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世界を小さくして、長い目で見る

最近「断ち切る勇気を持つ」ことを意識して暮らしている。

断ち切るとは、頭の中の断捨離のこと。

全てはローマの道に通ず、とよく言うように、色々な方面に足を伸ばしては世界を広げ、知識や人脈を貯めていくことは素晴らしいこと。自分の成長に繋がることに間違いない。

ただ少し前から、この「何事も経験」は全能ではなく、落とし穴があるのではと感じている。

きっかけは、いしわたり淳治さんのこの言葉。

あらためて部屋を見渡すと、なるほど部屋には「たくさんの"たまに"必要なもの」が溢れている。住むためではなく、そういうものを律儀に保管するために部屋を借りているような気がしてくるほど。いったい、300枚のTシャツを、一度読んだきりの本を、聞き返す予定もない大量のCDを、この先僕はどうする気なのだろう。とりあえず、全部仕舞ってあるだけだ。(うれしい悲鳴をあげてくれ - いしわたり淳治)

「部屋=自分」だと考え直してみると、とりあえず世界を広げるだけ広げた頭の中は、まさにたくさんの"たまに"必要な経験・知識をとりあえず全部仕舞ってある状態。もはやホコリがかぶっている。

そして、これだけ世の中がスピード感を持って動いている中で、風化した経験・知識を頼りにしてしまうほど怖いものはない。

だからこそ、たまには自分の世界を一度小さくすることが必要なのでは、と思う。

自分が今でもレベルアップさせ続けている経験や知識、好きなものだけを拾い上げて、自分が今どのような人間なのかを把握する。古びたものは捨て、初心に還る。

そうして、世界を絞る。イメージとしては、小さい家から大きい家に引っ越した時の「物が少ないな。スッキリしているな。」という感覚を取り戻す作業。

頭の中のスペースと自分への認識が正しく作られることで精神的に余裕ができ、新たにプラスしていくべきものが見えてくるのではないか。

大事なものを再確認してアップグレードを繰り返していくためと、長い目で見ていれば、捨てることもきちんと育つことにつながる。

世界を小さくするのは、意外と悪くないもんだ。


うれしい悲鳴をあげてくれ(ちくま文庫)

いしわたり淳治

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