対称性

こんにちはこんばんは、
宿です。


早くも
櫻坂46 三期生『おもてなし会』から
一年が経過したそうで。

私も二日目に参加しましたが、
まさか一年後ここまで成長するだなんて
当時その将来に期待していてもなお
想像がつかなかったことと思います。


そして、私にとって忘れられない”感覚”に出会ったのが
この『おもてなし会』でした。

それが、谷口愛季ちゃんと山下瞳月ちゃんのシンメ
以下、あいしづシンメと表記します。


今日はせっかくおもてなし会一周年ということなので、
改めて私があいしづシンメの何が好きで
何をもってして「天下を取る」とまで表現しているのか

自分の脳内を整理するついでに
書いていこうと思います。


※当方、既に4thツアーの福岡公演に参加しまして。
曲目や演出のネタバレはないことは約束するのですが、
多少ツアーのパフォーマンスには触れてしまうかと思いますので
いかなるネタバレも踏みたくないという方は自衛ください。悪しからず。





直感

自分、普段ライブ後には必ず
そのライブでの感想というか、見たもの聞いたもの感じたことを
覚えている限りなるべくメモに残すんですね。

とはいってもそこまで大層なものでもなくて、
例えば「流れ弾ラスサビ ほのちゃん」とかしか書かなかったり
語彙もだいぶ単純だったり…ってそれいつもか。

ただとにかく、備忘録としてひたすら
メモを書くんです。
なもんで、
だいたい、その時に感じたこととかはメモに残っているし、
逆に言えばメモしたから覚えていがちなんですが、

これだけは違った。

なぜかメモには残っていないけれど、紛れもなく感じたことで、
今でも鮮明に覚えていること。


「あいしづシンメ、天下取るだろうな」



そう、「だろうな」と言うくらいなので
実際、おもてなし会ではあいしづシンメはありませんでした。
でも、Nobody's faultやBANのパフォーマンスを見ていて
二人がシンメにいる姿を容易に想像できたんです。

しかも、想像の時点で
そのシンメの相性の良さったらない。

そして
いつか見られたらいいなあ、程度で思っていた夢は
案外早く叶います。


正解

サードツアー終盤、
モニターにでかでかと「3rd MEMBERS」が表示された直後、
会場中に鳴り響いたDead endのイントロは今思い出しても鳥肌ものですが、

よーく見ると
おい。あいしづシンメではないか。
私が天下を取ると確信したあいしづシンメではないか。
それもフロント。ほのてんポジ。

そしてこの時のパフォーマンスは、
おもてなし会での私の”直感”に「正解!」とでも言ってくれているような
もはや一種の貫禄を感じるものでした。
「谷口と山下ぞ?良いに決まっているだろう?」と言われている気分。
それはそう。すみません。


で、じゃあ結局何が良いのか。
サードツアー当時、まだその答えはぼんやりとしていましたが、
「表題フロントシンメ」として帰ってきたその姿に
私は思い知らされることになります。


天下取り

「天下を取る」だなんて
凄そうに見せてあまりにも曖昧な表現ではありますが、
それでもこう表現している大きな理由は、

「似ている」と「正反対」のバランスにありました。



まず「似ている」点で大きいのが、
二人の身長。

早速いじってんの?と怒られるかもしれませんが
そうではなくて。

実際、フォーメーションを組む上で
シンメのバランス感っていうのは
視覚的にも取れている必要があると思っているんですね。
少なからず。

とまあこれはシンプルに私の中での美学に過ぎないでしょうが、
例えば、山﨑天ちゃんと藤吉夏鈴ちゃんのシンメも
身長が近いからめちゃくちゃ見栄えが良い。

あのシンメだからこそ、
ノバフォの最初のフォーメーションが美しいのだと
私は思っているくらいです。


次に似ていると思うのが、
内に秘めたるものの熱さ。

とはいえ、これは雑誌のインタビューなどで
表面的に見えている限りにすぎませんが、、、

先日発売されたBRODY 4月号での瞳月ちゃんのインタビューでは、
「”瞳月が同じ考えを持っていて嬉しい”と愛季に言われた」
というような旨の話をしています。

互いに対するリスペクトも
似通っているのではないかな、とも思っていて。

お互いがお互いのパフォーマンスを尊敬しているからこそ、
そんな相手がシンメなのだからと自分を鼓舞する。
二人とも実力者であるが故に生まれる正の連鎖が、
よりその輝きに磨きをかけているのだと思います。
かっこいい。



同時に、
「正反対」な部分があるのも好きなんです。

それを肌で感じ取ることができたのが
まさに今回の4thツアーでした。

愛季ちゃんと瞳月ちゃん、
踊り方と表情の”静”と”動”が逆なんです。


というと
”動”が良くて”静”がダメなんか、となりそうですが
そうではなくてですね。

踊り方は愛季ちゃんが”静”で瞳月ちゃんが”動”。
愛季ちゃんは無駄なくスマートに踊る一方で、
瞳月ちゃんは動きに迫力があり、「バキバキに踊る」という表現が似合う。

是非こちらを参考に↓

余談ですが、
踊り方の”静”と”動”を意識すると
承認欲求MV衣装の色分けが
愛季ちゃんが青、瞳月ちゃんが赤なの大納得なんですよね。
神のスタイリング助かる。



そして、特に今ツアーでの収穫として大きかったのが
表情の作り方の違い。

こういう書き方をしているので
皆さん察しが付くかと思いますがその通り。(?)
愛季ちゃんが”動”、瞳月ちゃんが”静”なんですね。

と言っても、
これを感じたのは特定の曲を見ているときなので
正直曲によって差はあるとは思いますし、
元々愛季ちゃんが「表情が課題」と言われたという話をしていたこともあり、
なんなら逆では?と思う人もいるかもしれません。

ただ、それだとさっき一言断ったように、
”静”がダメ、という意味になりかねない。
そこには待ったをかけたいんです。


前述の通り、
愛季ちゃんは昔「表情が課題」と言われたそうで。
(待って、ここのソースが見つけられないので後々加筆修正します)
承認欲求発売時のインタビュー(以下リンク参照)でも
「素の表情を出して踊るのに苦戦した」と話しています。


ただ、最近の愛季ちゃんから
「表情が課題」だなんて感じることはなくて。
なんて上から目線すぎますが、
特に最新曲『何歳の頃に戻りたいのか?』を踊っているときは
心の底から楽しそうに見えるんです。

だからこそ、二人とも表情が良いからこそ、
愛季ちゃんの表情の作り方は”動”であり、
一方瞳月ちゃんは”静”であると言いたい。(大声)

特にわかりやすいのが
何歳の頃に戻りたいのか?のミュージックビデオ。

1:35~あたりの表情、
愛季ちゃんも瞳月ちゃんも(優ちゃんも)強そうですが(小並)、
ベクトルが違うと思うんですね。

この表情の違いが好きなんです。

この先のツアー、
この違いにも注目しながら見ていけるのが
今から楽しみで仕方ない。


もう一つ、正反対な部分として、
「考え方」が挙げられます。

あれお前さっき内に秘めてるものの熱さ一緒って言ったじゃん
とお思いの皆さま。
まあ落ち着いて。

「考えていること」ではなく、ここで言いたいのは
「”考える”ことへの比重」の違いです。

これまたBRODY 4月号で話していたことの一部ですが、
愛季ちゃんは考えすぎてしまう傾向にあり、
反対に瞳月ちゃんは深く考えすぎないようにしているようで。

それはどちらが良い悪いではなく、
各々の気持ちの作り方の違いであったり、
アプローチの仕方のちがいであったりすると思いますが、
その正反対さがまた良いなと。


なんかもう、
こんなに長く書いてきてますが
早い話がやっぱり「直感」なんですよね。

ここが似てるから、正反対だから好き。
別にそれだけ。
似てるからどういう理由で良いとか、
正反対だと~~だから良いっていうより、
そこが良い。そうだから良い。

論理的じゃなさすぎて
大学のレポートとかだったらしこたま修正かけられそうですが、
いいんです。noteなので。(よくない)


ただモデル的なのは私の中であって。
それが乃木坂46のくぼしたシンメ
(久保史緒里さんと山下美月さんのシンメ)
なのですが、
その話をし始めると源氏物語くらい長くなるのでやめます。


共通点と相違点のバランスが
あいしづシンメをシンメトリーたらしめているのではないでしょうか。





ここまで信じられないほど非論理的な駄文に
お付き合いいただいたお優しい皆様。
もしいらっしゃるのであれば、
本当に本当にありがとうございます。

あいしづシンメちゃんが
これからどれほど大きく、力強く
羽ばたいていってくれるか楽しみで仕方ありません。

いつか、いつの日か
Wセンター、見たいね。





ではでは今回はこの辺で。
またツアー終わりにでも書きます。

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