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人はなぜ傷つくのか?

人はなぜ傷つくのかについて語り合った。

語り合って気づいたのは、私は傷つかないということだ。みんなの傷ついてきたストーリーを聞いても、いまひとつピンと来ない。

「やっぱ、サイコパスだわ」とあらためて実感したのだが、「サイコパス」の一言で片付けてしまうと単にウヤムヤになってしまうだけなので、あらためてここで言語化しておこうと思う。

傷つかない

「傷つく」というのは、心に痛手を負うとか、心が損なわれることと辞書には書かれている。私は他者の発言や行動で心に痛手を負うことはない。

それは決してイラつかないとか、困らないという意味ではない。イラつくときもあるし、困るときもある。けれど、心が傷ついているかと言われるとまったくそんなことはない

どうして傷つかないのかを考えてみたところ、ある一つの結論に行き着いた。

客観的、主観的事実を受け止める

傷つくとき、人は「論理的思考が働かなくなったマイナスの領域」にあるということ。

たとえば、「太っているね」と言われて傷ついたとする。

太っているかどうかを論理的に考えるならば、同年代・同身長・同国など似たような属性の人と比較し統計的に見て肥満傾向にあるのかという客観的な事実と、「太っているね」と言った観測者の主観的な事実が考えられる。

客観的にどうか、観測者の主観的にどうか。前者は調べればすぐに分かるし、後者は本人が嘘をついていなければ問答無用でそうなのだろう。それぞれ別個に検証しなければならない。

ただし、いずれにせよ、それ以上でもそれ以下でもない

「統計的には肥満なんですね」とか「あなたは私を太っていると思っているんですね」ということでしかない。相手にとって、私が太っているように見えたという主観的事実や、統計的に見て肥満であるという客観的事実がそこにある。それだけだ。

必ずしも傷つく必要はない。

論理的思考が働かなくなってしまったマイナスの領域

「最近2キロ痩せたんだけど」とか 「大好きな人に言われた」とか「自分では太っていないと思っていたのに」とか「自分でも気にしているのに」というまったくもって論理的ではない自らの感情を持ち込んで勝手に傷ついているのである

とはいえ、誰だって自ら傷つきたいわけではなさそうだ。

彼らが何も「日頃から論理的思考ができない人だ」ということではない。何かのトリガーによって感情が発火し、論理的思考が働かなくなっている状態なのだろう。

意図的ではなく、仕方なく、論理的思考が働かなくなってしまったマイナスの領域において人は傷ついてしまうのだと思う。

サイコパスが嫌がられるワケ

(衝動性が低いタイプの)サイコパスにはこれが起こりにくい。たとえば、ハゲとかバカとか言われたところで、「めんどくさい人だな」とは思っても傷ついたりはしない。

「仕事のできないクズだな」と言われても「いつの何に対してどのような観点からそう思ったのかな」と思考を巡らせる。

「血も涙もない人ね」と言われても「あなたのこの部分においては、私なんかより遥かに血も涙もないと思うのだけどね」などと分析してしまう。

これがサイコパスが一般的に嫌がられてしまう理由の一つなのだと思う。

自身が傷つくことがないために、傷ついている人の気持ちがまったく理解できない。サイコパスという自覚もなければ、理解できていないことにも自覚しないまま自分の理解の範疇でモノを言ってしまい、相手をさらに傷つけてしまう。だいたいこのような調子で、酷いヤツだと思われてしまうのだろう。

傷つかないことは強みとも取れるが、その特性を自覚し調整しないと、傷ついている人への対応を大いに間違う。

傷つくは個人差の極み

「人はなぜ傷つくのか?」を考えるとき、論理的思考が働かなくなるトリガーの話に帰結する。そして、それは個人差が大き過ぎる。おそらく未然に感覚を共有できるようなものではない。

たとえば、私なりの傷つく感覚をお伝えしておくと、「傷つく」は「トラウマ」とほぼ同義で、トラウマレベルにまで達していないものをいちいち傷とは呼ばない。それ以下の「傷つく」は、すべてマイナス感情の解像度がただ低いだけなんじゃないかと思ってしまう。客観的事実と観測者の主観と私の主観をごちゃ混ぜにして解釈するという具合に。

…やはり共有できそうにない。単純に怒られそうだ。

ここまで攻めたので、最後にもう少しだけ突っ込んで終わりにする。

傷ついてしまったとき、傷ついた人にしか理解できない傷つきポイントがあるはずだ。そのとき「傷ついた」という話題に当の相手を引きずり込めたなら、傷ついた者勝ちみたいなところがある。

確かに、傷ついた本人はつらいだろうけれど、本人はその傷について1番理解している。この傷においては唯一絶対の神である。自分自身が答えだ。

一方、傷ついていない側は理解しきれていないのだから、真っ暗闇の部屋に突然連れ込まれるようなものである。拉致同然の状況だ。

傷ついた人もまた、傷ついていない誰かを「自分が答え」の世界に引きずり込んで、相手を傷つけてしまっているのかもしれない。

論理的思考が働かなくなるマイナスの領域は個人差の極みである。

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