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七色のポエジー(書きとめておきたい古今東西の詩句)

第261回 見者の手紙(ランボー)

Je dis qu’il faut être voyant, se faire voyant.
Le poète se fait voyant par un long, immense et raisonné dérèglement de tous les sens.
 (見者たるべし、見者となるべし、と私は言うのです。詩人はあらゆる感性の長期にわたる広大無辺でしかも理に即した錯乱によって見者となるのです)
 
 フランスの詩人、アルチュール・ランボー(Arthur Rimbaud, 1854~1891)が友人の詩人ポール・ドムニーに送った「見者の手紙(la Lettre du voyant)」から。16歳のランボーが詩人として宣言したこの手紙で、既成概念にとらわれた伝統的なフランス詩を徹底的に排撃した。
 ランボーはベルギー国境に近いシャルルヴィルで軍人の次男として生まれた。6歳の頃から父は家に寄り付かなくなり、母親が一人で4人の子を育てた。ランボーは学童のころから神童と称される優等生だった。
   シャルルヴィル高校に進んだ15歳のとき、修辞学の教師イザンバールと出会う。その影響で詩作を始めた。その年、ランボーは家出して普仏戦争下のパリに向かう。しかし、無銭乗車が見つかり、送り返される。
   以後数か月の間に2度家出を繰り返し、北フランスやベルギーを放浪する。この間にさかんに戦争詩を書き続けた。イザンバールを介してドムニーと知り合い、「見者の手紙」を送ったのもこの頃である。
 

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