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クリエーションとビジネスと、チームと。

先日、We margielaを見てきた。

(ここから先、ネタバレも含んだ雑感が入ります)

これはメゾン・マルタン・マルジェラ(今はメゾン・マルジェラ)の初めてのドキュメンタリー。昔からマルタン・マルジェラが一切メディアに出てこないことや有名なステッチタグなど、存在を消しながらも逆にあそこまで存在感があるところが好きだった。

もはや尊敬に近い感覚だったので、その裏側は本当はどうであるのか知りたくて観に行ったのだけれど、非常に生々しくて重かった。晴れやかな気持ちで自分も頑張ろうと思わせるようなものではなく、持ち帰って考えさせられるものばかり。観てから一週間が経った今、あの印象を風化させてはいけないなと思い、noteを書いている。

クリエーションについて**

印象が強かったのは、「謎は魅力を増幅させる。全てを言語化してしまわない方がいい。」ということ(正しいセリフではないと思う)。

マルジェラは一切顔出しをしなかった。さらに途中からメディアに対してもプレゼンテーションしなくなった。そこに多大な労力をかけていて疲れ切っており、それをしなくなった分、より創作に打ち込めるようになった。そこでメディアから見て、謎が増えた。そして、共に働くメンバーにも自分のアトリエは見せない。仲間ですら理解しきれない。さらに謎が増える。

まず思ったのは、魅力がなければ謎がそれをブーストすることもないということ。知りたいのに分からないことばかりだからこそ、それが成り立つ。

そして、魅力がある前提でそれを言語化しないこと。いちいち左脳で理解しなければいけないものは良いものではないかもしれない。ファッションで言えば、見て、着る。デザインで言えば、見て、触る。それで分かるものが本物。

昨今、言語化の波が来ているように見えるけど、それをどこまでパブリックにすべきなのかは自分たちのスタンスを決めるなと強く思った。

ビジネスについて

これは至極シンプルで、「ビジネスをどう回すか。お金をどう作るか。」は大切であること。宗教にも近いようなブランドでさえ、お金を作れないことに苦しみ続ける。初めは作りたい世界にまっすぐであったけれども、それが疲れに変わる。

ブランドが大きくなればなるほど、苦しみが大きくなる。やりたいことが叶えば叶うほど幸せに向かうように思うのに、お金が厳しくなればあっという間に不幸せに変貌する。マルタン・マルジェラですらそうであったというのはいささかショックだった。

ジェニー・メイレンスとマルタン・マルジェラが去った理由がやっとわかった。どうお金を作るかは本当に自分たちが続ける上で大事なことである。

チームについて

過去のメンバーたちが「あそこにいて幸せだった」と言えるのは素晴らしいと思った。これほどまでにつながっているチームって存在するのだろうか。

今マルジェラが復帰したら成功するかどうか、という質問に対して「当たり前だろ。そんな質問をしてくるあなたが信じられない」と答えたり、マルタン・マルジェラが突然辞めたことに対して今でも困惑していると話したり、信じる力がすごかった。

狂信的、と言えばそれで終わってしまうのだけれど、ブランドが”We”という言葉を使い始めたのもそういうメンバーが揃っていてたから。全人類を指した”We”ではなく、メゾンとしての”We”を言えるのはここだけだろうなと改めて実感した。


終わりに。ファッションブランドのドキュメンタリーは、デザイナーの苦悩と栄光が織り混ざる輝かしい自伝のようなものであるけれど、We margielaは最後まで”We”という視点から描かれていた。天才を掘り下げる映像ではなく、チームを掘り下げることがストーリーを描く輪郭になる。

ファッションを仕事にしているわけではないけれど、そういうことが自分の目指している一つの在り方かもしれない。

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