ワナビーの罠

読者モデル。プロ市民。港区女子。出しゃばるエキストラ。客が2人の地下アイドル。
ゼロじゃないけど1にはなり切れない半端者。大した才能もないのに、自己顕示欲だけは一丁前のワナビー。

僕はそんな奴が嫌いだ。

大学生カテゴリにも、似たようなワナビーが存在する。彼らのツイートは、総じて140文字をガチガチに埋める割に改行が無駄に多い。

なぜ嫌悪感を抱くのか紐解いていくと、1)努力の過程の過度なアピール、2)中途半端な実績の誇示、3)ワナビー同士の馴れ合いの三点だ。
詳しく見ていこう。

1)努力の過程の過度なアピール

彼らはたくさんツイートする。ツイートがもし他人に有益なものばかりならば、フォロワーは増え、影響力も増していくのだろう。
しかし、彼らは無益なツイートを繰り返す。

「ダメだ。(改行×2)まさかこんな展開になるとは(改行×2)最善の方法を探せ私!」
「見習わなくては!(改行×2)つい目の前の、感情を振り回す事態に流されている私…(改行×2)やるべきことに集中!」
「ま、マウスが壊れた…っ!!!ないと不便だわ〜」

誰がこのツイートを見たいんだ。
もちろん、特に目的も無く垂れ流している呟きならどうでもいい。しかし、彼らは影響力がある人になりたいという一心だけでツイートしているのだ。インフルエンサーになりたいのだ。まったく見上げた努力だと思う。その努力が無意味であるとも知らないのがまた滑稽だ。

フォロワーたちは努力の過程を追従することで、成果が見えた時にカタルシスを得られる。
ただ、その頻度が多すぎる。
結果として、闇雲に転んでいる様を見せられているばかりで、フラストレーションが溜まっていく。

2)中途半端な実績の誇示

スラッシュを多用して、とにかく薄い自己紹介を作り上げている。
個人的なボーダーラインを設けよう。

出身高校・大学名→セーフ
所属サークル名→セーフ
趣味→セーフ
サークル等の担当役職→審議
尊敬する人→アウト
座右の銘→アウト

こんなところだろうか。これは個人的な感覚なので悪しからず。

以前、小説家の朝井リョウが自身のラジオ内でこんなことを言っていた。

Twitterのプロフィールに過去の自分の書籍の出版数や情熱大陸出演歴を書いている人は『偽物』なんですよ。
そう気づいて、私は急いでチェックしましたね。自分のプロフィールを。

彼らは『偽物』であるにも関わらず、『本物』に擬態しようとしている。むしろ、『本物』でないことを自覚しているからこそ、仮初の実績で取り繕おうとしているのではないかとも思う。

情熱大陸に出演している人でさえ、『偽物』が跋扈しているのだ。直木賞作家でさえ、自分の実績を誇示せずに慎ましく存在しているのだ。そんじょそこらの大学生如きが『本物』の実績を挙げている訳がないだろう。

3)ワナビー同士の馴れ合い

Twitterという仮想空間も、現実世界と同じように「類は友を呼ぶ」世界だ。同じような意思・能力を持ったアカウントが互いに吸い寄せられるように集まり、コミュニティを形成する。

ダルビッシュは田中マー君と絡む。
小嶋陽菜は高橋みなみと絡む。
有吉弘行はハライチ岩井に「環七沿いのラーメン屋に行けよ」と絡む。

当然、ワナビー同士もそれぞれのコミュニティで交流をはじめる。
でも、それは傷口の舐め合いをしているようにしか見えない。
自分の悪い部分に真摯に向き合わず、数少ない良い部分だけを褒めそやす。

あるいは、大言壮語をブチ上げ、周りから称賛の声を浴び、実際は何も成し得ない。

虚しくならないんだろうか。
ならないんだろうな。
リプライで持ち上げられるという小さな成功体験に満足しているんだろうから。

そして、彼らは引用リツイートでインフルエンサーにコメントし、華麗に無視される。

何がしたいんだろう。

僕は、自分を『偽物』だと思っている。

いや、違うな。

僕は、「自分は『偽物』ですよ」という仮面を被って過ごしている。
『本物』だと思っているにも関わらず。

誰しも自分の中では自分を肯定したいと思っている。
でも、それを表出させてしまうと無駄な軋轢を生んでしまう。これは、本音と建前と尊敬と嫉妬と羨望と僻み嫉みが渦巻くこの社会の罠だ。
だから、自分を生きやすくするために思ってもいない仮面を被る。ある種のライフハックと言えるかもしれない。

僕はこのワナビーの罠には嵌らない。
これを見てくれた人も、躓かずにTwitterライフを過ごしてほしいと切に願うばかりだ。

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