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[日記]2021年3月17日(水)

 昨日就寝前に消化を始めたカップヌードルが、起床後もまだ胃の中で溶け切らず塒のように渦巻いている。重たく感じられる身体をベッドから引き剥がし、血流を足先に流そうとする前に訪れる眠気に脳天を取巻く薄曇りの空を思い浮かべる。今週も水曜まで経過した事実をどう咀嚼しようか思案してる間に、指はSNSの坩堝を掻き分けるようにぬるぬると画面の上を滑っている。微睡みつつも何かの情報に縋り付きたいと願っているのだろうか。客観的に見えているようで、自己はこの部屋にしか存在しておらず、坩堝に進み入っては上辺を撫ぜるだけの時間を無為に思いたくなく、意味を探しているだけの動きを繰り返す。

 そのうち始業時間となり慌ただしく業務の準備を行いつつも、身体に疲労を感じる際にはまたもや画面の上を指が滑ってゆく。画面を媒介として主体と客体が入り交じるように、視る/視られる運動を繰り返している。瞬けない星が虚しい明滅を繰り返すかのような光が、散り散りになって自らの視線の延長線上に像を写し出し、と或る情報として摂取、咀嚼している自らをひとつの機関であると認識する。いつの間にか昨日のカップヌードルは身体の内部へ取り込まれたようである。一日が食物と情報を咀嚼し排泄するような時間に思えて、それでも生きている自分を不可思議と認識する淡い夕方。

 相変わらず平常と同様の事象を考えている。日常は繰り返されるも、身体を未来へと連れてゆく。それでも明日は明日という道程のまま、足下から伸びてゆく。明日は三省堂書店 古書館に向かおうとする意志を、SNSの坩堝から掬い上げる。視線の先の情報は最早意志として、自らの身体の一部となって象られているのかもしれない。

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