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JOKER 感想 この笑えない冗談にどんな顔で相槌を打つか?

JOKERを見ました。

最初から最後まで笑えないジョークであるこの物語、現実の自分に重なる。経済状況、母親と2人ぐらし、モテない男である事、些細なことが上手く出来ない、そんな自分に苛つく日々、夢はあるがそれを叶えるには足りない才能。

やること為すこと空回りの果てに手札はどんどん減っていき、手元に残った最後の一枚のカードは、、、。

今の社会、(といっても狭い自分の見識の範囲でだが)反乱や反抗は実践的な社会または自己の変革の手段として見られてはいない。それよりもせめて自分のできる範囲で生活を良くしようというのが自分と同年代(20代)ぐらいの考えで多いと感じる。果たして自分の年代(いや自分)は政治や自己実現に無関心でただ無為に日々を過ごしているのだろうか? 個人的な思いでしか無いがそれらについて考えるにはなんだか妙に疲れているのだ、常に。後ろ向きに考えても仕方ないと言われ、しかめっ面でいるようなヤツにいい進学先、いい就職先も無いと教えられ、(Why so serious?)ふやけた笑いを浮かべて面接を突破した先にはヘラヘラしてんじゃねえ、そんなんで社会では生きてけないと言われる。自分の人生を時給に換算してみては、より高価(硬貨)な死を望む。

JOKERは危険な映画だという、たしかに最も最悪な形で彼は自己実現を行い更に社会まで変革した。”悪の誕生”みたいなコピーまでつけられていた。しかし今作において”悪”は存在しない。明確な悪意と言うものは一つも無かった。在るのは無意識の悪意、人がそれと気付かない無意識の差別、弱者への嫌悪感、強者への僻み、これらは誕生するまでも無く煙のように充満しているものだ。それを誰よりも深く吸い込んでしまったのが彼だった。

私達は誰でもジョーカーになり得る?ソレは無い。

だが私達は誰でも、ジョーカーを生み出し得る。

マーベル作品やダークナイトではスーパーヒーローも普通の人間と同じく悩み、普通の人間もスーパーヒーローのように考えることが出来ること示してきた。しかし今作ではDCきってのヴィランを用い、他ならぬ普通の人間である私達、その私達が形成する社会が”本当の悪”を誕生させる事を示しているように感じた。

ホアキンフェニックスの鬼気迫る演技、音楽が醸し出す不条理、どこか煙草の煙でモヤがかかっているように感じたくすんだ画面、確かなモノなど何も無いというアイデンティティを揺るがすストーリー。

果たしてこの笑えないジョークに僕らはどんな表情を返すのか、曖昧な愛想笑いなのか、つまらないと一瞥するのか、悲しんでみせるのか。その表情をJOKERは待っているのだと思う。

#JOKER #Joker   #映画感想


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