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僕の考える読書感と本の購入について〜「速読」と「遅読」〜

・読書感について

 最近巷ではどうやら「速読」なるものが流行っているらしい.書店に行くとやたらと「速読」についての本が並んでいるのを目にする.じゃあ「速読」ってなんだってことになるだろうから,一般的な認識から記述してみると,1ページを数秒で内容を理解して「速い」スピードで読んでいくことであるようだ.中には1日に何十冊,百冊まで読むという猛者がいるらしい(会ったことはないが).僕自身も本を読むのは人より速い方だと思う.小説などであれば,文庫本だと大体1時間程度で読めていた記憶はある(最近は小説を読んでいないのでなんとも言えないが...最後に読んだのは確か古井由吉かな).ここで僕は,決してこのことを自慢するつもりも毛頭ないし,他人に勧める気もない.小説だから「速読」で良いと思うこともあったりする(こんなこと書くと小説家に怒られそうな気もするが).

 本を読んでいて気が散ってしまったり,読んでいる内容の一部分を深く知りたくなってしまった時に,とりあえずこの本を読みっきてから他のことをやろうなどと考えて,とりあえず読み切り「良い本だった」「クソみたいな本だった」などと感慨に浸ることだろう.途中でそんなことを思わなくても,読書感に浸るという経験はあるだろう.これを僕は否定したいわけではない.

 僕の考える読書感のひとつに「本を読むことは,これからの行動につながる何かが得られる可能性がある」というものがある.また「読書」に関して,SHOWROOMの前田裕二社長がこのようなことを以前言っていた.「読書とは『行動』を発芽させる養分である.」と.この言葉にはすごく共感させられた.

 最近は哲学関係の本を読むことが多く,メモをしたり付箋をつけながら読んだりいている.特に,読みやすく考えさせられるものはメモが多かったり.しかし難しい本,最近なら西田幾多郎の「場所」(ありがたいことに読書会に参加させていただけているので)を読む際であっても,考えさせられることは多い.西田幾多郎の読書会の場合は,圧倒的な知識不足.これを感じさせられる.カント,フッサール,アリストテレスはもちろんのこと他の哲学者の考えをちゃんと理解していないのだと改めて痛感させられた.そこから何も行動しないのでは意味がない.とりあえずアリストテレス,カントからちゃんと始めようと思い入門書から読み直している.話が脱線するようだが,少し他のことについても書きたい.西田の読書会に参加していると,その前の時限でホワイトヘッドの読書会をやっているため彼の話が出てくることがある.ホワイトヘッドという名は聞いたことはあったが,正直どんな思想で,どんなことをメインテーマとしてやっているのかということはしらなかった(今も表層の表層しか知らないが).後で調べてみようと初回で思ったもののしばらく放置していた.つい1週間ちょっと前にやっと行動に起こしてみて,興味のある分野そのものについて研究していた人だと知り,自分の人生のアンテナの張り方の甘さを痛感させられた.(ちなみにホワイトヘッドの入門書として選んだのは,中村昇教授の「ホワイトヘッドの哲学」だが,すごく読みやすいのでぜひ)

 さて,話を本題に戻すと「読書」についてである.書を読みながら,時々立ち止まって考えたり,行動に落とし込んでみたりするのも良いであろう.僕の感覚では「速読」はその行動の「発芽」を阻害するように思えてしょうがないのである.ついでに言うと,小学校などでよくある児童,生徒が教師に指名されての教科書の読み上げ.これについても考えさせられることがある.基本的に棒読みか,止まったとしても漢字が読めなかったり,あまり学習能力の高くない子が指名されてしまい(ここに悪意や差別的感情は一切ない)途切れ途切れで読んでいると言うのが現状だったりする(地方の学校出身なので都会がどうかはわからないが,少なくとも地方の学校ではそうであった).ここに問題点があると考える.意味を考えながら読まないと価値がないと思うのである.ゆっくりでもいい.止まったっていい.考えて言葉を噛み締めながら読むことが必要なのではないだろうか.そういう教育があまりされておらず,棒読みで読み終わると「〇〇さんよくできました.」などといった社交辞令的なクズみたいな評価がなされるのである.ここで,本来なら「文章を読むっていうのはな...」という教えがあっても良いのではないかと思ったりするのである.音読ではなくても,黙読でもそうだ.言葉を噛み締めながら読んでいく.このことが重要なのではないだろうか.

 そこで僕が提案したいのが「遅読」である.これは物理的に遅く読むということではない.読んでいるうちに気になっていることがあれば,ちゃんとメモを取り,立ち止まって考えてみたり,他人とそのことについて議論を交わしてみたり,などといった行動をするうちに,ただ読んでいるだけの受動的な読みよりも,1冊を読みきるのが遅いというのが僕の考える「遅読」である.これは考えさせられることの多い本であればとても有効ではないだろうか.確かに小説のように具体的な事例や物語では一般化するのは難しかったり,現実離れしたものも多いだろう(とはいっても,物語の中で蠢く人々の感情だったり,情緒変動は趣深いものも多く,学ぶことが多い時もある.特に古井由吉や三島由紀夫ではそのように感じる.三島の場合は日本語の表現の方についつい重きを置いて読んでしまうが.).小説の場合は比較的速く読んだ方が物語の流れがすんなり入ってくるということも多かったり.僕は,ここで「速読」を全否定して「遅読」を推し進める.なんて真似はしたくないのである.「速読」によって多くの書を読むことにだって,情報を浴びるということには役に立つであろう.しかし「速読」ばかりを推し進めているこのご時世に「待った」をかけてみたいのである.「遅読」だっていいじゃないか.と.行動につながる読書だって楽しいぞと(人によって楽しいの基準は変わるであろうからこれは僕なりの楽しいということにしておく).「読書にから発芽した行動」ったいうのも価値があるように思えたりするのである.能動的に書を読み進めていくのはどうだろうか.まあ興味があればやってみて,経験した上で評価してもらいたい.

 また,簡単すぎる書を読むのもあまり好きではない.わかりやすいといっても何も考えることなく読めてしまっては,僕にとっては何の価値もない.書を読んで何か考えることのできるもの.そしてわからないことが出てくるもの.それが僕にとっての「良い書」だったりする.

・本の購入について

 先ほどから「読書」について記述してきたが,では「書」つまり本についてはどうだろうか.基本僕個人としては,読みたかったり,興味のある本はできる限り購入することにしている.理由は単純である.ひとつには本に直接書き込むことがあるから,図書館の本などといった借りた本ではそのようなことができないということが挙げられる.また,本は財産であり辞書の中身のようなものであると考えている.普段は読んでいなかったり,買ったままになっていたりしても,辞書に載っている言葉のようにいつか使うかもしれないので気になったり,興味が湧いた本,勧められた本はできうる限り購入するようにしている(ただの言い訳だと言われても仕方がないが...).とはいっても購入した本はできうる限り読んでいるつもりではいる.「つもり」は良くないのであろうが.

 最近の僕の悩みをここらで少し書き記したい.読みたい本がだいたい絶版で購入できない状態になっていたり,弊大学の弊キャンパスの図書館には置いていなかったりといったことが多い.絶版の本を購入するのにamazonで探してみたり(amazonで絶版の本を購入するのは高額請求されやすいのでご注意を),メルカリで探してみたり,古書店に足を運んで探してみたりしている.しかし何と言ってもなかなか見つからない.見つけられたとしても僕の財力では買えない代物だったり.世の中お金がやっぱり大切なんだろうなぁと思いつつ買えない不甲斐なさを噛み締めて店から出る.僕にパトロンがいてくれたらなとも思って.Twitterにamazonのほしい物リストを共有しているので,買ってあげてもいいよという人は是非そちらもよろしくお願いします.

 さて話を本題に戻すと,本を購入することには,一応僕なりの考えや,信条は存在していて,ただ闇雲に買っているわけではないし,そんな目的のない消費活動はやめたほうがいい.といった具合だろうか.ただ,本を多く買ってしまうとあれも読まなきゃ,これも読まなきゃ現象に見舞われる.もちろん多読するのも良いだろう.しかし上記でも述べたように一冊の本をじっくりと読んでから次へと行くのもまた良いのではないだろうか.ここに矛盾が生じていそうな気もするが.気になったものは買え,しかし短期間に多くの本を読むのは身につかないのではないか,両者は一見するとやはり矛盾を孕んでいそうな匂いがする.しかし,上記で述べたように,本には,辞書的な要素もある.そのことを踏まえればなんてことはない.

・最後に

 今まで述べてきたことはあくまで僕個人の見解に過ぎない.この考えを人に押し付けようなんて気は毛頭ない.それぞれの考えのもとで行動するべきであると考える.一番良くないのは,何も考えずに他人の意見を鵜呑みにしてしまうこと.これだけは避けたい.とりあえず試してから考えてみる.これはアリだと思う.しかし何もしてないのに本やインターネット,テレビの情報を鵜呑みにしてしまうのは良くない.まぁもっと良くないのはその上でその意見を人に押し付けることだが.色々考えた上で行動したほうが良いのでは.と僕は考える.これもまた僕個人の見解に過ぎないのだが.今回の記事が読者の皆さんにとって参考になるものであれば幸いである.

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