失礼を承知で。恋愛とはなんだ

既婚のおじさんに
本気で人をすきになったことがないやろう!と
大きな声で言われたことがある。
職場の就業時間ぎりぎり引っ掛かるくらいの時間に。

大学生のとき、よく
ほんとうに、そのひとがすきなのか
と聞かれることが多かった。
それなりに魅力は感じたはず。
えぇ他のひとにはない、何かが。
それが恋愛に直結する 特別な何かだったのかは
わからない。

最近YouTubeで おネェだの、オカマだの
そういうカテゴリーに属そうとする
ゲイを公言するひとたちなどのチャンネルみてる。

べつにゲイだから見てるのではなくて
お洋服だったり、お話しだったりが面白く
いや~な高い美意識も感じずに
芸術的にきれいな印象があって
すきだ。
あほみたいにゲラゲラ笑い合うのも、いい。

ふと、そのチャンネルをみていて
恋愛相談だとか、そういうのを見ていて
恋せぬふたり のドラマを見て
恋 の概念とは、なんなのか(しかも共通認識的なものがあるだろう?)
恋愛対象を公言することのメリットとは何か
不思議だ。
そして恋愛の定義や概念がしっかりしていて
公言する自信があるのもすごい。

え、恋愛て1:1でないの?
公に恋愛観さらす必要ある?
それくらい嫉妬してるのだと思う。

そんなことを言いながら
いま 気に入っている人がいて
隣にいても気持ちわるくないし
かわいいし
いいところ(主に誠実さ)が分かりやすく
大胆に、こないだ腕を組んでみたりした。
正直いうと調子に乗った。
一緒に歩くことが、うれしい
遠方から来てくれたことが、うれしい
声が聞けて、互いに疎通ができることがうれしい
その上、ふたりきりになり
~すき!と脈略のない すきの連発を聞きつづけ
(まじポニョ並の、すきの使い方)
調子に乗れない理由はあるだろうか。
いや、ない。

よく自身のことを おじさん、と言い
だからなんや!と思いつづけている。
(しかも、しつこい)
そして今回のポニョ並の すき の乱発
仕事に対しての姿勢や、細やかさ
訳のわからん大胆さと、無邪気さと
バランスが面白い。

これは、恋か

とにかく一緒にいる、とか
連絡をとれる状態になる、とか
親密になりたかったので
手っ取り早い思いがあふれてしまった。
恋人として、異性として見てほしい
めっちゃくちゃなことをいった。
特別にしたかったし、されたかった。
それが結論的に望んだことが、恋愛関係だった。
正直、なぜか父親との関係性がわるかったせいか
異性と友だちになる概念がなく
共に歩くとか、触ったり触られることが
野性動物並に苦手だ。
それが いやじゃない相手 が現れた
ついに!わたしも人間として新しい感情が
芽生えるのではないかと思った。

これが、恋か

半ば無理やりに恋を自覚しようとしたのかもしれない。

異性としてみてほしい、と伝えた結果は
仕事がんばってる
仕事がんばって

また  ~すき!のポニョに戻ってしまった。
わたしに向き合ってくれなかったのだ。

いや、正直 意味がわからない
拒まれた気がしないんだが。
いや拒んだように見せなかっただけかも知れない。

その数週間後
職業上の電話で話すことや
仕事上での悩みを半ば なんとかする!
みたいな名目で話すこと45分
(びっちりと、困っていることを聞き取りされる)

恋を、人間としてみたくて
たまらない!知りたくてたまんない!
みたいな、わたしにとっては
お次の方どうぞ に思うべきなのに
まだまだ諦めたくない。

それから、話すことも会うこともなく
やきもきする日々だ。

それが秋の終わりだったので
季節のひとつ分くらいは、困っている。
わがままな、自分に情けなくて
わりと泣いている。日々。

はやく前へ進むのだ、と思う。
そして占いへ行ってみたが、過去のことは
しっくりきてないし
恋愛についても納得いかないレベルで
どうしようもない。

はやく、さまざな憧れや気持ちが
なくなればいいのに。
アイデンティティみたいな顔して
わたしの中に居座るのは、やめてほしい。

けど、思ってしまう。
だれか、わたしに恋を教えてほしい

最終的な終着点は、家族という集団をつくりたい。
ホームドラマのような。
そのお相手は、触ったりすることに抵抗のないひとがいい。

そうだろう?

焦りもあるのだ。

お次の方を待ってみるのだ。