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[日記]2021年3月15日(月)

 コンビニのイートインに座りながら、新刊の情報を手繰っていて『日常的実践のポイエティーク』(ミシェル・ド・セルトー著 ちくま学芸文庫)が刊行されていることを認識する。

 何某かに支配されつつも、生き長らえてゆくしかない閉塞感に纏わりつかれて文章に縋ることを始めた。それぞれが持つ彎曲、婉曲せざるを得ない諸々の断片が散らばる都市を、無防備なままで彷徨するには余りにも危険で猥雑な轍を強要されるかもしれない。そうであるのならば、持ち得る意識にレトリックを尽くし、想像と現実とを接続しなければ進み行くことも困難を窮める。マスクの下に現れている顰め面を慎みながらは外界との接続を面映ゆくは思えず、愁眉を開くことが不可能である。本書のテクストには、行動の在り方、そして身のこなし方、それらを詩学という観点より鋭角に見ることが可能であると感じる。ただし、詩学の定義は自らが肌で感じている感覚に基づいているので、決して正しい認識ではないかもしれない。しかし、身体を運び行くことを文学という文脈で語るのであれば、この用語を独自に使用しても次善の認識と捉えても良いのではないだろうか。

 変わらずイートインの席に座りながら、道行く人々を眺め、止めどもない考えに耽っている。もう直、会社に戻らなくてはならない。眼前を通り過ぎる人々が何を考えているかは識る由もない。見たままの歩行を繰り返し、暮れなずむ街を通り過ぎてゆく。この場所からまた実践へ戻ってゆく。

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