顔と顔学

6. 顔と顔学

前章までで、美に関して諸々の考察をしてきた. この幅が広く奥が いたった一言,「美」を,見出したりあるいは初造するキャンパスー ある「顔」について、ここから「9. 顔の情報とコミュニケーション」は で考察する。

人の数だけの顔がある。 すなわちすべての人はそれぞれの顔をもち、 すべての顔はほかのすべての顔と異なっている。しかも人は決して自分 の顔を見ることはできない, したがって,人が顔をもつのではなく、新 が人なのである。なぜなら, 顔はモノではない, ものならばもっことも でき見ることもできる。しかし人は顔をもつことも見ることもできた い"、顔は他人に見られることによって生きているのであり他人の顔 は私が見ることで活きてくる!

今,顔はモノではないと言った、しかし、テレビなどでは画面には顔 だらけであるしかもその顔はじろじろと眺めることのできるモノと しての顔にすぎず,本当の顔はそれほどじっと見られるモノではない。 通常の人間は視線が合うと、本能的に目をそらす。 そのようなモノが顔 である。ところが, テレビで大写しされる顔は, そうではない。胃が健 康であり普通に機能しているときは,胃の存在すら忘れるくらい胃のこ とを誰も考えない. 同じことが顔についても言えるのではないか。 顔は単に人間の本質を意味しているのではなく、 まさに、人間の本質

が顔に現れ、他人の顔と合わされ、つながり、触れ合い。他人のなかに 出され、他人に見られるすべての衣装は顔と調和し、 顔を引き立たせ るようにデザインされている。 裸の全身を鈍に写すと,.陽に刻けた顔あ るいは化粧のあとの見える顔から下半身が頼りなげに遊離し, 行きどこ ろを失い,困惑し, 狼狙し、顔との結びつきを回復するために衣装を求 めているのが認められる".
は、同じバーツによって作られているにもかかわらず, さまざまな 姿を見せる。人間の顔は面日い.日や券口などの感覚器官が集まった 場所でありながら、その表情を使い分け喜怒哀楽を表現する。喜んだ 歩しんだり.驚いたり、微妙な心の変化を顔は鏡のように映し出 す。また、顔はさまざまな情報を交換する人と人とのコミュニケーショ ンの道具でもあるさらに,日や鼻など顔のパーツの大きさ, 形,配置 美しい顔とか、 醸い顔といった容貌を決めたりもする。 人は互いに 相手の顔を認識し、個人の識別を行うとともに,相手が何を考えている かを推察する。その推察が必ずしも正しいという保証はどこにもないの だが、それでも相手の顔からはさまざまな情報を取得していることは間 違いない、このような多様性をもった顔をチャテングらは「目次と しての顔」と表した。

顔は個体変異の最も顕著な部分であるため,日常の個人識別は概ね顔 で行われ,人種間の差異もこの部分が最も著しい.顔(face) は、ラテ ン語 faciaに由来し, 動詞 facio(作る・実行する)から派生した名詞であ る。一方,フランス語では「ヴィザージュ」(visage), ドイツ語では「ゲ ジヒト」(Gesicht)といい, これらはともに、「見る」という動詞から派 生した言葉であることから明らかなように、それが見えるということ は、自明のこととされている. 人には自分が誰かから見られているとい うことを意識することによってはじめて,自分の行動をなしうるという ところがある。

私たちの顔は、おおざっぱにいえば、 脊椎動物として5億年, 輔乳類 として1億年,霊長類として6千万年,人類として450万年, アジア人 として6万年,そして日本人として2万年の歴史の過程で形成された。 われわれは常に美しさを求めて, 美術作品や自然の風景を眺め,さらに 身近なところでは顔姿や立ち振る舞いの美しさを通して快い感情をも つことができる。 人は顔を所有するというよりも,むしろある顔のなか で鋳造されるのである。100年以上前にリルケは「人間の数より顔の方 が多い,なぜなら人はいくつもの顔をもつから」と述べた.「顔」は、 太古の“生命体の基本体制”を,今日の人類に至るまで保っている"生命。

日本人の顔がもつこれらの特徴には、ての成り立ちの秘密が ている、縄文人や弥生人から受けつぎ、 少しずつ変化してきた エラはり、鼻ぺちゃ、出っ歯で大頭. 顔にその人の人生が現れるよ。 のなかに、細面で高い鼻をもつ若者が急速に増えているのは,なぜなの か?

過去から現代まで数えきれないほどの骨の研究を通して、日本人の、 り立ちを解き明かしてきた人類学の第一人者埴原”は,100年後の「未来 顔」を予測する。 最近の若者を見て, 「日本人の顔が小さくなってきた。 と感じたことはないだろうか、 若い女性の間では,「小顔(こがお)」が 美人の条件とまで言われるようになっている。日本人の小顔化は、生活 様式や社会環境の変化がもたらした.実際,戦後50年間の日本人の顔 の変化は、それまでの歴史ではなかったほど劇的である。昔よりも面長 になり、顔全体がきゃしゃになった。 硬い食べ物を避け, 柔らかい食べ 物ばかりを口にする食生活によって、食べ物を咀嚼して飲み込む運動が おろそかになり下頭が十分に発達しなくなったことが主な原因だとい う、それでは100年後に日本人の顔はどうなっているのか、コンピュー ターグラフィックスで作成した予想図では、顔全体がさらに細長くな

り.輪郭は逆おむすび形をしている。「こんな顔では歯並びがメチャメ チャになり, とても健康な生活は望めない」し、 現代人の顔は「進化」で はなく「退化」しているようだ. はたして、一日として自分の顔を見ない人が何人いるであろうか?

顔は、体のなかの面積·体積としてはそれほど大きなものではないが。 当人にとってみれば, ほとんど大部分を占めているという言い方もでき る。われわれの身体は,「体壁系の臓器」と「内臓系の臓器」という2種 類の臓器が存在する®. 「体壁系臓器」とは、体壁系筋肉でできている臓 器である。体壁系筋肉とは, 体の外側の多くを覆っている筋肉で、骨格筋であり、自らの意思によって動かすのとができる随意筋である。一 方、「内臓系臓器」とは、内臓筋でできており、内臓筋とは、 内臓=脳 管系を構成している筋肉のことで、不随意筋である。 われわれの顔は、 この体壁系筋肉と内臓系筋肉の両方から成っている。

顔とその周辺に存在する顔面表情筋、 唄聯筋、 無下 発声筋などの筋 群はすべて内臓平滑筋に由来している。そして, これら4つの筋群は心 (=感情)の動きと共役的関係にある。解剖学的に顔を見ると, それは 頭部の前面に位置し、消化器である口を中心として, 視覚, 喫覚,味 覚、聴覚など主な感覚入力の場として, またスピーチのような主な伝達 出力の場として, 社会生活を営むうえで大変重要である。ちなみに、ロ 腔はstome(stoma=口) と言い,胃は英語でstomachと言い,つまり胃 (消化器)と口腔は, 同じ語源を共有する。

言うまでもなく、 顔は複合臓器である.この顔の構成要素は眼・鼻・ ロ·耳,あるいは皮膚筋肉骨格などである.これらの複合器官は、 あらゆる外界の刺激にそれぞれ対応し、同時にそれらを記憶するシステ ムをもっている。これらの構成器官は,あらゆる外界の刺激に対して 「力学対応」をする。外界の刺激とは, いわゆる力学刺激でなく、圧力 気温・音波・光波から放射線までも含む物理的・化学的要因による刺激 のほか,精神的要因に起因する生理学的な刺激のことである。 それらの すべてが、力学的に多種多様に「顔」に作用する.そしてそれは, と は異なる様式で, 記憶として刻まれていく.人間は,顔を見るとその人 がどんな人か、だいたいわかる。つまり,人間では, その人の「生まれ」 から、職業や生活様式,生き方,性格·品格思想に至るまでの, その 人の「人となり」を構成するすべての要因が,人相骨相·風貌・表情 として「顔」に表れる。 これが「顔に刻まれた記憶」といえる。

現在の医学において, 内臓頭蓋すなわち顔という臓器は、 機能別の構 成器官単位で扱われ、 研究され,個別に治療体系が確立されている。つ まり、この領域に存在する 「感覚器官」や「咀嚼器官」が, それぞれ独立 |「前値行われている 眼科耳島科歯科、皮膚科とか分かれている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?