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小説「わたなべなつのおにたいじ」②

 私と清明は押し黙ったまま靴を履き替え、外へ出る。汗をかいた体に吹き付ける風がとても心地いい。正門はもう閉まっている時間なので、裏門へと急いだ。本棟を外から回り込むようにして実習棟の脇に出ると、ちょうど部活帰りの学生たちが部室長屋のある実習棟から出てくるところだったので、私たちはその集団に紛れ込むようにして裏門を出た。

 「なぁ、さっきのって、夢じゃないよな?」
 清明がこちらを見ないで、小声で話し掛けてくる。
 「・・・うん。見て・・・。」
 私はさりげなく、清明に手の甲を見せる。かなり薄くなってはいるが、まだ稲光のように走っている蚯蚓腫れの跡がついている。
 「あの刀を抜いた時についたの。まだ消えてない・・・。」
 「・・・。」
 「あの小さい男の子、ひどいケガだったけど・・・。」
 「ああ、そうだよな。・・・冷静に考えてみれば、あの男の子もかなり怪しい感じだった。」
 「うん・・・。」
 それから二人は押し黙ったまま、歩き続け、私の家の前へ到着した。
 「おばさん、帰って来てるのか?」
 清明が心配そうにそう言った。家の電気はまだついておらず、母が帰ってきている気配はなかった。
 「まだだと思う。」
 「一人で大丈夫か?」
 「んー、ちょっと、怖いかも・・・。」
 「じゃあ、それまで俺の家で待っててもいいぞ?」
 「うん、でも、かなり汗かいたから・・・清明が私の家で待っててくれるのは、ダメ?」
 「!・・・べ、別にそれでも・・・いいけど・・・。」
 「? 何か問題ある? 飲み物とお菓子くらい、出すよ?」」
 「い、いや、そうじゃなくてさ・・・じゃあ、そうするよ。」
 「良かった! ありがと!」

 いつもの玄関の鍵なのに、今日は開けるのがちょっと怖い。外の喧騒から隔絶される気がする。それに、もし中に誰かいたりしたら、どうしよう?
 ゆっくりと鍵を回すと、やがてカチャッと音がして鍵が開く。私は身構えながら、恐るおそるドアを引く。
 何か飛び出してきたりはしなかった。私は急いで玄関の明かりを付け、普段は付けない玄関灯のスイッチも押した。
 二人で靴を脱いで、廊下、リビング、ダイニングと順々に巡りながら、部屋の明かりを点けていく。ここまでは異常なし。次は二階だ。階段を上がり、私の部屋、異常なし。母の部屋、異常なし。物置にしている八畳間、ここも異常なし。
 そこで二人はほーっと息を吐く。知らず知らず、ここまで結構息を静かにしていた。
 「特に変わったことはないね。リビングに行こうよ。喉、渇いたでしょ?」
 そう言ったのは、私も喉がカラカラだったから、と言うのもある。

 階段を降りて、リビングへ行く。私は続きのダイニングからキッチンへ抜け、冷蔵庫を開けて中身を確認する。
 「ウーロン茶とコーラがあるけど・・・あ、ポカリもあるよ?」
 冷蔵庫を覗き込みながら、私は言った。
 「じゃあ、コーラで。」
 グラスに氷を入れて、コーラを二人分注いでからリビングへ戻る。
 清明はソファにもたれかかるようにして座っていた。私は音がないのが不安になって、テレビのスイッチを付ける。夕方のニュースが流れていた。
 コーラで喉を潤すと、今度は空腹が気になりだした。私は戸棚からポテトチップスとアルフォートの大袋を持ってリビングに戻り、清明の隣に座る。と、清明がちょっと位置をずらした。
 「・・・なんでずれんのよ。もしかして、私臭う?」
 私は自分の肩口の辺りの匂いを嗅いでみるが、特に臭ってはいないようだ。
 「そ、そうじゃねぇよ。・・・俺たちももう高校生だしさ、ほら、いろいろあんだろ?」
 清明がもごもごと話す。心なしか、顔が赤い。そこで、さすがの私も気が付いた。
 「あー、もしかして清明さん、私のこと女として意識しちゃってる?」
 「ば、バカ言うなよ!そんなんじゃねぇけどさ、おばさん帰って来て変に勘繰られても困るだろ?」
 しどろもどろになる清明が、やたら滑稽に見える。なんか、からかいたい気分になってきた。
 「ふーん、気にしてないんだ?じゃあ私、汗だくだからシャワー浴びてくるね。これ食べながら待っててくれる?」
 「お、おう、勝手に行ってきたらいいだろ。お前んちなんだから。」
 「・・・のぞかないでよね?」
 「の、のぞかねーよ!」
 
 ものすごくムキになってる清明を笑い飛ばしながら、私は洗面所へ向かった。制服を脱ぎ捨て、下着は洗濯ネットに入れて洗濯機へ投げ込む。裸になったらちょっと気持ちが良くなった。汗だくのブラウスって、体に張り付いて気持ちが悪い。
 意気揚々と浴室に入って、私は飛び上がるほどに驚いた。
 「きゃーーーーーーっっ!」
 浴室に、さっきの男の子がいた。浴槽でのんきに自分の服を洗っている。背中の傷は、もう塞がっているようだった。
 「な、な、な、な」
 『何してんのよ!』が言葉にならない。私は前を隠すのも忘れ、わなわなと震えながらバカみたいに男の子に向かって指を突きつけていた。
 「ど、どうしたっ!」
 そこに、清明が転げ込んでくる。
 肩口から振り返り、清明とバチッと視線が合った。
 「きゃーーーーーーーっっ!」
 私は咄嗟に屈みこみ、縮こまって二度目の悲鳴を上げた。
 「わ、わ、わ・・・」
 清明は『悪い』と言いたかったんだと思うけど、それも言葉にならない。目を大きく見開いて、目の前の光景が信じられない、という表情をしている。
 「タ、タオル、タオル取って!早く!」
 私は必死に胸を隠しながら、右手を伸ばす。
 「あ、ああ、タオル!」
 清明はこちらを見ないようにしながら、タオルを手渡してくれた。が、それはフェイスタオルだった。
 受け取ってみて、それに気付いた。
 「違ーーーうっ!これじゃないっ!バスタオルっ!」
 フェイスタオルを清明に投げつけ、さらに右手を伸ばす。
 「バ、バスタオル!バスタオル?」
 清明はキョロキョロと洗面所を見回すが、バスタオルが見つけられないようだった。
 「その、洗濯機の棚の! 茶色のやつ!」
 「ちゃ、茶色・・・これか!」
 今度こそ、バスタオルだった。私は急いでバスタオルを体に巻いて体を隠す。
 まるっきりコントだ。テレビと違うのは、私は一瞬にして二人の男子に裸を見られた女になったってこと。これは現実。
 二人のやり取りをきょとんとした顔で見ていた男の子は、やがて浴槽から衣服を取り出し、何事もなかったように絞り始めた。
 「ちょっと、アンタ!人の家で何やってんのよ!」
 男の子は手を止めることも、こちらを見ることもなく、冷静に作業を続けながら言った。
 「見ればわかるであろ。洗濯じゃ。一張羅だからの。」
 「そ、そうじゃなくて!なんで私の家にいるのよ!」
 そこでようやく、男の子は手を止め、こちらを振り向く。
 「うむ、そのことじゃがの、いずれにしろここには来ることになっていたのじゃ。ちょっと順番が入れ替わってしまったがの。」
 そういうと、男の子はカカカ、と高笑いをする。子供の声なのにしゃべり方は水戸黄門みたいで、すごく違和感がある。
 「どういう意味?それに、さっきのアレは何?」
 「そうそう、娘、お主には説明せねばならんことが山ほどある・・・じゃが・・・まずはこの服を乾かせるところはないかの?」
 男の子は両手に洗濯の終わった服を広げて、そう言った。

 半ば放心状態の清明に連れられ、男の子は下帯一丁でリビングへと向かう。私は急いで新しい下着を付け、スウェットに着替えた。
 リビングに戻ると、男の子はポテトチップスをさも美味しそうに頬張りながら、ニコニコとテレビを観ていた。清明は男の子の服をダイニングチェアに広げて干していた。
 なんてシュールな光景だろう。これが我が家とは、とても信じられない。
 その時、私の携帯の着信音が鳴った。母からだった。
 「ああ、那津?ごめん、今日ちょっと遅くなりそうなのよ・・・そうね、10時までには帰れると思うけど・・・。」
 時計を見ると、時刻は7時40分になっていた。あと2時間くらいのうちに、今の事態を収拾しないといけない、というわけだ。ともかく、今は朗報としよう。
 「わ、わかった。・・・うん。・・・こっちは大丈夫。・・・・うん・・・異常なし。」
 自分でも白々しいとは思ったが、すべてを母に説明するのは無理があり過ぎる。それは頭の良くない私にでもわかる。
 「適当に食べるから、大丈夫。・・・うん、気を付けてね。」 
 スマホをテーブルに置くと、『どうすんだよ』という目で清明がこちらを見てくる。
 実際、どうしたらいいんだろ?

 「娘、お主、『なつ』と言うのか?」
 唐突な質問に、思わず動揺する。
 「ええっ? そ、そうよ。私、那津って言うの。渡辺那津。」
 「ほー。『わたなべの なつ』か・・・。宿命とは言え、数奇なものよのう・・・。」
 男の子はやたら感心したように、うんうんとうなずきながらそう言った。
 「そういえば、お前、名前は?」
 清明がリビングの男の子に近付きながら男の子に尋ねる。
 「わしか。わしは、『おにまる』じゃ。」
 「お、おにまる?それは、名前か?どういう字を書くんだよ?」
 「名前じゃ。「鬼」に「丸」と書いて、鬼丸じゃ。」
 「まんまじゃねーかよ!苗字は?」
 「苗字?そんなものはない。ただの鬼丸じゃ。」
 「なんだよ、それ。自分でわからねーのか?」
 清明は鬼丸と名乗った男の子に掴み掛ろうかという勢いだったが、鬼丸の方は涼しい顔で、さも鬱陶しそうに顔を背けた。
 「お那津、この者はなんだ?お前の伴侶か?弱いくせに、やたらと偉そうじゃのう。」
 清明が「何っ!」と言うのと、私が「はんりょ⁉」と言うのが同時だった。
 「清明、とりあえず落ち着いて。えっと、まず、この男の人はキヨアキって言って、私の大切な友達で、伴侶ではない。で、鬼丸君はどこから来たの?お母さんは?」
 その私の質問に、鬼丸は不思議そうな顔をする。
 「どこから、と言われても、儂にもよくわからんよ。それから、儂は刀の化身で、人ではない。母も父もおらん。」
 まるで他人事のように、さらっととんでもないことを言う。
 「・・・じゃあ、さっきのあの刀は、やっぱり鬼丸くんだったんだ・・・?」
 「いかにも、その通りじゃ。名の通り、鬼を屠る刀というわけじゃよ。」
 鬼丸は得意そうに胸を張って、そう言った。
 「切れ味抜群、であったであろ?心得のない者でも、アレじゃからのう!」
 そう言われて、私は「あの時」の感覚を思い出した。確かに、包丁すらまともに持ったことのない私が使って、あの太くて頑丈そうな脚を骨ごと切断したのだから、その切れ味は折り紙つき、ということだろう。まるで、バターを切った時のような感触だったのに。
 「そうそう、アイツは何なの?変なお面付けて、いきなり襲い掛かって来て・・・それに、あの風景!」
 感触が蘇ってきたら、他にもいろいろ思い出して来て、私は一気にまくしたてた。
 「・・・うむ、あれが鬼じゃ。あれは面などではないぞ?まだ若い未熟な鬼じゃったが、鬼には違いない。それと、景色が変わったのはあやつに鬼界に引きずり込まれたからじゃ。」
 「鬼・・・?それに、鬼界・・・?」
 「そうじゃ。鬼とは、古来より人界を騒がせる災い者じゃ。『地獄の獄卒』なぞと言われておるが、地獄には鬼などおらん。詳しいことは儂にもわからんが、お主ら人とも深い関りがあるらしいぞ。それと、『鬼界』とは、鬼の住処じゃ。見た通り、この世をそのまま陰にしたような世界じゃが、人の代わりに鬼がいる世界、ということじゃな。」
 私は清明を見た。私の理解を超えた内容だったが、清明は理解できただろうか。
 「その鬼が、どうして俺たちの世界に?」
 「うむ。鬼にも頭領がおってだな、儂を目の敵にするんじゃよ。まあ、これまで何百何千と言う鬼を切って来たからのう、無理もないことじゃが、まったくもって鬱陶しいかぎりじゃわい。」
 「要するに、お前を追ってきた、ということか?」
 「その通りじゃよ。さっきも言った通り、儂は鬼を切ることのできる刀の化身なのじゃが、儂を振るう者がいなくてはなんの役にも立たん。鬼にとっては儂を亡き者にする絶好の機会じゃったわけじゃ。」
 「その、鬼界とやらは、どこからでも出入りできるのか?」
 「まあ、人界と鬼界は表裏一体じゃからな。その能力のある者ならどこからでも、出入りは自由じゃな。」
 「じゃあ、ここにも、ってことだな?」 
 「ふむ、そこに気が付くとは、お前さんは弱いが頭は働くようじゃの。安心せい。お前たちを待っている間に、この家には結界を張っておいた。まあ、簡単には破られんじゃろ。それに、いざとなったら儂で戦えばいいだけのことじゃ。」 
 さすがは清明。私は二人のやり取りを見て右往左往するばかりだったが、きちんと理解しているみたい。
 「『待っていた』って、どういうことだ?」
 「そうそう、大事なのはそこじゃよ。儂は、お那津に会いに来る途中に鬼に襲われたのじゃ。」
 突然私の名前が出て来て、私は驚いた。
 「私⁉なんで⁉」
 「なんで、と言われても、儂は元々お主の持ち物じゃからの。まあ正確にはお主の御先祖ということになるが・・・。この世に鬼が現れたなら、儂はその世代の儂の持ち主を探すように約を結んでおるのじゃ。そのために、この人間の体に化けることができるようにできておる。」
 「・・・もしかして・・・羅生門の話に出てくる、あれか?」
 清明が冷静に問い掛ける。
 「おお、お主・・・清明と言ったか、羅生門の経緯をしっておるか。なかなかに博学じゃのう。」
 鬼丸はさも感心したように、膝を打って身を乗り出した。
 「あれは、実話だったのか?」
 「そうじゃよ。儂と源次様で、羅生門の鬼どもを退治したのじゃ。」
 「じゃあ、那津は、渡辺綱の子孫、ということなんだな?」
 「いかにも。源次様から数えて、二十一代目の子孫、ということになるかの。」
 「で、お前が那津のところに来たと言うことは、この世にまた鬼が出てきた、ということか・・・。その辺りのことを詳しく聞かせてくれ。」
 清明はチラッと私に視線を投げかけると、座るように目顔で促した。私は釈然としないまま、鬼丸と名乗った子供の対面のソファに腰掛ける。
 「よかろう。話は、少し遡る。今から、さよう、15年ほど前になるか、ここから北の、青森というところで、古い塚が見つかった。その塚は、鎌倉の時代に土地の者たちが鬼女を封じた塚だったのじゃ。そんなことを知らぬ愚かな人間は、我欲のためにその塚を壊してしまった。封じられていた鬼女はその人間を喰らって力を得ると、こともあろうに朱点を封じた塚を暴き、この世に朱点を蘇らせてしまったのじゃ。儂はすぐに目覚めて、その代の源次様の子孫を探した。そして見つけたのが、お主の父親、渡辺伊織殿じゃ。」
 「私の・・・父親・・・?」


「わたなべなつのおにたいじ」②
了。

前のお話。良かったらどうぞ💕


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