Cift #8 ~拡大と深化 コミュニティあるある~


■Ciftは拡大することにした

2018年が明けて間もなく、Ciftは拡大することにした。これからどんどん人数を増やすのだ。なぜか?それはCiftの究極的な目的である「世界平和」を達成するために必要だからだ。

順を追って説明しよう。そもそも2017年夏、このブログの冒頭のエントリーでCiftの概要について触れた際は「ともに暮らし(拡張家族)、ともに働く(協同組合)、多拠点生活のハブ」と説明した。しかし、そのエントリーでは詳しく触れられなかったが、これは手段であって目的ではない。

家族も、働き方も、住む場所も、所与のものではなく自分で選んでいく。そして選択の基準は価値観なのだ。(一切触れられなかったが、ここで言う価値観とは究極的には世界平和、個のためではなく全体のためにという精神である) ※冒頭エントリーより

Ciftの目的は世界平和であり、ともに暮らしともに働くことは、そのための手段ということ。ここで言う世界平和とは「個のためではなく(厳密には個を満たしたうえで)全体のために」という意識の変容を社会全体に広げていくこと。それを「ともに暮らしともに働く」というスタイルを通して(=手段)その変容を実現するのだ。

Cift立ち上げ当初からこの目的と手段ははっきりしていたが、上で言う意識の変容を社会全体にもたらすためには?という点を突き詰めていくなかで、その一つの手立てとしてCift自体の拡大が明確になったのだ。つまり意識変容の媒介者を増やすと。

■心のざわつき

今回の拡大、もともと設定していた目的と手段を鑑みれば、問題ないはずである。いわんや、“拡張家族”を標榜するのであればなおさら。

しかし、いざリアルになると自分の中に少し違和感が生まれているのが正直なとことろだ。

この違和感をもう少し具体的に言うと、「彼ら全員を家族と思えるのか?」ということだ。仮に時間をかけて一人ずつ増えるくらいなら、ちゃんと対話を重ねることで受けいられる気がする。
しかし、いまCiftでは月に4〜5人くらいのペースで増えようとしている。さらには今後は渋谷キャスト以外の拠点が鎌倉、京都と増えていき、そこでもさらにメンバーが増えていく予定だ。たとえば、他拠点の会ったことのないメンバーまで家族と思えるのか?心がざわつく。

そんな違和感を一部に伝えたところ、「それはCiftのメンバー自体に依存していて、自分に意識が向いているんじゃない?」と指摘された。世界平和と言うCiftの存在目的を考えれば受け入れられるはずなのに、今のCiftメンバーたちとの間で築き上げた自分にとっての居心地の良さを優先してしまっている、と。
自分の心のざわつきの出元が利己であることを知り、愕然とした。

■拡大と深化の動的平衡

一方で、そんな自分の利己的な感情はある程度は素直なものだと思う。
ふつうコミュニティが立ち上がればそのメンバーに意識がいくだろう。対話し、人間模様を観察し、距離感をはかり、許容しあう。そうして相互理解を深め、居心地の良い状況を探っていく。これがコミュニティを深めることだと思うし、今の自分にとっては、Ciftに対してまさに深めるフェーズだと感じている。

しかしCiftは深化と同時に拡大しようとしている。拡大すればふつうは比例して薄まるものだ。そのコミュニティが大切にする理念?は浸透しきらず、文化が揺らぐ。しかしCiftはそこを薄めずに深めようともする。相反する動きを動的平衡させようと挑戦しているのだ。

これはもしかしたら、ベンチャー企業の急成長で抱える悩みと同じなのかも知れない。あるいは何かのファンコミュニティでもまたあり得そうだ。
拡大することは喜ばしいことなのに、うまくその文化を継承できない。あるいは古参メンバーが“閉じて”しまって、ノイズの原因になってしまう…等。

Ciftがいくら高尚な理念を唱えていても、結局はコミュニティの一つであり、このような“あるある”にもぶつかってしまう。そんなことを感じた一つの出来事だった。もちろん、そう感じているのは自分だけで、自分自身の未熟さが原因ということも大いにありうるが。。。

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