未だに慣れない希死念慮
うつ病や双極性障害につきものな希死念慮。
みんな大嫌いな希死念慮。
消滅すればいいのに希死念慮。
人間死んでしまっては元も子もないため、希死念慮なんかに負けていられない。
みんな希死念慮とは様々な付き合い方があるだろう。多くの人がそうだと思うが、希死念慮だけは全く慣れることができない。
私の希死念慮の現れ方
希死念慮の現れ方ひとつ取ってみても、個人差はあるのではなかろうか。
私の希死念慮は、あ、死にたい、と、ふと浮かび上がってくる。まるで穴に引っ張られる感覚だ。
大抵は何の予兆もない。さほどつらいことがなくてもやってくる。つらいことがあってもやってくる。
ふと、窓から飛び出したくなる。
ふと、首を縄で締めたくなる。
ふと、駅のホームから一歩前に出たくなる。
ふと、希死念慮は浮かび上がってくる。
私の希死念慮の感覚
希死念慮は何ともいえない感覚である。
私の場合、ただ単に死にたいわけではなく、生存欲求を残した死への希求である。相反する感覚を持っているのだから、耐え難い。死にたいのに死にたくない。だから、いっそ死んでしまえば楽になるのに、である。
自殺を試みようとしたのは、死への希求からなのから、このへどの出るような感覚から逃れるためからなのか、区別がつかない。
理由がないから厄介なんだよ希死念慮
理由がある自殺願望も困ったものだが、希死念慮も厄介な存在である。なんせ病気の一症状であり、理由がないからだ。体内で何か起こっているので、正確には「社会的」な理由がない、というべきか。
理由がないと本当の本当に耐えしのぐしかない。精々、薬でごまかすしかない。寝に入ることができればラッキー、寝れなければ最悪、といったところだ。
結論:希死念慮大嫌い
本当に希死念慮大嫌い。
ブログとはまた違ったテイストです。