アルファ版:主義主張がブレがちな人を苦手に思う個人的理由
アルファ版とは
文字数に執着しない
清書にこだわらない
今思った、今感じたという時間軸を大切にする
可能な限りタイムリーな想いを遺すべく生まれた試験的コンテンツ。
主義主張がブレがちな人を苦手に思う個人的理由
タイトルの通り私は主義主張がブレる人が苦手だ。好きか嫌いかと言えば嫌い寄りだが、それ以上に苦手意識が強い。私はメタ思考(自分が考えることについて考える)が大好きなのにもかかわらず人に対する負の感情に関しては気持ちや考えを分析する前に遠ざかる傾向があったようだ。これは「この人を嫌いになりたくない!」という気持ちの表れかもしれない。しかし今年は一皮むけたい気持ちの方が強いため、敢えて向き合うことにした。
主義主張がブレるとは何なのか
公私で大切にしているものが、時と場合でコロコロ変わるということである。顧客第一主義、スタッフ第一主義、家族第一主義、環境問題や関係業者への配慮といった立ち位置が状況によってないがしろになるといったところである。
ブレるのは良くないことなのか
ブレること自体が悪いとは思わない。子どもの成長過程はもちろん、過ごしていく日々の中で考え方や価値観が変わることは往々にしてあるだろうし、あまりにも変わらなさすぎるのは成長していないとの見方もできる。
私が問題視しているのは「活動の根幹になりうる大切な部分」がコロコロ変わる点なのである。
ブレることは柔軟性と言えるだろうか
100歩譲ってそういう要素があるとしても、少なくとも私はそれを肯定的に見ることはできない。なぜなら柔軟性を盾に曲げるような考えは、主義でも主張でもなく、願望ですらないかもしれない薄っぺらいものだからだ。
であるなら端から「私は○○を大切にしています」なんて掲げるべきではない。
苦手意識の正体は不信感かもしれない
これはあくまで仮説にすぎないが、ブレるという現象は「本音ではない」ことに起因しているのではないだろうか。嘘を吐いていると言うよりも「良く思われたい」「好かれたい」「影響力が欲しい」などの願望から、単にウケの良さそうな事柄を大事にしているフリをしているだけなのではないだろうか。もしそうであれば合点がいく。
そもそも私が相手から本音ではなく建前を語る対象と認識されているかもしれない。そこを勘案するなら尚更関わるべきではないだろう。
「関係性は時とともに育まれるもの」みたいな考え方もあるだろうが、私はブレがちな人との関係を良くするぐらいなら、すでに本音でお付き合いできている人との関係をもっと良いものにしたい。
最後に、これは他人をどうこうという話ではなく私個人の気持ちの整理であることを念押ししておく。例えお互いに相容れなくても、存在を認め合うぐらいの敬意は持ち続けたいものだ。
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