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幸せは掴むもの?


「幸せって掴むものと作るもの、どっちだと思う?」1日もあと1時間で終わるころ、スマホと同じくおやすみモードの脳みそにこんな質問が飛んできた。

「ニュアンスの違いだと思うんだけどさ…。」
電話越しに、また難しそうな話をするものだ。

うーん、掴んでから作る みたいな感覚かなぁ。
幸せになるためにどこの場所に行くか、どんな環境に飛び込むかは「掴む」って感じがするけど、そこからなにをするかは「作る」って感じがする。

「おー。俺は『掴む』一択だからさ。結局どんな選択をしていくかだと思ってる。幸せって誰かに与えてもらうものっていう考えもあるだろうけど、与えられる幸せはあくまで行動の副産物みたいなものだと思うんだよね。受け身だと、いつまでも幸せになれない。」

なるほど。たしかに、選択していくことは大事だね。

「『作る』はゼロからイチをつくる感じがする。幸せは、ゼロからというより原石があるような気がして。」

「掴んで作るって、泥だんごと同じだね。そこにある土で、どう作っていくかみたいな。」

えぇ?…まぁ、たしかに?
…私にはどこら辺が泥だんごと同じなのかよく分からなかったけど、選択していくことで幸せになるというのはとてもよくわかる。
それでも自分のなかで「掴む」があまりしっくりきていないのは、わたしにとっての幸せが「固体」じゃなくて「気づいたらそこにある空気」みたいなものだからかなぁ、なんて。

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