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銀河系の中心に潜むモンスターブラックホール

モンスターブラックホールいて座A*

天の川は、星が無数に集まった我々の住む銀河系(天の川銀河)を横から見たものです。太陽系は銀河系の端に位置していて、いて座の方向に銀河系の中心があります。その銀河中心には太陽の400万倍のもの質量を持つモンスター級の巨大ブラックホール「いて座A*(エースター)」があります。
 周囲の星の軌道を測定し、その中心にいて座Aがあることを発見した2つの研究グループの代表Genzel(ゲンツェル)博士とGhez(ゲェズ)博士は2020年ノーベル物理学賞を受賞しています(参考文献1、2)。

また、2022年5月にはイベントホライズン望遠鏡(EHT)によりブラックホールいて座A*の影が初めて撮影され(参考文献3)、世界中で大きく取り上げられました。

EHTにより得られた銀河系中心部の巨大ブラックホールいて座A*のブラックホールシャドウ

ブラックホール自身からは光も抜け出せませんが、その強い重力により周囲から引き寄せられた物質があると、それらは重力エネルギーの解放によりX線などの電磁波で輝きます。つまりブラックホールは周囲の物質を燃料にできるのです。

燃料の量が多いほど、ブラックホールは明るく輝きます。天体にはエディントン光度という明るさの限界があり、天体の質量に比例します。モンスターブラックホールは通常の星の100万倍以上の質量があるため、普通の星よりも100万倍以上に明るくなることが可能です。実際に、他の銀河にあるモンスターブラックホールの中には、その限界近くになり、その銀河の中でダントツに一番明るいものがあります。これを活動銀河核と呼びます。活動銀河核についてはnoteの他の記事でも紹介しています。

一方、いて座A*は恒常的な明るさはエディントン光度の0.00000001%(100億分の1)しかなく、極めて活動性が低いことがわかっています。ごくまれに恒常的な明るさの100倍程度のフレアが起こり、それは小惑星のような天体が燃料になっているのではないか、と考えられています。

2014年5月にガス雲G2が最接近する機会がありました。G2 がいて座Aの新たな燃料になり、活動が活発になることが予想されました。地上、宇宙のたくさんの望遠鏡を使って観測キャンペーンを行いました。ところが、いて座A*はガス雲が近くを通過しても特に明るさに変化はなく、期待は空振りに終わりました。私たちのモンスターブラックホールは、ずっとそのポテンシャルを出さずにくすぶっているのでしょうか。

いて座A*はかつて明るかった

いて座Aから1000光年の範囲には巨大な分子雲がたくさん見つかっています。分子雲は絶対温度10度程度の極低温で、水素分子を主な成分とするガスでできています。1990年代に日本のX線天文衛星「あすか」はこの巨大分子雲から中性状態の鉄の特性X線(中性鉄輝線、エネルギー6.40キロ電子ボルト)が出ていることを発見しました。低温の分子雲は自分でX線を出すことはないため、外部から強いX線に照らされて輝いていると考えられました。

ところが、必要な光度を見積もると、通常の星のエディントン光度を超えていました。それほどの明るさで照らすことができるのは重いいて座A*しかありません。分子雲は数100光年離れていることを考えて、いて座Aは数100年前の昔、現在の100万倍以上で輝いていた、と結論されました。これでもエディントン光度には6桁ほど足りませんが、かつては暗めの活動銀河核だったと言っても良いでしょう。

その後、X線天文衛星「すざく」などにより、いて座A*は他の分子雲も照らしていることがわかりました。このような分子雲をX線反射星雲と呼びます。いて座A*は、昔はそれなりに暴れていたようです。


図1 「すざく」が撮影したいて座A*(星印)の周囲の中性状態の鉄の特性X線(中性鉄輝線)の強度分布(参考文献4)。明るい部分は過去のいて座A*のX線を反射して輝くX線反射星雲です。矢印(黄色と水色)はそれぞれ「あすか」、「すざく」で発見したX線反射星雲を示します。

XRISMで新たな活動痕跡を発掘する

 いて座A*がかつて明るかったのはなぜでしょうか。2014年のガス雲G2の接近ではびくともしなかったのですが、数百年前にはそれを上回るような、例えば恒星クラスの大量の燃料投入があったのでしょうか。これまでのX線反射星雲の観測データからは、昔のいて座A*の光度の情報しかありません。その時にブラックホール周囲がどうなっていたのか、なぜ明るくなったのかは観測からはわかっていません。

 周囲に燃料物質がたくさんある場合、その物質は鉄原子に由来する中性鉄輝線で光っていると考えられます。したがって、かつてのいて座A*のスペクトルにも中性鉄輝線が含まれています。この中性鉄輝線が分子雲で反射する(厳密にはコンプトン散乱という)際に、エネルギーが少し低くなって私たちに届きます(図2)。その強度を測ることで、どれだけの燃料物質がいて座A*に投入されていたのか、判別できます。

ところが、この反射した中性鉄輝線は微弱なので、これまでのX線観測では見つけられませんでした。X線天文衛星XRISMは過去最高の分光力により微弱な輝線も検出できるので、この反射してエネルギーが低くなった中性鉄輝線を発見できます。過去のいて座A*がどんな状態だったのか、なぜ明るくなったのかを突き止められると期待しています。

図2 いて座A*の周囲のX線反射星雲と高温ガスの混合スペクトル(黒:XRISMの予想、赤:従来のX線天文衛星のデータ)。いて座A*からの中性鉄輝線は反射して(コンプトン散乱)エネルギーが6.40キロ電子ボルトよりも小さくなります(図の場合は6.24キロ電子ボルト)。高温ガスの高階電離鉄輝線の微細構造は、過去のいて座A*から影響を受けていた場合では変化します。いずれも従来のX線天文衛星のデータでは分光力が不足しており判別できませんが、XRISMで初めてわかると期待しています。  

 X線反射星雲のほかにも過去のいて座A*の活動の痕跡はあるはずです。周囲には1000万度以上の高温ガスが広がっていて、X線を出しています。特に高階電離した鉄イオンからの特性X線(高階電離鉄輝線)が特徴です(図2)。

過去のいて座A*の明るいX線は高温ガスも照らしています。その際、高温ガスをさらに電離したのかもしれません。その痕跡は高階電離鉄輝線に含まれる微細な構造に現れます。

これを調べるためには優れた分光データが必要です、これまでのX線天文衛星では取得できませんでしたが、XRISMはそれを可能にします。X線反射星雲はいて座AからのX線をすぐに反射して放出しますが、高温ガスはいて座AからのX線により受ける電離状態の変化を1万年以上にわたり維持します。したがって、高温ガスの電離状態を精密に調べることで、いて座A*の数万年の間の活動を明らかにできるかもしれません。

いて座A*は今後どうなるか

 いて座A*の年齢は銀河系と同じ100億歳程度です。それに比べると数百年前は「たった今」のことと言えます。いて座A*は、今は穏やかですが突然変貌して大爆発を起こして100万倍以上に明るくなることは十分にあり得ます。

モンスターブラックホールは全ての銀河に存在していますが、詳細に調べることができるのは地球から最近傍のいて座A*だけです。ですので、大爆発をした時は世界中の望遠鏡、いや銀河中の望遠鏡が一斉に観測を始めることになるでしょう。モンスターブラックホールの活動変動の謎を解く大きな手がかりになります。

一方で、いて座A*からは多量の放射線が出るので、地球への影響も心配かもしれません。いて座A*と太陽系の間には星間物質と星間磁場があり、放射線から私たち地球をシールドしてくれますので、心配ありません。

参考文献

  1. Genzel, R. et al. 2003, Nature, 425, 6961, pp. 934−937

  2. Ghez, A. et al. 1998, the Astrophysical Journal, 509, pp.678—686

  3. Event Horizon Telescope collaboration 2022, the Astrophysical journal letters, 930, id.L12, L13, L14, L15, L16

  4. Koyama 2018, Publications of the Astronomical Society of Japan, 70, id.R1

(執筆:信川 正順)