キミは人生を舐め腐っているね

メンタルは強い方だと自負していたが、出口の見えない迷路にこれだけハマり続けると、さすがに心が削られる。

「貧すれば鈍する」という慣用句があるが、ことメンタルにおいてはこの慣用句は成り立たない。むしろ、心が削られると精神は過敏になる。削られた心は擦り傷に似ている。擦り傷に針を落とすと、普段とは比べものにならないほど痛い。外気に晒された自分の弱さが、いつ何者かに攻撃されやしないかと警戒を強める。その結果、常に周囲に神経を研ぎ澄ませて、無駄に疲弊してしまうのだ。落とされた針だって、他人から見たらやさしく身体を手入れしてくれる綿棒なのかもしれない。自分を傷つけようとする凶器だと錯覚しているのは、他でもない弱った自分自身だ。
心は、貧すれば鋭なる。

「お前さ、就活どうよ、最近は」
同期と会うと、必然的に就活の話になる。大抵の同期の共通の話題であり、共感も、羨望も、嫉妬も、全ての感情が渦巻くパンドラの箱だ。僕は、自分の就活状況は全て公開することにしている。聞かれた時に口ごもって、傷跡を晒さないのは性に合わない。もちろん、そうしたくない人がいるのは百も承知だ。でも、勿体ないと思うのだ。自分の痛みや苦しみは、他人に笑ってもらってこそ昇華されていく。どす黒い感情を自分の中で消化するのは、荷が重い。だからこそ、積極的に落とされた企業の話もするし、選考が進んでいる企業の話もする。

「俺はエンタメ系のあそこの内定取ったわ」
「マジか〜、あたしは次テレビのあそこの最終」
「俺は広告大手終わってからどこ行くか決めるかなあ」
ぼちぼち就活を終わらせた友達も出てくると、飲み会で最終面接についての話題になることも増えてきた。
僕はというと、内定も無ければ企業の持ち駒もどんどん減っている。最終にすら駒を進めていない。狙ってるギョーカイのダイキギョーしか受けないっしょ、なんて余裕をこいていた数ヶ月前の自分を少し恨めしく思う。まあ、今その状況に戻っても同じ選択をするだろうけど。
最終面接の話の輪の中のみんなは、同じステージで話を進めている。僕はその輪に入れない。
「内定がさぁ、」
ズキッ
「最終までいったら握手でしょ!」
ズキッ
「まあもうちょい、これ以上の企業あるかちょっとだけ探すわ」
ズキッ
僕には内定が無い。針を落とされたように、心は蝕まれていく。あいつらにとっては、綿棒。僕にとっては、針。傷跡から鮮血が滲む。ヘモグロビンの紅の鮮やかさが痛々しい。
もちろん、僕の状況を笑ってくれて構わない。むしろ笑ってほしい。笑ってもらってこそ救われる。なのに、話の流れ的に、その話をする雰囲気でもない。僕はバレないように話の輪の少し外側に位置取り、水分を失ったおしぼりを弄びながら、グラスが結露したウーロン茶を飲み干した。
「すいませぇん、ウーロン茶ひとつください。あとレモンサワーふたつ」
間延びした声が居酒屋に響く。

就活は評価軸が見えない。その評価軸は就活生ではなく、どこぞの大人たちが設定している。あの面接はどこを評価されて通過したのか。あのグループディスカッションはどの立ち回りにペケを付けられたのか。そのマルバツの違いが、僕らにとってひどく曖昧なのだ。
これまでの人生では、勉強も部活も何もかもが分かりやすく評価された。偏差値、打率、守備率、勝率…。全てが数字で表される。自分に足りない箇所はどこか、逆に自分の長所はどこか。その数字を見れば一目瞭然だった。

僕は元来ストレスを溜めない。溜めずに生きられるようシステムを構築した。
自分の中である種の(歪んだ)評価軸を勝手に定め、それに則って行動する。何かを詰られれば、その評価軸を持ち出し、他者に責任があると解釈する。そして、何か嫌なことがあればすぐに言葉にして笑いに昇華する。こう書くと、どこか自分を偽っているように聞こえるかもしれない。でも、本気で自分に責任は無いと思っているからこそ、ストレスフリーに生きていられる。
中学一年生の時の担任の先生に「キミは人生を舐め腐っているね」と言われたのを妙に覚えている。確かにな、と思ったから。そんな時期にこのシステムを構築出来ていたなんて、僕はシステムエンジニアが天職なのかもしれない。理系に進んでおけばよかった。

ただ、就活で自分の評価軸を振り回していても、何も始まらない。恐らく、世間様が定めた評価軸と自分のそれとは大きくかけ離れている。だって、僕は「人生を舐め腐って」いるから。
対外的には笑って済ませていればいいが、いざ自分の中の問題と相見えるとなると、真面目に対峙する必要がある。そして、失敗の原因をああでもないこうでもないとぐるぐる考え込むうちに、心が削られていくのだ。

ここまで来れば、腹を括るしかない。
複数の大企業から内定を貰った友達に過去の面接の録音を聴いてもらい、ビシバシ鍛えてもらうことにした。彼は、適切な目的意識を持って適切な努力を愚直に行える男だった。
面接は、就活生そのものを見てもらうものではない。面接力を計るだけのゲームだ。僕は、ありのままの自分を受け入れてもらおうとすることを止めた。そんな考えは傲慢だ。髪も就活生仕様に固めてやる。全てのエピソードを彼に預け、添削してもらう。

その先に待っているのが何かは分からない。けれど、「人生を舐め腐って」いる僕なりに、食らった痛みを受け止めて、傷口を綺麗にコーティングして世渡りしてやるという決意表明を、この書き殴ったエッセイの結論に代える。

#エッセイ #コラム #日記 #就活 #愚痴

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