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アジサイさん逝く

大海赫先生の奥さまであるアジサイさんこと大海明子さんの訃報を聞いたのは10月17日。お亡くなりになったのは10月7日とのことだった。前日まではお元気で、当日の急逝だったそうだ。それもSNS告知で人伝てに知ったこともショックだった。衝撃から立ち直れず、しばらくはこの件に触れることもできなかった。聞いた当日の夜は一睡もできなかった。とりあえず自分がしたことは、大海赫先生に電話する、仕事上の関係者たちに連絡する、そして花を贈ることだけだった。大海赫先生は電話口では思ったよりしっかりとされていた。むしろ僕の衝撃に対して気遣ってくれていた。「左田野さんの涙は人の何倍もあるだろうから、直接伝えられなかったよ」と言われた。自分は眠れなかったが、泣きはしなかった。しかし弔花を手配する時に、女性店員に「何かメッセージを書かれますか?」と訊かれて、何を書くか考えようとした途端に、アジサイさんの思い出がドッと湧き上がってきて、急に涙と嗚咽が止まらなくなった。「すいません、泣かせちゃって」と女性店員さんがオロオロして平謝りしていた。もちろん彼女が悪いわけでもなんでもない。メッセージを考えた時に、抑え込んでいた感情が堰を切ってしまったのだろう。
 思えば私たちはアジサイさんの大きな愛に包まれてきた。いつも誰にも親切で、お節介なくらい世話焼きな方。そして大海赫先生の最大の賛同者。その作品を世に送り出すことに、我が身を捧げていた。それでいていつも出版社が損をしていないか気遣ってくれていた。自分と大海赫先生はよく似ている。できすぎた妻を持ち、家事一切をできないやらない。先生の場合は作家としての契約や印税管理も含めてである。だからアジサイさんに先立たれた大海赫先生がとても心配。それでも従来から病身にあったアジサイさんだから、万全の手配をされていたようだ。そしてアジサイさんの弟さんが、様々にフォローして下さっていた。どんなに仲の良い夫婦でも、生命が尽きた時には離れ離れになる。夫婦というものは、新婚の頃に愛し合ったり、子供を産み育てている時はもちろんお互いにかけがえがない存在だ。しかし歳を重ねて老境に入れば、自分たちの周りにいる人がドンドン減ってくるから、切実に大切な存在になる。ましてやこのコロナ禍の時期でもある。これからは自分も及ばずながら、大海赫先生のフォローをさせて頂くことになった。大海赫先生の著作権管理は、先生とアジサイさんの弟さんの委任で、私に一任して頂くことになった。つまり私がアジサイさんの代役の一部を果たすということ。夫の作品を少しでも表に出したいという、アジサイさんの遺志を継ぐ所存である。

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