2014/11/4 「地域資源」なんて言うけれど……

11月2日3日と1泊で新潟県長岡市の山古志地域に観光に行ってきた。

目的は山古志の「牛の角突き」を観るためだ。11月3日が今年の千秋楽。3mを超える雪が積もる山古志ではこれから冬支度が始まる。春まで集落は雪との戦いが始まる。

山古志の「牛の角突き」は千年前から始まったと言われている集落の娯楽で、今では「国指定重要無形民俗文化財」に認定されている。その理由は「すべて引き分けで終えるから」だ。日本の中で勝敗をつけず引分けさせるのは新潟県の闘牛だけのようである。

「引き分け」にする理由は、運搬や農耕の貴重な働き手であった牛は、昔は各家で飼育されていた。その牛を戦わせるのだが、勝負をつけてはしまっては戦った家同士でも遺恨が残る。何より牛が再起不能になっては農作業などに問題が出る。故に、牛がぶつかり合い、盛り上がったところで、牛の勝ち負けが付く前に引き分けとして、勝負を終えるのだ。小さな集落の和を乱さないための工夫、悪く言えば閉鎖社会の同調圧力で生まれた独自の文化である。

ただ、口で言うのは簡単だが「引き分けさせる」のはなかなか大変だ。というのも勝負の最中に気が高ぶっている牛同士を同時に引き離すのだ。牛は1tもの巨体で決死の勝負の中で興奮状態なのだ。引き分けにするために、この牛を制しようとする勢子と、最高に気が立っている牛との戦いが始まるのである。江戸時代のベストセラー、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」の中で越後の牛の角突きの話が登場する。牛の「須本太」を、怪力の持ち主の「小文吾」が角をつかみ制止させるというストーリーは、この「引分けさせる」ためにできたものなのである。

さて、この山古志に向かうにあたって、事前学習をしておこうということで、新潟大学の図書館でこの本を手にとった。

宮本常一の没後30年を記念して農山漁村文化協会が出版した「宮本常一とあるいた昭和の日本」。今回、初めて手にとったのだが、すごいの一言。実際に地域の中に入って話を聞き、生活をした様子がありありと書き記されており、失われつつある農村文化を垣間見ることができる。私にとっては衝撃、新鮮だが上の世代にとっては「懐かしい」と思うかもしれない。ぜひ手にとってほしい良書だ。

ここに書かれていた山古志の話はとても興味深かった。山古志は長岡や小千谷から車で約30分と比較的近い、しかしほとんど平地などない、険しい山間の集落だ。加えて現在でも3mを超える雪が毎年降る。昔は6m以上も平気で積もっていたそうだ。正直、「何でこんなところに住もうかと思ったのか?」と思うような土地だ。山間の集落は、1つは街道の通り道として発達したケース。もう1つは平家の落人伝説などのように、世間を捨てて隠れ住んだケースがあると思う。山古志は昔の主要街道もなく、落人の話も聞かないから本当に一体何で住み始めたのか不思議でしょうがない。それはさておき、本の中では1970年代前半に宮本常一の部下が山古志を取材した様子が詳細に記されている。山古志についてのエピソードはぜひご一読頂きたいのだが、私は別の所で大きな衝撃を受けた。

この取材は1970年頃、今から40年以上前に「失われつつある日本の農村文化を守ろう」という意図があって宮本常一が主宰した近畿日本ツーリスト株式会社・日本観光文化研究所によってされた。そして調査員は「伝統」や「古いもの」といった地域資源に価値が宿ると思い、村人から話を聞こうとする。しかし、山古志の村人の多くが「古(ふる)しいこと」を聞かないでほしい。ようやく錦鯉の養殖販売で山古志が近代化しつつあると言う時に、古しい、みっともない話を聞かないでくれと怒るのだ。それは調査員がある集落での取材を断念するほどだった。

私はまず第一に1970年から地域資源を守ろう。それを観光資源にしよう。という取り組みがあったことに衝撃を受けた。

今の時代、田舎暮らしや地方が注目され、「古しい」ものが大切だとしきりに言い始めた人達がいる。私もその一人だ。しかし、今から40年前からずっと言っている人たちがいたのだ。きっともっと前からそういう人たちがいたのだろう。しかも、宮本常一が主宰した日本観光文化研究所は、研究所とはいえ観光業を営む近畿日本ツーリストが取り組んだのだ。ずっと、田舎の農村文化を守ろう。さらにはそれをビジネスにしようという人たちが居たということだ。

第二の衝撃は「それでもこんなに廃れてしまった」ということだ。1970年の本の内容を見ると、私などはまさに魅力の宝庫な気がしてしまう。しかし、そこに暮らす山古志の人はそれを捨てたのだ。捨てて、近代の便利な暮らしを選んだ。それがダメだというのではない。40年以上前から、守ったほうがいいと言っていた外部の人が多く居て、それでも守れなかったのだ。

地域資源、地域資源と色んな所で言われるけれど、この40年でどれほどの資源が失われてきたのだろう。近代化という波、便利さや快適さという波には敵わないのだろう。1970年代からこれまでがそうだったように、これからもきっと。

最後に

山古志の牛の角突きは非常に見応えがあり、面白かった。しかし我々はこの角突きもある種の「断絶」があることを知らなければならない。かつて、各家で飼っていた牛を戦わせようと始まった娯楽だが、今は闘牛用の牛は同じ業者に委託され、まとめて飼育されている。角突きという行事は(一時の中断はあったものの)続いているが、そこに含まれる意味は変わったのかもしれない。


2014年11月4日

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唐澤頼充

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