見出し画像

『流れ弾』を咀嚼する

おはようございます。こんにちは。こんばんは。
宿です。


実はだいぶ、だーいぶ前から
書きかけのnoteが下書きに眠っておりました。

『流れ弾』についてのnoteです。

それもこれも、
2022年、自分が参加したライブのうち、
すべての櫻坂46のライブで見ることができたのが
『流れ弾』だったのです。

と、いうわけでBuddies感謝祭前に書き始めていたんですが、
出しどころを失い、
しかもBuddies感謝祭では『流れ弾』をやらなかったもので、
ずっと下書きに眠っておりました。


なのでなんとびっくり、
話は3rd Single BAKCS LIVE!!まで遡ります。

そこそこなボリュームになるかと思いますが、
今この記事を開いてくださっている
Buddies界のホノー・タムラのみなさん(この表現気に入りすぎ)、
どうか読んでくださるとうれしいです。



センターの違う『流れ弾』

基本的にこれ以降は、自分の当時の感想メモやツイート、
あるいは映像を見返した感想を振り返って話していこうと思います。

さて、初手から濃いですね。
昨年、私が最初に見たライブは
櫻坂さんにとっても2022年最初のライブである
3rd Single BACKS LIVE!!でした。

私が見に行けたのは初日だけだったので、
一旦、ここでは二日目公演の小池美波さんセンターについては割愛します。あしからず…

ということで、私が2022年最初に見た『流れ弾』は
大沼晶保さんがセンターでした。

大沼さんは前回のBACKS LIVE!!でもBANのセンターを務めており、
そのパフォーマンスの迫力と曲への入り込み方は折り紙つきです。

そんな大沼さんが率いた『流れ弾』は、
普段田村保乃さんセンターで披露されるそれとは全くの別物でした。

センターの狂気に全体が飲み込まれていく、という
おおまかな流れこそ同じだったものの、
その「狂気」の種類がまるで違っていました。

田村保乃さんの狂気にはあまり、
「自分がおかしい」という意識が見えない部分があって(2022頭時点)。
どうやら自分が「おかしい」とされる空間に放り込まれたらしい。
物語のスタートにそんな雰囲気を感じるのですが、

大沼さんは違う。

「自分がおかしい」という意識のもとで、
「何が悪いの?」というたたずまいで、
(いや、某バラエティー番組ではなくて…片寄葵ちゃん、かわいいよね)
終始”自信にまみれた狂気”を演出しているように感じました。
自覚のもとでの狂気ゆえ、リミッターとかもうぶっ壊れてて、
このままどうかなっちゃいそうなスリル感もあって、
私自身終わった後は放心状態でした。

あのライブでやる『流れ弾』には多分、
私たちが思う以上に大きな意味があったと思います。
そんな中で、あそこまで堂々とあの曲のセンターを張ることができたのは
やはり、大沼さんの度胸あってこそだと思います。

大沼晶保さん、可能性の塊すぎる。


↑BACKSLIVEのティザー映像。3:37~大沼晶保さんセンターの流れ弾です


強さ

昨年、櫻坂さん全員が揃うライブは、5月21日、22日に行われた
『渡邉理佐卒業コンサート』(以下卒コン)が最初でした。

この日私は二日目に参加したのですが、初日の配信も見ていたので、
「昨日BANをやったはずのところ」に開始前から異変を感じました。
うわ!!!これ流れ弾だ!!!
なんとびっくり(ダサ)、この日『流れ弾』をやったのは、
開演してからたったの5曲目でした。

『流れ弾』は披露されてから今(2022.5月)まで、
ずっと「ライブの最後」にしか披露されていませんでした。
そんな中、
こんなに”強い”曲を、もう序盤に持ってこれる櫻坂さんの”強さ”に
私はただただ感嘆しました。

センターにいる田村保乃さんの表情にも前より余裕が見える気がして、
曖昧な表現ではありますが、
諸刃の剣だった『流れ弾』を、自分のコントロール下で、
自らへのダメージが出ないように扱えるようになった
みたいな、なんとなくそんな感じがしました。

この時点でもそう思ったわけですが、
まだこれが完成形ではなかったことを
後に私は知ることになるのです。
(↑なんかかっこいい言い回し)


さて本番はここからです。
盛り上がっていきましょう。(?)



支配者

私が『流れ弾』に大きく変化を感じたのが、
延期により8月の19日、20日に行われた
『W-KEYAKI FES. 2022』(以下ケヤフェス)でした。

この公演も私は二日目に参加しましたが、当方なにせ身長が低いもので、
正直ほぼモニターを見ないとわからないという状態でした。
不幸中の幸い、サブステージが近かったので、
『恋が絶滅する日』あたりは近くで見られたのですが…

ということで生憎、話すのは表情メインになるのですが、
この日の田村保乃さんの表情が
今まで見てきたそれとは違うものになっていました。

当時は”異変”とすら思ったくらい。

田村保乃さんが全然、苦しそうにしないんです。

で、まあ蓋を開けてみたら(?)
次の曲が『BAN』だったと。
ああ、入り込みすぎるとBANがやりにくいんだろうか。
あるいはBANにつなげるために今回限りテイストを変えたのだろうか。
その辺で折り合いをつけていました。自分の中で。

しかし。
ツアーの初日に参加してみたら

やっぱり、流れ弾の保乃ちゃんが苦しそうじゃない。

いや、「苦しい」という表現がこの曲における田村保乃さんの表現のアイデンティティというわけでもないんですが、

今までの『流れ弾』での田村保乃さんは、
「流れ弾の主人公」を自らに”おろしてきている”ように見えていて、
憑依というか、それこそ披露するたび多大なHPを消費するというか。
かつ、前述のとおり、
「自分がおかしいことへの自覚」は序盤では見られませんでした。

それが、ケヤフェス以降、
”自分の置かれている状況を理解した上でほかのメンバーと対峙している”
ように見え、
いい意味で、まるで朝飯前のように『流れ弾』を”調理”しているというか、
そんな印象を受けました。

自分の参加したライブのうち、特にそれを強く感じたのが
2nd TOURの宮城公演二日目。
あの日の歌い出しでカメラに抜かれた田村保乃さんは、
まるでみんなを品定めしているようなまなざしをしていました。
すごかった。今思い出しても鳥肌が立ちます。

元来の『流れ弾』が「『流れ弾』の世界に入り込む」ものだったとすれば、
ツアーを通して「『流れ弾』の世界観を支配する」ものに変わったんじゃないか。
多少解釈は違えど、まず間違いなく、このツアー期間で
田村保乃さんが『流れ弾』を”モノ”にしたと思います。
えらそうな言い方ではありますが。。。

余談ですが、
セカンドツアーの流れ弾の話は
↓こちらの記事でも少し話しています。

お手隙の際に、よければ。


”外”への『流れ弾』

時系列がずれますが、ここからは少し番外編。
初めて「アウェー」の櫻坂さんによるライブを見た、
『MTV VMAJ』の話です。

そもそもあの日のセトリは全面的にバグっていたんですが、
特にガツンと印象を与えたのが『流れ弾』だったような気がします。

やっぱり、アウェーとなると『流れ弾』のブレイクを「ブレイクだと思わない(=おしまい)」と感じる人も多かったわけでして。
私の聞こえた限り、拍手をしている人もいました。

そこへ突き刺すように放たれる、

『Wait a sec.』

時が止まる感覚ってこういうのを言うんだなあと。
セリフをそれこそ引き金にして、終わるかと思った人たちもみんなまとめて、
「櫻坂のペース」に飲み込まれていきました。

結論:櫻坂さんはホームでもアウェーでも関係なくすごい(小並)



自我と狂気の共存

2022年の時点、
特に2nd TOURを通して、
『流れ弾』には一区切りついたのだと思っていました。
完成、とは言わないけど、最適解を出した感覚。

そんな自分の考えが心底甘かったと思い知らされたのが、
今春開催された3rd TOUR 2023でした。

このツアー全体を通して、
個人的に最も
「何公演分も見る甲斐がある」
と感じたのがこの『流れ弾』。

田村保乃さんが公演ごとに
少しずつ、時には大きく魅せ方を変えてくるのを見るのが
すごくすごく楽しかったんです。

このツアーの『流れ弾』、
始まり方が公演ごとに試行錯誤されていたようで、

代々木ではブレイクの音楽の途中から照明が当たり
田村さんの表情が見えていたんですが、
愛知では曲が始まる直前にバンッと照明が当たってようやく
表情が見えるようになるつくりになっていました。

この、愛知で表情が見えたときの衝撃を
いまだに忘れられない。
なんと表現すべきか、、、
「動物的本能で”危ない”と思った」
と、公演直後のメモにはそう書いています。

上段に登場して以降、
1番のAメロでは田村保乃さんがメンバー全体を
上から俯瞰するような構図になっており、
(ここも少なくとも代々木の二日間で変わっていたけど)
階段、あるいはセンターのエレベーター式のステージを使って
だんだんとメインステージに降りてきます。

このときの
なんだかとんでもないものが迫ってくるような緊迫感。
メインステージに降りてきたときの「誰が?」の”真打登場”感。
特に今回のツアーの「誰が?」は
今までにないくらいダークでした。

あと細かいけど、
2番Aメロでは通常と異なり、
その前のサビで花道に出てきていたために
戻りながらメインステージを向くようにして踊っていたんですね。

ここで田村さんは左右にいるメンバーを糸で操るような振り付けを踊っていますが、
普段と反対の向きを向いているので
振り付けもまんま鏡になっていたんです。すごい。いや細けえ。

それから今回のツアー、顕著だったのは
「正規の振り付けとは異なるアドリブの多さ」。

特に
大阪二日目で見た『その他大勢の中に紛れて』で
ヘドバンもせずに見せた、見たことのない表情。
狂気にかそこからくる快楽にか、”何か”に溺れるような笑み。
そして神奈川三日目で初めて見た、
一番最後の
「お前らはどうだ」
と試してくるような指差し。

サードツアーの『流れ弾』を見たうえで映像で見たセカンドツアーの『流れ弾』に
違和感すら覚えるほどの「進化」でした。
まだ伸びしろがあるのかこの曲。
Buddies感謝祭でTAKAHIRO先生の仰った、
「振り付けは生きている」という言葉を
痛感するパフォーマンスの数々でした。


結局、サードツアーの流れ弾をどう表現するべきかなあと思ったとき、
出てきたのが

自我と狂気の共存

でした。


ここまでもそうである前提ですが、
完全に主観的な表現をすると
一年目の流れ弾が『憑依』、
二年目の流れ弾は『支配』だと思っていて。

三年目、サードツアーでの流れ弾は
狂気の種類というか、雰囲気としては一年目に似ているものの、
一年目と違い、あるいは二年目を踏まえて、
「明確な自我・自覚」を持っているように見て取れました。

『強い自我を持ったうえで、強い狂気に溺れている』

私の乏しい、非常に乏しい語彙で
絞りに絞り出した表現がこれでした。
もっとうまく表現できる言葉を思いつけないのが悔しい。

イオンカードライブのメモを見返したら
「『流れ弾』という曲で遊んでいた」とも書いてありました。なるほど。

モノにしたと思いきや、
今度は自分の好きなように、思うがままに演りこなす。
田村保乃さん、恐ろしい。


加えて、
サードツアーの『流れ弾』がそれまでと異なっていた理由には、
少なからず「声出し解禁」がかかわっているとも思います。

イオンカードライブの時点で
コールがあるからか、心なしか田村さんが楽しそうに踊っていたのも
印象的でしたし、
Buddiesみんなで「リンチパーティー」と叫ぶ光景は
傍から見れば異質ですが、
あの中にいるとわかる。
「狂気が伝染していく」ような感覚がたまらない。
もうみんな田村保乃さんに、櫻坂さんに吞み込まれているような感覚。

でもだからこそ、
愛知での田村保乃さんの存在の逸脱さに萎縮したのかもしれない。
とも思います。
どれだけ狂気が伝染しようが、
この人には勝てない。







いくらトピックスが
『言いたいこと言わせてくれ』の曲とはいえ、
さすがに駄文をだらだらと書き連ねすぎてしまいました。
反省しています。ごめんね(ずと春)

『流れ弾』はもはや、
私がライブに行く大きな理由の一つにすらなっている
そんな楽曲、そんなパフォーマンスです。

きっとこの曲の見え方だとか解釈は
人によって全然違うし、
まして田村保乃さんのそれと同じだなんて限らないし、
同じかどうか、ひいてはそれがどんなものなのかを知ることすら
叶わないのかもしれない。

ただ、この曲のパフォーマンスがどう変わろうと
どれも「その時の正解」であろうことと同じように
どんな解釈も間違ってないんだと思います。
『流れ弾』に限った話でもないですが。



次流れ弾を見られる時、
どんなものが見られるのか、
自分は何を思うのか、
それを楽しみにして生きようと思います。(壮大)







P.S.
なんか誰か「『流れ弾』討論会」とか開いてほしい



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?