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【ナレーション風原稿】戦艦大和

1937年11月4日。
83年前のこの日、日本の片隅で、巨大な建造物が密かに作られ始めていました。

『戦艦大和』
 
世界最大最強とうたわれた、超弩級(ちょうどきゅう)戦艦。
その大きさは、全長263メートル、幅約40メートル、高さ約50メートル。
現在の東京駅が全長335メートルと、大和より70メートルほど長いのですが、幅と高さはちょうど同じくらいです。

あの東京駅がまるごと船だったらと想像すると、どれだけ巨大な戦艦だったか、少しイメージできるのではないでしょうか。
 
戦後生まれの私たちには「宇宙戦艦ヤマト」の方が耳なじみのある方も、多いかもしれません。
これは1970年代に大ヒットしたSFアニメ作品で、作中では海に沈んでいた戦艦大和が改造され、宇宙戦艦ヤマトとして宇宙に旅立つ、というストーリーになっています。
大和が実際に建造された広島県呉(くれ)市の駅では、列車の接近メロディに、宇宙戦艦ヤマトのオープニングテーマが採用されています。
 
今回は、技術大国日本が、その技術の粋(すい)を集めて建造した戦艦大和の「大和に込められた職人たちの技術」をテーマにご紹介します。

戦艦大和には、様々な最新鋭の技術が搭載されました。
これからご紹介する技術も、その一つです。
今となっては当たり前にどこのご家庭にもあるもの。
皆さんも今上を見上げれば、発見できるのではないでしょうか。
そう、「蛍光灯」。
これを初めて装備した艦艇(かんてい)が、戦艦大和でした。
八十年前の明かりといえば、まだオレンジっぽい白熱電球が主流です。
温かみのある落ち着いた色合いである反面、真っ暗な部屋であのオレンジ色だけを頼りに作業をすると思うと、気が滅入ってしまいそうですよね。
特に軍艦は光が外に漏れると、敵に自分の位置を教えてしまうことになるので、密閉した空間にならざるを得ません。
命のやりとりをする緊張下で、白熱電球のオレンジ色に照らされるのは、どれほど心細かったでしょう。
また、光の色による精神的な苦痛に加えて、白熱電球はかなり熱を発するので、密閉された部屋は温度が上がってしまって大変だったようです。
この問題に対して、日本では、やっと試作に成功して間もなかった蛍光灯について、現在の東芝が共同で開発・実験・製造を進め、苦心の末、初めての採用が決まりました。
 
一般家庭に広まったのは一九五三年ごろからだと言われているので、その十四年も前に革新的な環境の変化をもたらし、軍事機密の一つとして扱われていた「蛍光灯」。
普段、当たり前のように使っているこの光も、今日は少し違う見方ができるかもしれませんね。
 
東芝だけでなく、NEC、トプコン、ニコンなど、現存する様々なメーカーが大和建造に尽力しました。
他に、どのような技術が詰め込まれていたのでしょうか。それはまた、次の機会にお話することにしましょう。

今回はこのへんで。また、歴史の道標(みちしるべ)の導きで、再びお会いすることができますように。


※こちらの文章は別名義「Raia(らいあ)」でも別媒体で投稿しております。