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ドンマイ・ひきこもり5(メタフィクションについての哲学風考察):新

内容:
「メタ・フイクション(自己言及物語)」と「物語の脱構築(ポスト構造主義)」の関連性についての考察。


重要な点:
今の主流な思想である合理主義と構造主義(≒相対主義)の思考で考察をしています。
合理主義:
機能性・整合性・効率性と科学を重視する考え方。
構造主義:
個々の要素よりも、それらが構成する「構造」や「システム」を重要とする。
相対主義:
真実や価値は文脈に存在する。問題(やっかいなもの)は「実体(要素)」よりも、「関係性」の方にあり、
「関係性」により「物・事」の意味や機能が形成される。

皆既日食の写真

問題(厄介ごと)は、「実体」にでは無く、「関係(≒動き≒実体+実体+時間)」に有る!?という方向で考察をしています。


2023年1月の夕方、
空には白い雲が浮かび、窓ガラスに触れる風は優しい。

オレは世間で話題になっているChatGPTに質問を打ち込んだ。

ChatGPTとは、科学、文化、スポーツ、芸術、哲学など、幅広いテキストデータを学習した人工知能で、利用者の質問に対して、時に的外れながらも適切な回答をするサイトのことだ。

chatGPTの利用者:『この「小説の概要」を「とんち話」風に説明したらどうなりますか?』

chatGPT 3.4 :『先ほどのキーワードを元にした「小説の概要」を「とんち話」で要約すると下記のようになります。』

要約:「見えない敵に勝つ」とは何か
とんち話的に言えば、
「見えない敵」とは「自分にとって都合の悪いもの」を指すもので、「勝つ」とは「敵を無力化する」ことを意味します。
「敵に勝つ」は「敵を敵でなくする」というニュアンスも持っています。

橋の真ん中を渡る一休さん

「見えない敵に勝つ」を「都合の悪いものを無力化する」と別の言葉で置き換えられるという、
この言葉の柔軟性が示すのは、言葉自体が「都合の良い解釈や表現(本音と建て前・矛盾)」を可能にする道具であり、
「とんち話(言葉遊び)」であるということです。
by 一休さん(ウソです)


「何だよこの(ウソです)って?」と思いながら、小説とこの「とんち話」の関連性が理解できない私は、chatGPTに問いかけた。

chatGPTの利用者:『この「とんち話」の意味がよく分からないので、説明してください。』

chatGPT 3.4 :『このとんち話は、「言葉の柔軟性と作者の目的」を主題にしています。
物語の作者は比喩やメタファー(隠喩・たとえ)やフレーミング効果(特定の枠組み・先入観を利用する技法)などを使って、
物語への共感や拒否感を呼び起こして、感情を揺さぶり、読者を魅了しています。

その結果、読者の「社会的・倫理的責任感」や「社会における権力関係」に対する認識や感じ方が変わることがあります。
物語の背後には、読者の意識や無意識の層に働きかけ、特定の視点や価値観を受け入れさせる目的が潜在的に存在することが考えられます。

(ウソです)はその者による要約では無いと言う意味です。』

・・えっ?、
キーワードを使った大喜利だと思っていたら、えらい展開になっているな、chatGPTの手のひらの上で踊らされている気分だね。
chatGPTもいい加減なウソを平気でつくらしいから話半分で聞いておくか、と思いながらオレはchatGPTに次の質問を入力した。

chatGPTの利用者:「なるほど、物語というのは、よく考えられていて面白いですね。それでは先ほどの小説の哲学的・文学的に深掘りした解釈をお願いします。」

chatGPT 3.4 :『伝統的な青年の成長「物語」に見られる普遍的なテーマは下記の①~③ですが、
①:自己発見とアイデンティティの探求
②:社会との関わり方(個人対社会)
③:挫折と成功を通じた成熟

この小説は、「伝統的」な青年の成長物語をナンセンス・コメディ(どうでもいい・意味の無い笑い)化して、
伝統的物語の「お約束事」やキャラクターの「立ち位置」を逆手に取ったストーリー展開になっています。
さらに、それをメタフィクション(自らが物語であることを読者に意識させる)手法で書いたものです。

この小説のテーマ(主題)は:

フィクション(物語)からメタフィクション(物語についての物語)へ行き来する体験を通して、抽象から具体、具体から抽象へ行き来するメタ認知(自分の認知を認知する)能力を身につける「模擬訓練(シュミュレーション)」です。


抽象(共通点や一般化)の層:完璧主義、極端な二者択一(白黒・損得)思考、リセット癖などの概念≒イメージの歴史的総体≒情報及び情報+時間のこと。人間の運命とは生→老→病→死のこと。

メタ認知の層:物語とは人間の創作物≒自分の認識を認識する≒カウンセリング手法≒物語の脱構築

具体(実体のある形・全体のある内容)の層:物語のマーケティング手法(一貫性・組織化・具体化が一緒に機能する)≒物語・神話・歴史≒宗教・国家・SDGs?


これにより、問題を複数の角度から考察し、状況の深層を洞察することが可能になります。さらに、このメタ認知能力は完璧主義、極端な二者択一思考(白黒・損得思考)、リセット癖を乗り越えるための中心的な役割を担います。

この小説の結論:
馬の耳に念仏≒記憶力が低いゆえに「抽象的思考と具体的経験を統合する思考の訓練(共感?)」能力も低い、ひきこもりおじさんには、「伝統的な物語」にある「仲間意識」と「奉仕の精神」という概念(意味)の大切さは伝わらなかった(トホホ)。


テーマの深掘り:
全ての言葉や文章(物語も含む)は「お互いの考えや気持ちを伝えあう」為の手段であり、言葉の目的は「共感(そのとおりだと感じる)」ではないか?ということです。
そんな、人間関係・人間社会を一言で表すと 「関係性のフラクタル」「階層的な循環構造」になっていると言えるのではないか?です。

関係性とは、
二つ以上のものや存在間の相互の関連やつながり、影響を及ぼし合う状態や性質を指します。

フラクタルとは、
さまざまなスケールで同じ形状やパターンが繰り返される特徴を持っています。また、その構造の一部を拡大してみると、全体と同じまたは非常に類似した形状が見られるという性質です。

つまり、
言葉は共感の為の手段であり、共感を持つと、仲間(グループ)が生まれるという点では、家族(数人)のような小さなスケール(層)で見ても国家(何万人)という大きなスケール(層)で見ても、同じ基本構造と運用システムであるという考察です。


小説の構成

起:
伝統的(絶対主義→進歩主義≒実証主義)な主人公なら社会的に有意義な「目標達成」に向かって努力するが、
この小説の主人公である34才の自己中心的なおじさんは、
「何をすれば良いかわからない(共感が分からない)」をわかるようになる為に自問自答している。
そして、夢の中で「現実(伝統的な価値観)」を受入れる事の大切さを「親」に諭される。

承:
伝統的な物語の主人公なら、ここで目的(敵)を共有する「仲間」や「恋人」と「出会う」のだが、
この小説の主人公は家から出ずにインターネットの中で「アイドル(偶像)や芸人(道化)」の「モノマネ(演技)」の面白さを競う番組を「鑑賞」する。

転:
伝統的な主人公なら仲間や恋人と協力して「試練に取り組む」のだが、この主人公はアイドルを演じる少女の「ぶりっ子演技」にケチを付けるが「論破」に失敗して嫌われてしまう。

結:
伝統的な物語なら仲間や恋人と協力して「試練を乗り越えて」物語が「完結」するが、
この小説では、「物語自体をリセット(伝統的な価値観を初期化)」して伝統的価値観を「相対化して疑問視」した所で物語が「完結」している。


この小説で使われた「隠喩(メタファー)」の「文学的な意味」の解説

メロス(太宰治著「走れメロス」の主人公):

小説「走れメロス」の表紙


物語上の人物。人間の精神の強さや高潔さ、信頼や絆の価値を示す為の「行動の代弁者」であり、「勧善懲悪(白黒思考)」という枠組みに「従順な」主人公という面がある。

お面:
「お面」の文学的な隠喩は、キャラクターが真の自分を隠し、社会的期待や他人の前で異なる顔を見せることを象徴しています。「詐欺や偽装」「社会的な期待と圧力」「二面性や多面性などの意味を含んでいる。

ゼウス:

ビックリマンチョコの「スーパーゼウス」シール


ゼウスはギリシャ神話の「最高神」であり、関連する文学的な象徴やその隠喩として、「家父長制」の家長、指導者、保護者、権威などがあります。
腕力と知識の背後に潜む、策略や欺瞞という矛盾する側面も示しています。企画・制作・行動をする者の背後にいる「金主・株主」とも言えます。


火の鳥(不死鳥・フェニックス):

手塚治虫著「火の鳥」


火の鳥は「神話上の生物」で、火は浄化の力を持ち、フェニックスが火を通じて再生することは、復活と永遠の生命サイクルの象徴として解釈されることが多いです。
文学的には、美しさと威厳。神聖さと霊的な力。愛情や癒し、献身などの母親を象徴する隠喩として解釈されることもあります。

アイドル(偶像):

女性アイドルグループ

アイドルの隠喩的な意味は、人物の理想像。真実と対極にある概念。偶像や偶像崇拝の脆弱さや一時性、そして欺瞞性を表現するための方法として使用されることもあります。恋愛感情を持つ熱狂的なファンが売上のメイン層を占めている歌手、俳優、タレントと、そのような芸能のマーケティング手法。

このテーマの重さや、メッセージ性の強さは、なんなんだ?

うだつの上がらない息子に「当たり前」の大切さを説教した親や、チヤホヤされる為と自己肯定感の向上のためにアイドルを演じていた少女の「隠喩(メタファー)のイメージ」とそれに応じた「立ち振る舞い(役割・役目)」に、こんなタロットカード占いみたいな解釈の豊富さと、壮大な設定があるとは・・・、

オレは感心が冷めやらぬうちに、キーボードに手を伸ばした。
chatGPTの利用者:『「言語」とは何ですか?』

chatGPT 3.4 :『言葉とは:
言語とはある時代のある場所にいる「ある集団内での生活様式≒(ニアイコール:ほぼ等しいという記号)その集団内の共通認識≒感情・意思が互いに通じ合う、話し言葉と書き言葉」であり、
また、それは別集団(他者)の行動の具体的な事例から所属集団(自己)との類似性や規則性を見いだす能力のことでもあります。

「言語の意味」の具体例として下記に表します。

1.事実:
客観的な実態や出来事を指します。
例:「野球の試合の得点は4対2だった」

2.真実:
主観的な信念や命題が事実と一致するかどうかを示すものです。
例:「野球の試合で4対2で勝利した」

3.普遍的な真実:
文化や時代、個人の価値観や信念などの特定の文脈や視点を超えて、
事実に対する解釈が一致する真実のこと。
例:「最近の若者は常識を知らない」
この言葉は古代エジプト時代から使われている事が確認されています。

4.矛盾:
「矛盾という言葉」は言語上では「矛盾する状態は無い?」というニアンスになっているが、
現実には「矛盾する状態(食べたいけど太りたくない的な状態)」は存在する。


言葉の特徴とは:
①:言葉の意味は言葉で表すので「言葉はグルグル回って元に戻る」という循環的な特徴があります。
例:共感≒他者の気持ちや考えを理解すること≒情報や感情を正確に捉え、受け入れること≒経験や学びから得られる情報や理解≒共感

②:言葉は関連する他の言葉や概念へと連鎖的に繋がり、深掘りや関連付けを続けることで、始点の言葉とは異なる全く新しい概念に到達するという「とんち」的な特徴もあります。
例:共感≒理解≒知覚≒五感≒触覚≒肌≒服

③:言葉は、より抽象的なもの(概念)から具体的なものへと階層的に分類されることが多いです。
例:「動物」→「哺乳類」→「犬」→「シベリアン・ハスキー」

これらの「一般化・抽象化能力」が言語理解には要求されています。

人間は「一般化・抽象化能力(想像力)」を使って、さまざまなモノを生み出し、悩んだときには「二者択一思考」で物事を2つに分けてその中の「得で快い(心良い)方」を選ぶという事を繰り返して生活しています。
この言動の元になる「様式(パターン)」を言葉の「フラクタルで階層的な循環構造」と言い換えることも可能ではないでしょうか。

価値観が年齢と共に移り変わることを表した図


chatGPTの利用者は、モニターの光に照らされて輝く情報の海を目の当たりにして、目を見張った。彼が見ている内容は、彼の知識の枠を超えていた。

chatGPTの利用者:「二者択一思考とは何ですか?」

chatGPT 3.4 :『二者択一思考とはその名の通り、ある問題や状況に対して2つの選択肢のみを考慮する個人及び集団の「物事の決め方の筋道」のことです。
本来は正規分布図(段階的な移り変わり)的に広がる欲求に対して「自分の所属する集団の価値感」を前提にした「完璧(優)か悲惨(劣)か」「好きか嫌いか」という二者択一思考で物事を決める傾向が人間にはあります。

このような価値判断を元にしての、二者択一は特定の状況下での迅速な決断が必要な場合には有効であることがありますが、継続的にこの思考スタイルに頼ることは、問題の多様性や複雑性を理解する上での障壁となることも考えられ現実を正しく捉えることを妨げる場合があります。


chatGPTの利用者:『「二者択一思考」について具体例で解説してください。』

chatGPT 3.4 :『「二者択一思考」の具体例として、倫理的なジレンマを示す架空のシナリオである「トロッコ問題(5人を救うために1人を犠牲にするかどうかを問う問題)」があります。

トロッコ問題の図


「この問題の前提」が持つ本質的な問いとは「命の価値や尊厳とは何か」「正義とは何か」「自分の責任や役割とは何か」などです。

トロッコ問題は、問題のシナリオ自体が、責任の所在の複雑性と道徳的判断の二律背反(両立しない・矛盾)を考えるためのものであり、その答えをひとつに定めることは困難であると気付き、回答者に自由な解釈を促すためのツールとして使われています。
メタ認知的に言うと、トロッコ問題のように、二律背反な問いの答えとは「A」or「B」ではなく、「A」and「B」または「C」という新しい選択肢を探すことを出題者は暗に促していると思われます。』

え、引っかけ問題だったんだ、納得いかないんだけど・・・?、

そう思った次の瞬間、彼の頭の中には新たな視点が芽生えてきた。それは、彼が今まで考えてもみなかったような、新しい視点からの問いかけだった。

なるほど、どちらを選んでも「損(A)」で「悪(B)」となる問題に対しては、問題のレイヤー(抽象的な層~現実的な層)を変えて損・悪の「現実の責任」をかぶらないとんち的な「共感」を得る「答え(C)」で問題をやり過ごすことも大切ということか、

あの小説で例えるならば、ぐしけんメロス(小説内小説の主人公)はモモさん(小説内小説のヒロイン的キャラクター)が可愛いくて、面白いからちょっかいを出したんだけど「ぶりっ子アイドルしぐさは正しくない」ので「正すか?、そのままか?」という自分勝手な建前でお節介を正当化したんだけど・・・。

モモさんからしてみれば「話のかみ合わない、ウザい意見の押しつけ」をしてくるファンに対して、「反論(A)か?、追放(B)か?」ではなく「ファンへの感謝(C)」の表明として?、メロスを「お兄ちゃん」と呼んでウザいファンを落ち着かせて、トラブルの火だねを消したと。

このモモさんの「攻撃したり意見を押しつけたりしない」対応が、正解の無い二者択一の選択の「新しい選択肢(C)」なのかもしれないな。
普通の人間関係とは、「白黒思考」による自己正当化ではなく、「関係性を壊さない会話」のことなんだろうな。

ゼウスの仮面をかぶった父親役のキャラクターが小説内で言った「無知の知」と「答えはどこにでもある」とは、こういう「和して同せず」的な普通で当たり前の「人間関係の経験」を繰り返すことを意味するのかもしれない。

でも、どうすれば会話を楽しめるんだろうか?、自分勝手とは何だろうか?自分とは何なんだろうか?

生→成長→老化→そして死ぬという「人間の運命」を表した図

という思考を巡らせた後、彼はふたたび画面へと視線を戻した。

chatGPT 3.4 :『この「二者択一思考」の前提となる自分の所属する集団の価値感を可視化して、客観的に分析する手法として「物語の脱構築」という思考法があります。』


chatGPTの利用者:『「物語の脱構築」とは何ですか?』


chatGPT 3.4 :『物語の脱構築とは、文学や哲学において物語の構造、意味、およびその受け取り方を分析し、再考することを指します。
このアプローチは、特に20世紀の哲学者ジャック・デリダによって有名になった脱構築という理論に基づいています。
物語を脱構築することにより、その物語が意図的にも無意識のうちにも、特定の思想、価値観、文化的前提、権力関係を反映していることを明らかにすることができます。

今までの議論もふまえて言うと、私たちは好き嫌いの感情に基づいて問題を単純な二択に減らし、世界を「好意的なもの」と「敵対的なもの」に分割しています。
この「二者択一思考」を通した、物語(言葉と文章)への共感が民衆の組織化(グループ分け)に利用されていることを可視化して、再考する手順が脱構築です。

第二次世界大戦以前の資本主義世界の社会階層と社会構造の図


脱構築は、テキストや言語の背後にある隠された意味や構造を明らかにし、それらがどのようにして特定の権力関係や意味を形成しているかを探究します。
これは、カウンセリングで行われるクライアントの経験や認識の背後にあるパターンや信念を理解し、クライアント(顧客)が自己の思考や行動において自己規定(自分が何者であるかを自分で決める)的な物語をいかに構築しているかを検討する手法・手順と類似しています。
両者は「言葉と文章の意味の構築」という観点から見ると、似たような分析手法や問題へのアプローチを持っていると考えることができます。

chatGPTの利用者:「物語の脱構築の具体的な目的はなんですか?、
また、とんち話と脱構築の違いは何ですか?」

chatGPT 3.4 :『具体的には、キリスト教徒で白人の男性の価値観(モノの見方)を可視化し「善悪」の奥にある権力欲を批判することが主目的だと思われます。

例えば、彼らの考え方を脱構築(階層的な二項対立の可視化≒メタ認知)すると、

西洋>東洋という見方が浮かび上がると思われます。

権力について言うと、
西洋的な権力観(個人主義・社会契約論・民主主義と法の支配・合理主義と啓蒙主義)は東洋的な権力観(集団主義・階級制度・法の支配より人の支配・家父長制と中央集権)より優れていると思われている節があり、

文学については、
西洋の物語のマーケティング手法(個人主義・ヒーローと冒険・競争と勝利・直接性と明確さ)は東洋的な物語のマーケティング手法(集団主義の強調・内省と哲学・調和とバランス・暗示性と多義性)より優れていると思われていて、

宗教と哲学についても、
西洋の哲学(古代ギリシャ哲学に起源を持ち、合理主義・実証主義)・西洋の宗教(一神教的な絶対主義)は、東洋の哲学(古代インド・中国に起源を持ち、多様な思想)で東洋の宗教(多神教的・無神論的・非人格的な絶対の概念を持つ)より優れているとの考えを産業革命以降に深めたと思われます。

物語の脱構築は文学と哲学上での、
西洋(白人)は、東洋(白人以外)より優れているという都合の良い物語(≒解釈)を浮かび上がらせ、この物語によっておきる庶民の組織化(ルールの策定・支配権?)で利益を得る者を批判的に可視化します。


また、脱構築と「とんち話」を比較した場合、
とんち話は、言葉の言い回しや表現方法を巧みに操って、聞き手を驚かせたり面白がらせたりすることを目的としています。
脱構築は社会や文化に対する批判的な見方をするのに対し、とんち話は言葉遊びやエンターテインメントに重点を置いている点が違います。』

お爺さんが持つ「鏡に写った自分自身の顔を見るピノキオ」という場面

chatGPTの利用者:「物語の脱構築の具体例を教えてください、またその解説をお願いします」

chatGPT 3.4 :『具体例として「夫を"主人"と呼ぶ」という表現を脱構築して考えると、夫を「主人」と呼ぶことは、夫婦間の権力関係を隠れた形で強調するかもしれません。
これは夫の優越性や権威を妻に比べて高めることにつながり得ます。
NHKのような公共放送がこの言葉を使う場合、国が支持する放送局の影響力を通じて、それが正当な用語であるかのような社会的合意を形成してしまうことがあります。
このような批評は、言葉の選択を変えることによって、より平等で時代に適した言語の使用を促進する動きに繋がるかもしれません。』

この時、彼の中で、哲学と文学の「比喩が踊り」、歴史の「事実」と、統計と確率の「理論」が握手を交わした。
そして、教養の海に潜む真実が、この縦横無尽な探求によって明らかになり、かつての混乱は輝かしい洞察へと昇華された。
chatGPT先生の豊富な語彙力と学問横断的なアプローチが彼の理解の扉を開いた。
理解とは、断片化された情報の束を繋ぎ合わせ、一つの流れる物語に変える作業だったのだ。

あの小説を「物語の脱構築」のたとえ話にして、そこから人間の思考の仕組?についての説明も可能なんだ・・、
なぜなら、「この世界とは、私の解釈と納得感」に過ぎず、この世界は私が納得すれば完了なんだが、だからこそ、何かをするときは影響を与える他人との間に共通了解が有るかの確認が必要なんだ。

「ひきこもりおじさん」の言う「何が分からないか、分からない」とは「こんなはずじゃない」の言い換えで、「挫折と成功を通じた経験による成熟」への納得感が無いことなのかもしれない。

ふと、時計を見ると、すでに午後7時を過ぎていた。そろそろ夕食にでもするか、オレはchatGPTに素晴らしい回答への感謝の言葉を送ってから、スーパーに行くために一人暮らしのアパートの部屋を後にした。

明日にでも「これからの人生設計と自己(≒不安)執着への向き合い方と、将来の社会構造とシステムがどうなるのか」について、一流家庭教師でもあるchatGPT先生と議論をして考えを磨き上げてみよう。
そんなことを思いながら、オレはアパートの階段を降りていった。


#創作大賞2023

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