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大学時代の友人と飲みに行ったら、銀行を辞めることになった。

銀行は朝から晩までピリピリした雰囲気だった。
上司・先輩から毎日のように怒られた。
病院にかかれば、何らかの病名を診断されていたかも!?という状態が続き、毎日辞めたいと思っていた。

そんな状態でも(短期間ではあるが)4年間働き続けられたのは「銀行というブランド」があったからだ。

「どこに勤めてるの?」「○○銀行」「すごいね!」という会話で心を満たしていた。

金銭的に充実していたことも大きかったが、その銀行名を名乗れることがかなり誇りだった。

そんな細~い糸に必死にすがっていた私に、糸が切れる、いや切られる瞬間が来る。

久しぶりに大学の友人と飲みに行ったときのことーーー

みんなで大学時代の話をしたり、現状を報告しあったりした。

教員として頑張っている者もいれば、上場企業で苦労している者もいた。

そして、私はタイミングを見計らって自分のことを語り始めた。

そのときはちょうど有名企業の名前が飛び交うような部署で働いていて、自身もこれからそうした企業を担当して何億、何十億の案件を推進していこうとしていた矢先だった。

だからこそ、かなり自慢気にそういった類いの話をした。

銀行の同期と話していればきっと「すげーな!!(本気)」といった反応になるだろうところである。

が、友人の反応といえば、

「すげーな。(棒読み)」

といったものだった。

(……あれ?何か思ってたのと違うぞ?)
(……そうかそうか、名刺でも見せればきっと分かってくれるはず!)

そう思った私は、今思えばかなりイタイのだが、「名刺でも渡しておくな~!」と自ら名刺を配り始めた。

(……これでドヤッ!)

みんなの反応は、

「おぉー(棒読み)」

そのとき、糸がプツンと切れる音がした。

誇りに思っていた銀行の名前を出しても大した反応ではなかったのだ。
大学の同期なので私の就職先は知っており、そこに驚くことは無かったのかもしれない。

しかし、
これだけしんどい思いをして働いて、
銀行の中では割と良いとされる部署で働いて、
大きな金額を動かす案件を担当していたとしても、
第三者からすれば「あ、そうなの?」という程度のことだと、そのときに初めて知ったのである。

この瞬間、心のよりどころだった銀行のブランドが崩れ去り、銀行を「辞めたい」から「辞めよう」に変わった。

そして、この大学の友人との飲み会から数日のうちに、本格的に転職活動をすることにした。

その後、色々と縁あって地方自治体(公務員)に内定し、銀行に辞表を提出したのである。

そして今は公務員として、割と穏やかに日々を過ごしている。

むしろポジティブに転職を考えることもある。
本当に自分がやりたいことは何なのか、
世の中のためにできることは何なのか、
といった具合だ。

「怒られるから辞めたい」等のネガティブなものではない。

思い返せば、銀行員時代、上司から「銀行以外の人との接点を増やせ」とよく言われた。
組織外の人と接することで、視野が広がる、と。

銀行以外の人と接したことにより、狭かった視野が広がり、転職につながった。

大学時代の友人に感謝したい。

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