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重症妊娠悪阻とかなんだったのか。の記録

最近、幸せの絶頂だったはずの「妊娠中の写真」が出てきて、あまりのミイラっぷりにびっくりしました。

ガリガリでお腹だけ出てる、って、餓鬼感がすごい。

病歴だけは波乱万丈な人間なので、妊娠中は重症悪阻になり、2ヵ月ほぼ固形物が食べられず、点滴のみで即身仏と化していました。

ほんと、若い頃の大けが「膵臓完全断裂」にまさるとも劣らない苦しさでした、妊娠。

あと、産後もまたこれクラスの試練が来るんですよ。

ボーっと生きている割に、けっこうサバイバー。

そんなこんなで、過去の日記をお引越し。

下の文章にも書いてありますが、当時、

「つわりが酷い時って、親より子のほうが徳が高いらしいよ」

と聞いて、「こんなにひどいなら、天上天下唯我独尊、くらい言いながら出てきてくれなきゃわりにあわないんだけど」と心のなかで切れ散らかしていたところ、産まれた娘は、気を使ってかしきりに「釈迦のフリ」をしていました。


釈迦のフリをする愛娘・ポコ(仮名)


2ヶ月もの間ほぼ寝たきり状態で、お仕事関係者の皆様にも家族にもご迷惑をおかけしましたが、ようやっと「あ、雪だ…」と、外の景色の変化にも気がつく程度に回復してきたようです。

あまり、苦しかったり辛かったりすることを書き残すのもどうなのだろうなぁ?できれば喜ばしいことを残したいけど…。とも思いつつ、いろんなケースがあるつわりの一例として、記録しておこうかなと思いました。

この2ヶ月、ほぼほぼ屍状態というか、ミイラのような生活でした。髪をとかすことも満足にできず、ピークの時はあまりの辛さに錯乱状態で、ただ点滴をして、断末魔のうめき声をあげながらのたうち回っているだけだったように感じます。

もともとネガティブな性格で、妊娠出産を楽観視するタイプではなかったはずなのですが、それでもなお想像の斜め上をいくトラブルでした。

妊娠に関しては小さな頃から漠然と恐れを感じていて(小学校の頃男子に「女子ざまぁ。子供うむとき女子はお腹を切るらしい。おとこでよかった」と雑な知識を入れられたせいもありますが…)、「私はアフリカから養子をもらおう」と、どこのハリウッドスターだ?的な考え方をする子供で、さらにうっかり幼児教育学科でネグレクトとかノイローゼとか勉強しちゃって「女の一生」に関する恐怖に拍車がかかり、夫と出会うまでは、

「できれば、なんとかそこらへんはひとつ避けて通れたら…」

くらい怖がっていました。

結婚後は、「夫に似てたら、子供っていいかも?」と考えが変わったとはいえ、妊娠が発覚した時は、「ありがたいな。」という感謝と同時に、

「この年まで好き勝手自由にやってきたわたしにとっては修行並みに大変だろう。仏門に入って滅私奉公する覚悟で挑まなければ」

と、割りとシリアスな覚悟で挑んだはずでした(こんなに髪もとかせないような事態に陥るなら剃髪しておけばよかった…。)

それがいきなりの、1ヶ月ほぼ絶食2ヶ月目も流動食をごくたまに口にできる程度、吐き続け、連日、極度の車酔いかノロ並みの苛烈な気持ち悪さで、車なら数時間、ノロなら二・三日で終わるものの延々と続き寝たきり…修行は修行でも、荒行すぎるだろう。2ヶ月断食とか、即身仏にでもなるつもりか?と…。

で、断食の次は、生まれたら生まれたで不眠の行があるわけで、どんな大阿闍梨レベルの荒行なのかと。

知人から

「つわりが酷い時って、親より子のほうが徳が高いらしいよ」

という都市伝説で慰められたりもしましたが、もうそれなら「天上天下唯我独尊」くらい言いながら出てきてくれなきゃわりにあわない…もしくは親の私の徳がどれだけ低いんだ?と思ってしまいました。

山で断食や不眠や滝行などの荒行をする僧は、あまりの辛さに自害しないように刃物をとりあげられるそうですが、自害するつもりはまったくないけど、喉の苦しさから一瞬でも逃れようとしてか無意識にマフラーを首にキツくぐるぐる巻きにしていたのに気がついた時には、マフラーを棚の奥に押し込んでしまいました。

いわゆる俗世間的な意味でも残念なことも数多くあったように思えますがそれに関しては残念に思う余裕すらありませんでした。

結婚記念日のディナーもクリスマスも年末旅行もお正月もそのほかイベントごとはオールキャンセルで、三度の飯より好きな書く仕事も半分失い…。そんなオプション的なことを残念に思う気力も無いほど、ただただ体が苦しかった。

極限まで体が苦しい時は、体の外の喜びや美しさなんて所詮、内側から押し上げてくるものと比べたら二の次三の次ですね。

どれだけ美しい場所にいても環境を良くしても、素晴らしいものを与えられ褒め称えられても、自分の体から脱出できない限り、死にたいほどの苦しさからは逃れられないものなのですし。(痛み止めなどで緩和ケアができる苦痛はまた別ですが)

のたうちまわって苦しむ人間にとって、1ヶ月なんて永遠と同じことのようにも思えました。

さらに

「つわりはいつか終わるけど、いつの日か必ずくる死の床では、即死しない限りまた再びこんな、もしくはもっと苛烈な苦しみを数ヶ月味わうのかな…。」

と、どこにも出口の無い考えるだけ無駄な厭世観に包まれたり、ホルモンのせいとはいえ、マタニティブルーもひどいものでした…。

そんな時、夫は要介護状態で入院も嫌がる私のために、家事はもちろん、食材を擂り潰したシチューや雑炊など、一口でも口から栄養がとれる工夫をしてくれて、工夫して作ったものを吐かれても心配してくれて、医療費控除の計算や年賀状の準備もたった1人でテキパキこなしてくれて…ありがたすぎて、多分もう一生頭があがらない感じです。

本当に、私と同世代の妊婦さんでも、臨月まで会社で元気に働き家事もこなす素晴らしい奥さんもたくさん身の回りにいるのに、こんな嫁なばかりに介護のようなことまでさせてしまいありがたいやら申し訳ないやら…。

みんなに心配をかけたくなくて、死にかけの猫が人目を避けるように雲隠れしていたのに、パジャマや靴下を送ってくれたり気にしてくれた友人や家族、欠勤し続ける私をなんとか復帰させようと仕事をカヴァーしてくれた職場の同僚、みんなにたいして、ようやく物を考える余裕ができて人間の心を取り戻した今、ありがたすぎて涙が出ます。

一番苦しく錯乱していて、こんな苦しみに満ちた世の中になにも知らない無垢な子をひっぱり出してしまうことすら良いことなのか分からなくなっていた時、よく考えたのが一昨年98歳で亡くなった祖母のこと。

晩年は寝たきりになり辛そうな言葉も増えた祖母。人より長く生きるということは、不自由な体や精神から逃れられない時間が長いという意味では、苦しいことだと思います。

そんな中で、私に子供がいると思い込んで

「あんたんとこの子を連れてきて」

と、ひ孫を楽しみにしていた祖母のためなら、がんばらなくてはいけないな。と、一番苦しい時期に、何度も考えました。

シンプルに、ご先祖様のため、ということでしょうか。なんとなく、自分を励ます考え方としては、それが一番ストレートに効いた気がします。

今もまだ、体調は良くないですが、こうやってインターネットができるくらい回復しました。

精神的にもまだまだマタニティブルーですが回復期ではあるようです。

「こんな苦しみの多い世の中に生み出すなんて」というより、「だからこそ健康に生み、健康に育てられるようにがんばろう」の方向に軌道修正していこうと思えるようになりました。

やっておけばよかったな? と思うのは針灸。未体験なのでなんとも言えませんが、インターネットができるようになって検索したら、家まで出張してくれるつわり専門の針灸師の方がいるみたいで、まだ気力があるうちに、調べておけばよかったなぁ。と。

やっぱり、あらゆるトラブルを見据えての事前の調査と計画、って大事だったりしますよね。

あまりに点滴をしすぎて、点滴で長時間固定されることに対して軽いパニックのような緊張状態になるようになってしまったので、産科では、それも含めてよく相談して調べてゆきたいと思います。

とりあえず、外出ができてご飯が口から食べられて家事もできる健康体になりたいです。健康体になってこその子育て!できれば体力作りにマタニティヨガとかも通えるくらいに回復したい。

そのためには、8キロ痩せた屍のような体をもとに戻さねば。今は、ベイマックスみたいな丸っこくてふわふわした、元気そうなおかんが理想の姿だったりします。主治医の先生に注意されない程度に太りたいなぁ…。

※↑上記の希望は割りと叶ってます(ベイマックス)

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