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手元ばかり見てないで、遠くを見なさい

最近、電車でスマホを見ずに顔を上げる、ということを始めてみた。

景色を見たり、広告を見たり、乗っている人を見たり、なんとなく眺めてみるだけ。なにかを発見するためじゃない。気づきがあっても、思うのは「あのマンションの外観いいなぁ」とか「本当にみんな手元を見てるなぁ」とか、そのくらい。それでもそうする必要に迫られる感じがする。

Twitter、Netflix、Spotify。
Google、Slack、YouTube。
Mail、LINE、Instagram。
note、Kindle、TikTok。

手のひら上のコンテンツは限りない。
いろんな人が使って、どんどん触り心地がよくなって、目新しくて刺激的なコンテンツが流れてくる。

でも同時になんだか刹那的で、少し怖い。手のひらのいろんな"イマ”を見つめ続けて満たされてしまうと、いつか飲み込まれてモノの見方まで近視眼的になりそうな気がする。

もちろんスマホを通じてインターネットという広い世界を見通せる人もいるし、そういう人たちから贈られてくる継続や努力、長期的なものの大切さを訴えるメッセージもたくさんある。でもそれに本当に心の底から共感して「わかる!」と言えることがどれだけあるのだろう。伴う共感の声は、本当に自分の身から、口から出ているのだろうか。

そんなゆっくりと忍び寄ってくるような、うっすらとした恐れを感じた時、母親のこの言葉を思い出す。

手元ばかり見てないで、遠くを見なさい。

小さい頃、悪化していく僕の視力を戻そうとするアドバイス。当の本人に深い意味は全くなかったけれど、なんだか今の状況と似ているなと思う。

目の前ばかり見ずに顔を上げる。そして、自分で遠くを見る。遠くを考える。遠くを言葉にする。そういうことがいろんなところで必要なんだろうなと思う。

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