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定性評価が定量評価を上回った話

先日、「管理職になるのって、怖くね?」という記事を書いた。

記事のなかで、「公務員の場合、定性評価しかない。私は私情を挟んで評価してしまうから、私には管理職は無理!」という内容を書いた。

これを書きながら、高校時代の体育の授業を思い出した。

高校何年生かの何学期かは忘れたが、その学期の体育は「バドミントン」だった。

授業は準備⇒ウォーミングアップ⇒練習⇒試合⇒片付けという流れだった。

メインは試合である。

学期を通して総当たりで試合をしていき、授業毎に勝ち負けを先生に報告するというものだった。

私の高校にはバドミントン部は無く全員素人だったので、バドミントンが得意だった私はクラスの男子全員に勝った。

17勝0敗、1番、優勝である。

となると、この学期の定量評価は一番高いはずである。

クラスの男女で別れて授業をしていたが、成績自体はクラス全体でつくため、女子が1番になったとしても最悪2番だろうと予想していた。

しかし、

この学期の成績はクラスで8番だった

1番だったのは、体育の先生が顧問を務める部活に所属している友人だった。

その友人の体育の成績は、毎回のようにトップ3以内だという話は聞いていた。

でも、私はバドミントンでその友人に勝った。

17勝0敗にも関わらず8番…
少なくとも私に1敗している友人が1番…

定性評価が、定量評価を上回った瞬間である。

もう一度言うが、この授業のメインは試合。

試合に無敗の私が8番ということは、
①試合以外の定量評価で順位を落としている
②定性評価で順位を落としている
のいずかに該当することになる。

しかし、①試合以外の部分となると準備、ウォーミングアップ、練習、片付けになるが、まずこれらは定量評価は出来ない。
なので、定量評価が試合以外の部分で落ちることはないはずである。

となると、②定性評価で順位を落としていることになるが、ここに問題は無かったと思っている。

輪を乱すようなこともせず、何なら準備や片付けを率先してやっていた。

順位を7コも落とすほど関心・意欲・態度は悪くなかった。

(自分が1番になれるほど得意なスポーツで、マイナスな姿勢を見せる必要があるだろうか)

そして、1番になった友人が定量評価を覆すくらい、群を抜いて定性的な面で優れていたとも思えない。

先生ではないのでどのような評価軸、評価基準があるか分からない。

もしかしたら定性的な部分で私に落ち度があったのかもしれない。

でも、私には先生の私情が挟まれているとしか思えなかった。

企業で例えるなら、営業成績トップの人がボーナス査定時に順位を7コも下げるようなことがあるだろうか?
(致命的なミスをしていたらあるかもしれないが)

こうした違和感を持つような評価体系なら、わざわざ順位付けをしなくても「可」か「不可」かで良いのではないか。

評価基準が曖昧な定性評価が定量評価を上回ったこの経験が、「公務員の定性評価のみ」という評価体系に違和感を持つようになった原体験なのかもしれない。

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