台風19号 いわき災害ボランティア

台風19号で壊滅的な被害を受けたいわき市に災害ボランティアに参加しました。当市は、台風19号及び21号による大雨によって市内を流れる夏井川が氾濫し、広大なエリアが浸水しました。活動の記録を記します。

1.活動内容
(1)時間:9:00~14:30
(2)場所:平屋(古くからの瓦葺邸宅)・物置・離れ。腰高まで浸水。 
(3)ボランティア:6人(福島出身の方が多い)、軽トラ3台
(4)内容:災害ゴミを自宅から搬出し、軽トラに積載し、収集場まで運搬

2.なぜやろうと思ったか?

・いわきに来てなにか役に立ちたいと考えたから。(いつも自分に矢印が向いてしまうことが多いと自覚しているので、自分の時間を犠牲にしてでも他人のために役立つことをしてみたいと思った)
・損害保険社員として、自然災害による被害について認識を深める必要があると感じたから。

3.気づきは?

(1)被災地の深刻な状況

 ・住宅が密集する川沿いに浸水した。想像以上に広範囲であり、なおかつ、浸水の深さが腰高までとなっていて、車両と1階の家財は軒並み全損という状況だった。最近まで断水が続いており、家に帰れないだけでなく日常生活もままならない大変な状況。家が川の泥水に浸かってしまっているのでどのように生活を再建するか皆目検討がつかない。内装業者を呼ぶにも、業者が不足している状況で、目処が立たず、避難所生活を強いられる他ない。

 ・家の中からありとあらゆる家財を運び出すときに、被災者が呆然としていたのが印象的だった。普段の生活から一夜にして変わった現実に対するものと想像される。昔から大事に浸かっていたことがわかる物品(丁寧に梱包されたレコード、ミシン・反物、)など、生活の一部が捨てられるのを間近で見ることの残酷さは筆舌に尽くしがたい。昨日までは家でテレビをみて、いつものご飯を食べて布団で寝ていたのに、災害の翌日から、昨日までの家は帰ってこず、泥で汚れてしまった思い出の家財を捨ててイチから生活を始めなければならない現実の寂寥感。残酷な現実に大変悲しい思いを感じた。

→損害保険に加入していれば、(少なくとも)金銭的な補償は受けられるため、一定の程度は心の慰めになれるのではないかと感じた。また、損害サービスにおいては、被災状況を想像するような人間的に寄り添った対応が必要。(すべて整ったオフィスから電話で対応するため、被災の現実をしっかり想像できずに対応しているケースもあると思う。事務作業にならずに、自分自身の仕事の意義を感じながら、被災された方々の気持ちをとにかく考えることが肝要と思う。)

 ・災害ゴミの集積場は、膨大なごみの山となっていた。多くの家具、畳、白物家電、危険物(蛍光灯・ガラス)等が巨大な山になっていた。運び込まれる災害ゴミを、轟音を立てて重機が粉砕し、専用のトラックに積載してどこかへ運び出される様は、どこか異世界のように感じられた。

(2)ボランティア活動

・6人がコミュニケーションよく動く必要がある。年齢・バックグラウンドが異なる他人同士が集まるものの、被災地に貢献したいという気持ちを持って参加しているのだから、自己紹介などをしてボランティア同士が気持ちよく働ける環境を作るのが必要だと感じた。

・リーダー役とフォロワーが自然と発生する。(人間関係相対説=グループ内での役割は相対的に決まる。)複数回参加しているなど慣れている人がリーダーになるべきとは思うものの、自分でチャレンジする意欲的な行動をすればよかった(後悔)

・ボランティアだが活動時間が決まっているので、効率的にテキパキやろうとして、被災者の心情に寄り添えていない人もいた。例えば、大事そうにしている五重塔の模型を(念の為被災者に確認したものの)捨てる際に丁寧におかずに投げ捨てたなど。

・被災者としてもボランティアには仕事をお願いしている身であるから、ボランティアに対し若干気を使っている印象を受けた。活動の中で、「これは捨ててよいの?」と矢継ぎ早に聞いてしまい、「(捨ててしまって)大丈夫です」とお答え担っていたが、本当に捨てていいのかは一度立ち止まって考えたかっただろうなと思う。捨ててよいか聞かれてすぐに決断下すようなやり方は被災者の気持ちに寄り添えていないと思った。(一方で、効率的な活動も行わなければならないので、ずっと迷われても困ってしまうという効率性とのトレードオフ関係にある。)

・泥水が浸水しているので、花瓶や杵の中に泥が溜まっており、悪臭を放っていた。また、タンスの裏には隆盛を極めた青カビ及び胞子がいた。また、タンスの下段の引き出しには台風から3週間が経過するが未だに水が溜まっていた。

・ビショビショになったレコード機材・きれいに並べたレコード、こだわりのスピーカー→音楽が好きだったご家族であったことが伺われ、思い出もたくさん詰まっていただろう。それを捨てるのは大変忍びなかった。災害の悲惨さを象徴する悲しさだった。


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