!!!

いつもお世話になっております。

メンバーの方から「東京農業大学稲花(とうか)小学校」について教えて欲しい」とのご要望を頂きましたので、ご説明いたします。

メンバーの方は、どんどん「この学校について詳しく教えて欲しい。」というご要望を伝えてください。メンバーの方が受けない学校の解説をしても、全く意味がないと思いますので・・・。

連絡先は以下の通りです。

個人的に、幼児教室の学校解説は面白くないなー、と思っています。願書を書くにしても、幼児教室の情報では、合格願書は書けないよ・・・。

というわけで、できるだけ面白く、願書や面接にも役立つ内容で書いていきたいと思っています。

さて、東京農業大学稲花小学校の特徴や魅力についてご紹介したいと思います。

〇創設者とエピソード
創設者は榎本武揚です。

彼は日本の近代化に大きく貢献した人物です。12歳で儒学を学び、26歳でオランダに留学。洋式海軍技術や農業を学び、多言語をマスターしました。彼の「冒険は最良の師である」という言葉は、東京農業大学稲花小学校の教育理念「冒険心の育成」のベースとなっています​​。

彼はめちゃめちゃ頭が良いですが、時流を見る力がなかったですね。早めに薩長と繋がっていれば今頃紙幣になっていてもおかしくないほど有能でした。まあ、あまりにも有能なので明治政府にスカウトされ、最終的に子爵の地位を与えられました。

私は幕末好きですので、この学校が榎本武揚が作ったと知り、かなりエモい気分になりました。榎本武揚は、最後まで江戸幕府について戊辰戦争を戦い、北海道を独立国にしようとしました。結局、幕府に降伏しましたが。

榎本武揚を語るときには新鮮組副長、土方歳三ははずせません。土方も同時に北海道に渡り、北海道で見事に散りました。

農大稲花は、願書の最後が1000文字の作文となっていますので、榎本の功績を含めて書くことも可能です。もし、メンバーの方のエピソードが榎本のエピソードと絡むようであれば、上手くからめて書かせて頂きます。

榎本武揚の業績で特に際立っているのは、樺太・千島交換条約の締結です。榎本は、日本とロシアの間で樺太全体の支配を巡る緊迫した情勢の中で成立させました。1875年という維新政府が出来たばかりで、日清戦争にも勝手いない状況で、このような対等な条約をよく結べたと思います。マジで榎本は優秀です。

これにより、当時の北方領土に関する日露間の紛争が解決され、両国の関係が安定しました。この条約は、日本の近代化と国際的な関係構築における重要な一歩とされているのです。

こう言った知識を最後の1000文字作文に入れ込んでいけば、絶対に合格します。個人的には、榎本の業績とその理念については、農大稲花のユニークな女校長よりも詳しい自信があります。僕の方が詳しいのはダメか・・・あの女校長の知能レベルに合わせないといかんからなあ・・・。願書とはかくも難しいものです。

さらに、榎本武揚にはもう一つ興味深いエピソードがあります。現在日本で使われている郵便マーク〒のデザインは、彼が決定しました。本当は「T」と「〒」でかなりもめたのですが、それは今回は省略します。

これらのエピソードは、榎本武揚の多面的な才能と、彼が日本の近代化に果たした重要な役割を示しています。彼の生涯は、幕末から明治への移行期における日本の変化と発展を理解する上で非常に示唆に富んでいます。

(※)【メンバーシップ限定】となります。

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