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これからの人生と頑張る自分を偽りなく愛したい

こんにちは、いろいろな人に背中を押されてライフデザインコースのPOOLOに入ることを決めた白波です。

今日は私の真芯の話をしていく。


真芯とは

真芯。その言葉と初めて真摯に向き合ったのは、POOLO JOBで受講した、くいしんさんの講義だった。くいしんさんの講義では、真芯はこのように定義されている。

・自分が本当にやりたいこと
・自分が持って生まれてきた使命
・宇宙上での自分の役割

POOLO JOB講義資料

この講義を聞いた率直な感想は、「いやぁ〜これがわからないからここにいるのです」だった。これが重要だということ。これがあれば、あらゆる仕事への向き合い方の強度が上がるということを教えてもらえた。

しかし、まだ自分の真芯が何かがわからない私は、いまいち腑に落ちていなかった。

ずっと一緒に歩いてきた諦観

突然だが、あなたは何かを諦めたことはあるだろうか。きっとなにも諦めたことがない人は、いないと思う。

小さいことなら、今日の夕飯はハンバーグが良かったとか。
大きいことなら、大学受験や就職活動、最愛の人との別れとか。
誰もが何かを諦めたり、妥協したりした経験を持って生きている。

それはもちろん、私もそうだ。大学に入る前に浪人もしたし、今年は大好きな祖母が亡くなった。祖母の件は、いまだに飲み込むことはできていない。思い出したら涙が出るほど、寂しいし悲しい。

そして、私は昔から諦めグセがあった。
小学校から今でも付き合いのある仲のいい友人に、中学時代に言われたことをまだ覚えている。

「弥生は、自分で限界を作るよね」

私は私に、過度な期待をしなかった。勉強も中学で総合教科では1番になれなかったし、運動も別に得意ではなかった。かといって他の実技教科が秀でているわけでもない。できないわけではなければいいかなという感覚が、自分の中にあった。

誰かの諦観を第三者として見る

私が私の人生を、諦観と共に歩いてきたからだろうか。映画や漫画などで、私が好きになる登場人物やキャラクターは、大体何かを失ったり諦めていた。もしくは、そんな登場人物がいる映画を好きになった。

醜い見た目を持つ、街を歩くことを禁じられた人。
自分の変わらない毎日に退屈して、望んでもいないのにみんなと同じように結婚を勧められ、従わざるを得ない環境に納得のいかない人。
不幸な未来を恐れて、自分の居場所を手放してしまった人。

しかし、そんな彼らは諦めたふりをして、ずっと夢見ているのだ。

醜い見た目を持つ、街を歩くことを禁じられた人。
彼は一日でいいから、みんなの歩くまちを陽光の中、手をつないで歩いてみたいと祈っていた。

自分の変わらない毎日に退屈して、望んでもいないのにみんなと同じように結婚を勧められ、従わざるを得ない環境に納得のいかない人。
彼女は川の向こうに行けば、何かが変わる、輝く未来が待っていると信じていた。

不幸な未来を恐れて、自分の居場所を手放してしまった人。
彼は手放した人をいつまでも忘れられなかった。自分が傍で大丈夫だよと言ってあげたかったのに、その気持ちにすら長い間気づくことができないまま。

あまりにもワンパターンなので、きっとこれは何かのヒントになるんだろうという感覚が、実はここ半年から1年くらいずっと自分の中にあった。

私の好きを紐解いてみる~映画「ノートルダムの鐘」~

先ほど挙げたキャラクターの1人を紹介する。醜い見た目を持つ、街を歩くことを禁じられた人。彼の名前は、できそこないという意味の「カジモド」。ディズニー映画「ノートルダムの鐘」の主人公だ(以下、ネタバレを含みます)。

彼は赤子の頃、母親のジプシーと共にパリに来た。しかし、パリに入った母親は、権力者であるフロロー判事に見つかり命を落とす。そして、訳あって残った赤子をフロローがカジモドと名付け、育てることになることから物語は始まる。

自身は世の中に認められないと、フロローから刷り込まれているカジモドは、住まいとしているノートルダム寺院から出られない。しかし、そんな彼も言いつけを破る日が来る。外に出てフロローから教え込まれてきたとおりの差別的な扱いを受けたり、恋をして失恋したり、友人として大切にしたい存在ができたりする。

詳しくはぜひとも映画を見てもらいたいのだが、私が毎回号泣してしまうラストシーンの話をさせてほしい。

映画のラストは、火の海となったパリに平和が戻ろうとしているところ。大切な存在のために戦ったカジモドと、ノートルダム寺院の外に出ようとする彼の友人たち。

しかし、カジモドにはトラウマがあった。一度外に出たときに見世物のように縛り付けられ、トマトなどを投げつけられては嘲笑された。長い間、夢見てきた誰かと共に陽の光の中を歩く日。扉から差し込む陽光を前に、彼の足は止まる。光の中に導かれたカジモドは、何かを投げつけらる怖さから手で顔を覆う。

そんな強張った彼に手を伸ばしたのは、一人の少女。そっと彼に触れる小さな手に、カジモドの警戒心がほどける。少女の抱きしめる腕を受け入れ、その小さな手に自分の手を重ねて。引かれる手もそのままに、カジモドは陽の光が当たるパリで民衆に受け入れられる。

小さいころから何度も見ているのに、ここは特に大人になってから見ると毎回泣いてしまっている。そして、諦めないでよかった、あなたの努力が報われてよかったと毎回幸せな気持ちで終わることができる。

何かを諦めない選択

私自身も、今の職場のどこか違うなという違和感を妥協しなくていいということに、ここ数か月でようやく気が付いた。自分のやりたいことはやりたいと言ってもいいし、違ったら違うと言ってもいい。

会社という共同体にいると、誰もが同じ方向を見ないといけないような気がしてくる。それでも、私はやっぱりこれがしたいって言ったら、応援してくれる人や、一緒に頑張ろうって言ってくれる人がいることに気が付いた(詳しくは、下記記事にて)。

自分の仕事や日常に対して、何かが違うと感じている人は、私以外にもたくさんいる。もうしょうがない、これはこれでいいですと飲み込めている人もいるだろうが、中にはいつかここじゃないどこかへと夢見ている人もいる。

私はそんな人たちに自分の進む先は間違ってないと自信を持って進んで行ってほしいし、もちろん悩むことはあるだろうが、自分のやっていることや頑張る自分を偽りなく愛せたらいいなと思う。

そして、これが私の真芯なんだろうと気づいた。

あなたは諦める必要なんてないし、好きなものは好きって言った方がいいし、あなたの愛するものを否定する人は一部に過ぎないから。私は一緒に進めると信じてるよ、って言ってあげたいのかもしれないと思った。

さて、次の議題である。
そうできるよと伝えていくにはどうしたらいいだろう。今の私には、私自身がそうしていることを見せていくこと。書くことしか術がない。夢を追う人を傾聴を取り入れつつ、インタビューして記事を書くことくらいならできそうかな、とぼんやりと思った。

POOLOでは、これをもっと形として落とし込んでいくことになるのかな、なんて私はふわふわと思っている。

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