体と体は対話する
マッサージLESSON初回
ウルグアイ人のマッサージの師匠からマッサージを教わり始めた。
その初日、自衛官の青年が来て、30分希望していたが、私の練習台になってくれるということで、教わりながらなので結局2時間半。
人の体に触れる機会などなかなかないし、最初は緊張していたけれど、体は多くのことを語っている。
触れるだけでその人の生き方が垣間見えてくる感じだ。それは体と体の会話で、言語化することが得意な私でもなかなかそれを言い表すのは難しいし、それに体の対話には体で反応するので特に必要ないとも思っている。
その人がストレスや疲れをため込んでいると、なんとなくここが嫌な感じがするってのがわかって、そこに指が反応してほぐしていく感じ。
私の最初の練習台になってくれたその青年は素直な性格なようで、初心者の私の相手にぴったりというか、体が読み取りやすかった。
軍隊訓練に詳しい師匠は
「上官の指示や指差しで肩の辺りにストレスが溜まる」
ということを言っていた。
青年はライフルを背負っての訓練で肩が痛いと言っていたけれど、師匠曰く原因はそれだけじゃないという。それが古いストレスからくるものか最近のものかも触れただけでわかる。私はまだそこまでいかない。「何かある」としかわからない。これは慣れというか多くの人に触れるのが一番というのだから、ある意味カウンセリングに近いだろう。
師匠は全12回で少しずつ技を伝授したかったそうだが、この初回は内容が濃く、私はもうすでに数回分の内容を学び取ることになったらしい。
この青年は初めて来たのだけれど、本当にタイミングがよかった。彼も得したと喜んでいたし、私も多くを学んだし、師匠も弟子の早い進歩に大喜びだった。
マッサージLESSON二回目
その日は島のお祭りで、師匠が針金アートとマッサージで出店するというので顔を出した。
思った以上に人は多いし、最初師匠がどこにいるかわからなかったけれど、マイクインタビューで「私のマッサージは最高です」と聞こえてきた上に「本当ですか?」と言われたのか「当然です!」という声が聞こえてきたので、「あ、どっかにいるわ」と思って、やっと発見。
マッサージ用の台はなく、椅子に座って肩もみ一回500円。
そこに師匠の顧客の素敵なご婦人が登場。
私が偶然師匠に会ったのが自分の誕生日だと言うと、彼女はなんと私と同じ誕生日だった。
自分と同じ誕生日の人に会うのも奇遇だけれど、すごいのが、私の生年月日を聞いただけで、その人が私の人生を言い当てたことだ。
「あなたは大難が小難になってきた人」
と彼女は言った。
確かにそれはある。
・昔酔っぱらって屋根から落ちた時、あと少し場所がずれていれば背中から雀の餌台に落下。さらに雨で地面が濡れていて土の上だったので無傷。
・名古屋で知り合ったスリランカ人一味の山のアジトに行って一緒にカレーを食べる。後から知ったけど彼らは不法滞在だったし、もし悪人なら危なかった。
・出張駄菓子屋で働いていた時、ボスがヤクザみたいな感じで、給料ももらえず出張先に放置。居合わせた別屋台の人に地元までの車に乗せてもらう。
ほかにも投資詐欺に引っかかったり、お金なくなったり、中国やドイツでもなんか色々あったけど、必ず誰かに助けられたり、運よく難を逃れたりってことはあった。
だんだん自分でも、何か守護霊か何か目に見えない何かに守られてるのかもしれないと思うようになってきた。
「あなたはもう世の中の仕組みがわかっている人」
ということも彼女は言った。
「これからも大丈夫だし、多くの人が集まってくる人」
とも言われてうれしかった。
なんか「大丈夫」って思ってればだいじょうぶになると思うし、「ほら、やっぱり大丈夫」って確信がさらにつぎの「大丈夫」を生むのかなとも思う。
基本的にヤドカリ生活で人の情けで生きているけれど、ここまで人の助けや情けで生き続けていると、ほんとそれはもう目に見える人たちはもちろん見えないものにまで助けてもらってるとしか思えない。ありがたい。
誕生日が同じということもあり、なんだかその人もまた自分の分身のように思えた。
「死ぬときに、人生おもしろかったーと言って死にたい」
って私はよく言うけれど、同じことを彼女も言った。
そして私が肩もみをした後、彼女も私にしてくれた。
私の背中をなでたりしてくれた。
正直、師匠のようにテクニックがあるというわけじゃない。
でも、なんだか体中にエネルギーが湧いてくるような心地よい温もりと爽快感がある。
師匠がいつもいう「相手の体を大切に扱いなさい。相手を愛して、自分を愛しなさい」ってことなのかもしれない。
私は日本語の先生になって思ったのは、教師は知識だけじゃダメだってこと。何より大事なのは人間力だと私は感じた。
同じことをマッサージにも感じる。
どちらも人を相手にしている。相手を尊重し、そして自分も尊重しなければならない。それが師匠のいう「愛」で、それは教育にもマッサージにもどちらにも必要なものだと思う。
それがない教師の授業は最悪だし、それがないマッサージ師のマッサージも最悪。自分の経験から言わせてもらうと、本当に受けない方がマシ。
それぐらい、どちらもプラスになるとは限らないものなのである。下手な授業やマッサージは毒にしかならない。でもその毒を体感したからこそ、反面教師にできたところもある。
その後、私は師匠に言われて別の女性の肩もみをする。
正直緊張していた。
そして触った感覚もこれまでとちがった。
凝りといより、なんかパーンと膨らんでぎゅうぎゅうな感じ。脂肪という意味ではない。中に何か詰まっていて、そしてそれは不要なものという感覚。
少し離れて立っていた師匠が、
「あなた、とても悪いエネルギーためこんでるね。こっちまで飛んでくるよ」
と言った。
本当かどうか知らんけど、確かになんかガスみたいなものが充満している感じ。これはほぐすというか流すほうがいいというような。
とりあえずどっかから抜けないかなと思いながら、もみつつ、体をなでてみた。
「人間ってスキンシップ大事なんですよ。おかあさんがお子さんのおなか痛い時『痛いの痛いのとんでけー』てなでると痛くなくなるみたいな、あれ本当だと思います。なでるって効果あるんですよ」
その直前に誕生日同じ女性にやってもらったのもあって、実感込めてそう言った。
すると、その人の体の中ではちきれそうになっているようなガスがなでるたび少し動いた。
これが師匠がいつもいうパフォーマンスか。
相手が効果があるって思うことで治癒効果が増すのか。
誕生日同じ女性が私にやってくれたように相手を大事に思いながら、良くなーれって思いながらなでる。ただそれだけで、エネルギーが湧いたあの感覚を思い出しながら続ける。自分にしてもらったことを相手に、相手が自分であるかのように、私が彼女であるかのように。
それをやっているとき、誕生日同じ女性の娘さんが歌っている歌が流れてきた。カラオケ大会みたいなイベントをやっていて、その歌が始まるからと、あの女性はそばを離れていったのだ。
聴いていて心地いい歌声だ。
女性バージョンもいいものだなぁ。
海岸のお祭りにピッタリの曲だ。
歌のおかげもあって気分よくマッサージができた。
自分が楽しむのが一番大事なことだと師匠もいつも言う。
これって授業にも通じるもので、常に自分が良いコンディションで授業に挑んで学生たちより自分が楽しむというのが私のモットーだ。
そしてマッサージ代500円もらった。
見習いの自分がもらうのもどうかと思ったけれど、相手がそこにお金を出してもいいと価値を見出すなら感謝してもらうべきだと思ったので、私はありがたくいただいた。
これが私が生まれて初めてマッサージで稼いだお金である。
手作り絵本や紙芝居を買ってもらって得たお金と同じぐらいうれしかった。
マッサージLESSON三回目
三回目は昨日。本当なら、日ごろお世話になっている友だち夫婦が帰省しているこのタイミングでマッサージさせてもらいたかったのだけれど、都合が合わず断念。
とりあえず一人で行って、師匠とお互いにマッサージをするけれど、自分がしてもらっているときは師匠の手がよく見えないし、私が師匠にマッサージすると師匠は寝る。そして声をかけても師匠曰く「トムとジェリーみたいな声」でリアクションするだけ(半分寝ぼけている)。
で、師匠は楽になったというけれど、自分としてはいまいち手の動きがわからなかったと思っていたら、またタイミングよく練習台になってくれるお客さんが現れた。
しかも自衛官の青年や誕生日同じ女性同様、私に細かくアドバイスしてくれる人でまさに「お客様は先生」状態。
まあ当然技術としては素人同然ではあるけれど、今でこそ「師匠」な師匠も最初は「落ちこぼれ」と言われてたらしいし、それに比べれば私は進歩が速いらしい。
まあ少なくとも私は師匠が感じ取ってるものを感じることが何となくできる。昔からいわゆるエンパスで共感力が高い。だから人からエネルギーも受けやすいところがある。実は自衛官の青年の時も、彼が帰った後、同じ部分が痛み、師匠にその場でマッサージしてもらった。この三回目の時も、マッサージの後、だるくなってくらくらした。
師匠にはマッサージが終わったらすぐ肘まで手を洗うようにと言われている。そして植物をそばに置けとも言われた。
ちなみに師匠の店には植物があるが枯れている……。
私も植物や鉢植えを枯らしやすいのだけれど、ずぼらだからかそれとも別な理由があるのか、いずれにしても、こんなところまで同じかと思う。
マッサージはダイレクトに人から何か受け取る。
自分が人にマッサージをされた時、変な人に背中撫でられて気持ち悪くなって吐いたことがあるし、マッサージ師に心開けないと体がどんどん硬くなるということも起こる。マッサージされながら、逆にこの人今悩みがあるなとか私生活もめてるなと感じることもあった。
マッサージやエステ、美容室など、ダイレクトに触れられるようなものに関しては、相手の技術以上に人格も大事だということを、私はこれまでの経験から感じている。
まさか自分が人にマッサージをするようになるとは思わなかったけれど、それは日本語教師の仕事を始めた時も思ったことで、本当に何があるかわからない。
そして逆に若い時じゃなくてよかったと思う。
自分の精神が不安定でコントロールもできないような時に、人にダイレクトに影響を与える仕事をしてはいけないと強く思うからだ。
逆に簡単に相手の影響を受けてしまったりもする。
今もそれが完全になくなったというわけでもないが、少なくとも若い頃よりはエネルギー的に落ち着いてきたところはあるし、重ねて書くけど、長く生きるほど「大丈夫、なんとかなる」というのが強まってくるので、そこまで落ち込みも続かない。
もともとの資質や性格はそんな簡単には変わらないけれど、自分との付き合い方も慣れてくる。
それでも師匠に「自分を愛してますか?」と問われると、どうなんだろうなー、そこまの自己否定はないけれどとは思いながらもよくわからない。
「あなたがこのマッサージの過程全部終えてマスターした時、あなたはとても変わります」
と師匠が言うから楽しみにしていよう。
ちなみに私が体の左側にばかりストレスが生じるのは過去のトラウマストレスの蓄積らしい。主に人間関係……「家族」だ。
そもそも私が島に来たのはコロナでヤドカリして家族のエネルギー喰らって腰痛が悪化したのが理由だったのだけれど、このマッサージとは別に学んでるエンパス訓練もあるし、今後は相手の負のエネルギーに呑まれることなく、逆に自分が愛を送れるようなマッサージができるんだろうか。もしも拒まれないならば、父にもしてみたいと思う。
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