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平成最後のお盆に

お盆は帰省していました。妹も帰って来ていて、両親と4人でのんびり過ごすことができました。

13日がお盆の入り。4人で夕食を食べ始めた直後、父だったか母だったかが、「あ」と声を上げました。「仏壇を拝まなくちゃ」と。慌てて全員で仏壇のある茶の間へ。順番に線香をあげ、祖父と祖母に「おかえり」と声をかけました。

実家には仏壇があり、花やご飯はいつも絶やしません。ただ、お線香をあげ、鐘を鳴らしてきちんと拝むのは、各自が気が向いた時だけです。ただ、お盆やお正月くらいはきちんと挨拶しよう、ということになっています。

茶の間には大きな茶箪笥と食器棚があり、祖母が集めていた食器が今でもたくさん置かれています。急須にお茶碗、カップ&ソーサー、和洋折衷でたくさん。両親2人では到底使いきれない数なので、今ではインテリアのようになっています。

4人で順番にお線香をあげるなんて滅多にないことなので、なんだか妙におかしくなってしまい、照れ隠しのように食器棚を眺めていました。仏壇の順番待ちをしながら「こんな食器もあったんだねぇ」「これ、なつかしい」「欲しいのがあれば持って帰っていいよ」なんて話していて、全員が拝み終えた後もなんとなく立ち去りがたく、少しの間、食器たちを見ていました。

食卓に戻ってからも「おじいちゃんはよくこんなこと言ってたね」などと話が続き、「あ、聞こえちゃうかな」「話題になるってことは、おじいちゃんがこっちに戻って来ている証拠なんじゃないか」なんて。お盆に限らず、実家にいるとこんなふうにふと祖父母の話をすることがあるのですが、亡くなった人のことを「普通に」話せるのはすごくいいな、といつも思います。いつか私がいなくなった後も、誰かがあんなふうに話題にしてくれたらいいな、と。

故人のことを「偲ぶ」「懐かしむ」とよく言いますが、少なくとも祖父母に関しては、どうもそういう言葉がしっくりきません。いなくなってしまったのだけれど、でも、「普通に」そこにいるんじゃないかと思うのです。だから、どこか特別感のある「偲ぶ」だとかいう言葉にはなじめない。「いつも心の中にいる」というのも綺麗すぎる表現のような気がして、この距離感を上手く言い表す言葉がまだ見つかりません。

遠くに行ってしまった大切な人のことを、みんなが考える数日間。レジャーシーズン真っ盛りにしんみりする期間があるというのは、不思議でどこか風流な習慣のように感じます。

楽しい帰省、いい夏休みでした。

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