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『 shima 最終面接 』

数日後、1通の封筒が届いた。

shima Head Officeからだった。

「5年後には、こんな美容師になりたい」という作文を書くことになった。

が、何をどう書いたか、まったく覚えていない。

二月一日の最終面接は、

山野から受かったひとは、みんな一緒に行くことになった。

なぜなら、みんな学校が終わってからそのまま行くからだ。(笑)

覚えてる範囲内で、山野美容専門学校から

shimaに内定したひとを書いてみよう。

たぶん、だいたいは合ってると思う。
(違っていたらゴメンなさい。)

5組 五十嵐 公美
6組 阿部 文男(Mr.山野)
9組 山本 重徳(文化祭実行委員長)
13組  永福 修二
15組  猪鼻 康幸
15組  小川 真吾
15組  窪内 雅
17組  山口 恵子(Miss.山野)
19組  志田 恭子

もしかしたら、もう一人か、二人、

いたかも知れませんが、僕の記憶力ではここまでです。

山野卒アルを見ていて、個人的かわいい枠として

滝沢浩子。(笑)

当日は、代々木から渋谷、渋谷から銀座線だったと思うが

学校から、外苑前駅に着くまで、周囲の人から

ものすごく注目を浴びたような記憶がある。

僕は、憧れの" ケイちゃん"と一緒に行けることが誇らしかった。(ショーコすまん。)

緊張することもなく、実務的なやり取りを進め

それぞれの配属先が決められた。

僕は「西荻窪店」だった。

ホントは、青山店が良かったが、そんなことは言えない。

Mr. Miss 山野の、阿部、山口は

ふたりとも「青山店」だった。

当時のshimaの店舗を思い出してみよう。

shima 青山店
shima 渋谷店
shima 銀座店
shima 銀座店(cinq)
shima 西荻窪店
shima 吉祥寺店
shima 吉祥寺店(plus1)

現在とは違う店舗数と、場所である。

ちなみに、窪内、小川はふたりとも銀座店とcinqであった。

僕が行く、西荻窪店には、同じ山野の

永福が同じ店舗になった。(クラスも近くて顔見知り)

そんなわけで、

みんな、無事に配属先も決まり、

内定から、決定になった。

結局、最初の試験がshimaであり

運良く、僕は、憧れのshimaへの

入社が決まった。

かなりな、競争率の中、(100倍?200倍?もっと?)

運とはいえ、当時 一番人気のあった

shimaの合格は、ごく控えめに言っても、快挙である。

つづく。



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