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今上陛下と立山

 先日ご即位された今上陛下の山好きは有名で、皇太子時代に登られた山は170を超える。日本山岳会の会員にもなられているが、現在も名誉会員ではなく、通常の会員のままだそうだ。

 2016年に発行された日本山岳会の機関誌「山岳」には、「歴史と信仰の山を訪ねて」と題した山登りへの思いを、30ページにわたり寄稿されている。

 その一部、

「私は幼少の頃から、「道」というものに大変興味があった。その発端は、小学生の時に私の住む赤坂御苑(赤坂御用地)内に鎌倉時代の古道が通っていることを知ったためである」

 交通手段が車となった今、山は歴史を知る格好の場所である、ということだ。

「私にとって信仰の山への登山は、過去を偲びながら歩む生きた歴史探索なのである」

 今上陛下は信仰の山であった白山にはお登りになられているが、立山にはお登りになられていない。立山はあまりに観光地化され過ぎているからか、白山の方が登山の危険が少ないからか、その理由はわからないが、
 立山に関しては陛下は皇太子時代の2015年、国連で開催された「国連水と災害に関する特別会合」会議の基調講演の締めくくりで、立山を詠った前田普羅の俳句を紹介されている。

「立山の かぶさる町や 水を打つ」

 立山が覆い被さるようにそびえる富山の町で,人々が夏の暑さをやわらげるために通りに水を打ち,涼をとっている情景が目に浮かびます。山から流れ出る水は飲み水として,あるいは農業のために私たちに多くの恵みをもたらします。しかし,水は時に不足したり多すぎたりし,人々に大きなダメージを与えます。この句にあるように,人々がどこでも水とともに平和にゆったりと過ごせる世界を実現できるよう,私も今後とも取り組んでいきたいと思います。

 前田普羅という人は知らなかったが、高浜虚子に師事した俳人で、関東大震災で家財を失い、富山県に移住し、立山連峰をはじめとする雄大な自然に感銘を受けて以来、山岳俳句の第一人者として知られた人だそうである。

 皇族には自然科学の研究者が多く、昭和天皇の海洋生物のヒドロゾア、上皇陛下はハゼ、秋篠宮様はナマズ、ニワトリと、天皇家は3代にわたり生物学に関心を向けられ、その業績の専門性の高さは世界的に知られている。
 その中で、今上陛下は人文科学を専攻し、中世の交通史・流通史を研究された。イギリスのオックスフォード大学に留学し、テムズ川の水運史について研究されたので、水に関する研究は、陛下のライフワーク。 
 そのことがあっての皇太子時代の「国連水と災害に関する特別会合」会議の基調講演だったのだろう。

 まぁ、何にせよ元富山県民として、陛下が立山を詠んだ句を国連での講演の締めくくりで紹介されたのは嬉しい限りだ。

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