お暇をいただけば

とにかく"のんびりしなはれ"ということやろう

ここ数日の情報に対して
テレビを見たら簡単に動揺できてしまう。
でもインターネット上では家にいよう、と相手をし面倒をみてくれる音楽家などがいて安心する。
その反面、直接ありがとうも言えず(その機会は疫病の心配がなくなれば設けられるのに)でも、あまえてしまう。

あまえてしまえる、ということは大切なこと。

こないだ会社のひとが来てくれて、話のしやすさと声のよさと、言葉の使い方が心地よくて、つい好き放題いうてしまった。
ほんとうに"いうてしまった"感じ。
でも、するすると改善・解決へと持っていける行動力に、うっかりすきになりそう。ていうか、すき。

おもろい本や音楽、考えや取り組みをみて
ほうほうと過ごす毎日。
その楽しみを与えてくれるものは、わりとたくさんのひとの力が要るそうで、自粛対象になりがち。
うぜー!とか思いがちな誰かの放つ熱気やら、お洗濯もののくささ、当たってしまいそうな腕や絶対に近寄りたくない汗だくのひとが、もう懐かしい。ライブへは当面きっと行かれない。

子どもの頃のように、寝そべって、本を読んで、陽にあたって、おやつをたべて、音楽を耳のそばへ閉じ込めて、外を眺めて、ラジオをきいて。のびのびしようか、と思う。
たまには、大人がいなければ電車へは乗れないなどの不自由もいいんやないかと思い始めている。

わたしは、いま
ベッドの上以外は海だと思って、ぐうたらしてる。

たらたら