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「人の顔色を伺ってしまう自分」を殺したくなってしまったエピソード[前編]

私は「無意識に常に人の顔色を伺ってしまう」そんな癖があった。

具体的には

◇上司がただ立っただけなのに「何を言われても反応できるように」と身構える

◇同僚・後輩にやたらと笑顔で話しかけ、困っていたら助けようとお節介をする

◇喜んでもらうことを目的に、雑用を率先して引き受ける

◇「違う」と思ったことでも、笑顔で「そうですよね」と答える

◇少しそっけない言動を取られただけで「私何をしてしまったのだろう」と不安になり、なるべくその人の役に立とうと試みる

などだ。
20代の酷い時期には

「何か不愉快にさせてしまうようなことがありましたら、おっしゃって下さい。直しますから・・・」

そんなことまで言ってしまう、鬱陶しいことこの上ない人間であった。

ただただ、
人に嫌われることが日々恐怖だったのだ。

そして、このような人の顔色を伺う自分が大嫌いで、ときに自分を殺したくなってしまう。

手首に剃刀を当てて
「これで生まれ変わるんだ!」
と切に願い、かすかな血を見ることが多々あった。

もちろん、それでは生まれ変われるはずはない。

手首を切ったところで、人の顔色を伺う大嫌いな自分は消えないのは当たり前だ。

人の顔色を伺い、時には知らずに「人に媚びる言動」をしていた自分のことが、今となってもかなり恥ずかしい。


【人の顔色を伺う人間になった要因】

では何故、自分を殺したくなる程に、人の顔色を伺うことを無意識に行ってしまっていたのか?

その行動の原因は、6歳から始まった母親からの暴力と暴言にあると確信している。

私の母親は、職場の女性に狂った夫から子ども丸ごと無一文で捨てられたのをきっかけに、長女である私に向けて暴言を吐き暴力をふるうようになった。

私にとっては意味の分からない暴力と暴言だったが、恐らく母親は躾だと思っていたに違いない。

一桁代の子どものことだ。実際に悪いことをしたこともあるのだろう。

しかし、私の記憶には
「何をして怒られたか」という反省の記憶よりも
「とにかく毎日恐怖であった」ことが強く強く残っている。


【疑問に思う悪いこと】

母を怒らせたであろう、私がした「悪いこと」の内容にいくつか疑問がある。
例えば―

もうすぐ小学校に入学するという時期。
関東から四国に引っ越したばかりで、私はその土地の食べ物のことをまだよく知らなかった。

母親より、ある食べ物の買い物を頼まれたが、説明されてもその品物のイメージが沸かない。

店員さんに聞けば分かるというので、とにかくスーパーに行って聞いてみた。
が、当の本人がイメージできていない6歳の説明は店員さんにも伝わらなかった。

「これではないか?」と取り合えず持たされたのが、ガラス瓶に入った油だ。

それを持って帰り渡したとたん母親は大激怒!
「お前は買い物1つ出来ないのか!?」
と私を突き飛ばした。

そして、後ろにあったガラスの引き戸にぶつかり背中を預け座り込む形になった私の顔面目掛けて、買ってきたガラス瓶を投げつけた。

生え変わってまもない永久歯が欠けた。
だが母親は、今でもそれを知らない。

余談だが小学校高学年になるころ
「お前の歯は先が尖っていて何でも切れそうだ」と笑っていた。

私は、母親が私を笑ってくれたことが嬉しかった。
既に壊れていたと思う。

しかし、小学校もあがっていない子どもが買い物を間違えただけでぶっ飛ばし、瓶を顔面に投げつける行為。

母親からすると買い物を間違えた私が悪いのだろう。

私が「疑問に持つ悪いこと」とはこういう類のもので、ミスをすれば

・罵声を浴びせられ

・掃除機の柄や布団たたきなどで叩きのめされ

・蹴られて

・物を顔面に投げられる

ことが日常茶飯事だった。



【納得がいく悪いこと】

そして、私が本当に悪いこともある。
例えば私が中学生のとき―

女手1つで2人の子どもを育てている母親に、私が物を無くしそうな状態のことを咎められたとき
「物を無くしたら買えばいい」という酷いことを言ってしまった。

もちろん殴られて蹴られたが、これはお金の大切さが分からず一生懸命働いてる母親を思いやれなかった私が悪く、手を上げられても文句を言えないことをしたと思う。

また、悪いことをしたら叩く暴言をはくというのは時代的に珍しくなかった。

こうした類は「理解できる悪いこと」だが、それに対しても母親はあくまでも躾ではなく、自身の機嫌と感情のみで暴力をふるっていたと私は受け取っている。

それでも、叱ってもらうことは大切だとも思う。


【顔色を伺う自分の完成】

こうして、私はほぼ毎日母を怒らせたが

◇「疑問に思う悪い」とき

◇「納得できる悪い」とき

◇「何もしていないのに八つ当たりされる」とき 

の暴言暴力が、ほぼほぼ同じだったので
「何が悪くて何がOKなのか」が全く判断ができなかったというのが正直なところだ。

とにかく「何が母親の起爆剤になるのか?」と、毎日毎日ビクビクして母親の顔色を伺い時には媚びてやり過ごした。

それが18歳まで続き、母親の顔色を伺うことが習慣づいた私は、相手が母親ではなくても「人の顔色を伺う人間」に出来上がっていたようだ。

小6の懇談会から帰ってきた母親に怒鳴られた内容が

「お前は先生の顔色をいつも伺っているらしいな!? ほんとにやらしい!」

だったことからも間違いはないだろう。

本当に無意識で自分で分かっていなかったのだが、確かに担任に「なんで構えるんだ?」と不機嫌な顔で舌打ちされたことがある。

自分がどんな構え方をしてのかは未だに不明のままだ。


【なぜ反撃しなかったのか?】

ここでふと自分に対し疑問が沸く。

中学高校にもなれば、本気を出せば母親の暴力に勝てるであろう歳だ。

それなのに、おびえ続け母親に反撃しなかったのは何故なのだろうか?

正確には「言い返すこと」はするようになり口論は絶えなかった。

しかし、母親が怖いことには変わりない。
一体、何が怖かったのか?

分析した結果、答えは
「捨てられることが怖かった」
にたどり着く。

母親は私が6歳の頃から頻繁に
「言うこと聞かないなら施設に捨てるぞ!」
と脅し、

小学校3年生の頃には

・「家事もできないなら施設に放り込むぞ!」

・「誰のおかげで飯が食えてると思ってんだ! 施設の子はろくな物しか食わしてもらえないんだ! お前もそうなるか? ああ?」

と、品のない言葉で怒鳴り散らしていた。
施設の先生方や預けられているお子さんにも失礼な話だ。

ただ、6歳で父親に捨てられた私にとって、母親が頼れる全てであった。

今考えれば、施設に入れてもらえていた方が、暴言暴力から逃れられる可能性が高かったと思う。

それなのに小学生の私は、 
泣いて謝って「お茶碗洗うからーっ」と母親の元に置いてもらうことを懇願していた。

私にとって母親は、子どもの小さな世界の教祖様のような存在だった。


【偶然で見事なマインドコントロール】

そんな中、私の教祖様は

◇機嫌の良いときは笑顔を見せてくれる
◇ほんのたまに誉めてくれる

といったことがあった。

暴言暴力という日照り続きの砂漠の中、乾ききった私の心はそんな小さなオアシスを求めていた。

幼少より恐怖を植え付け、少しの優しさを与える。

愛情を欲している子どもの欲望を適格に突いた、見事なマインドコントロールが出来上がっていたのではないか?

確実に「母親に逆らってはいけない」と、意識を支配されていた。

これが「中高生になっても母親の信者のままであった」ことに対する、自己分析結果である。

ついでに言えば、口で反撃するくらいに母親に対して不満があり、暴言暴力が怖かったのであれば、中学卒業とともにサッサと逃げ出せばよかったのだ。

世間体をある程度気にする母親は「誰のおかげで学校に行けせてもらえてると思っている!?」といい続けながらも高校まで行かせてくれた。

15歳の私は恐らく、母親に対して精神的甘えも経済的甘えもあったのだろう。

そんな自分の弱さに吐き気がしそうだが、今は「しょせんは15歳だった」と開き直っている。


【底辺より下の世界】

こうした、攻撃されたくないがために毎日もれることなく母親の顔色を伺い続けたことで、

私は社会に出ても上司・先輩・同僚・後輩に至るまで、人の顔色を伺う習慣に気持ちを振り回されていた。

気持ちを振り回され続けると、慢性的な疲労が心の奥に知らずと溜まっていく。

心に溜まった疲労は、多大なるストレスとして私の自律神経のバランスを乱していった。

自律神経のバランスが乱れることで

◇食べ物を欲する発作が止まらない

◇眠れない

◇常に人に嫌われていないか不安

◇原因不明の体調不良

などの症状に日々悩まされる。

食べ物を欲する発作で食費は月20万を越えることもあり、バイトを3つ掛け持ちしても間に合わず借金を重ね借金地獄へと陥っていった。

睡眠不足でボーッとする頭ではミスが多い上に新しいことに対処できない。

常に人に嫌われていないかと不安に押しつぶされていては、勤め先での人間関係も上手くいかなくなってくる。

体調不良の身体を思うように動かせず、仕事は休みがち。

出勤はおろか電話を掛けることすら怖くなり、世に言う「バックレ」なども各職場で起こした。

こうして見事に、常識を守れない社会不適合な私が仕上がり、

人生をスタートさせられないまま底辺から更に下へ下へと落ちていった。

是非、皆様にも知っておいて欲しい。
人生には「底辺よりも下の世界」があることをーー

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ー 続く ー

後編はこちらから↓
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「人の顔色を伺ってしまう自分」を殺したくなってしまったエピソード[後編]
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