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降ります!

日々の通勤は電車を使うことがほとんどだけど、週1回のジムに行くときや、微妙に電車だと遠回りになる場所は、バスを使うことが多い。
東京は、結構バス網が張り巡らされていて、乗りこなすと便利だよなあと思う。
普段電車で通り過ぎてしまっている区間も、バスに乗ると、「あのお店、ここにあったんだ」とか「この商店街良さそうだな」とか、見えなかった街の風景が見えるから、そういう意味でも、たまにバスに乗って視点を変えるのは良いことだと思っている。

小さい頃、少し離れた祖母の家に行く時にも、毎度バスを使っていた。
バス停の名前が「北1条○丁目」「北2条○丁目」と数字の順番通りに進んでいって、私が降りるのは「北5条」だったので、1つ前の「北4条」に向かう時から、降車ボタンに親指を当てて、今か今かとその時を待っていた。
そしてバスが「北4条」の駅を走り出すと、「次は北5条」とアナウンスが流れる。
私ときたら、「次は」の「つ」の瞬間に親指に力を込めて、ピンポーンと降車ボタンを押していたものだ。
誰かに先を越されると、何度押したって無意味になってしまうので、絶対一番最初に「降ります」ボタンを押すんだと、負けず嫌いが猛威をふるっていた記憶。

さすがに大人になると、そんな意地はなくなる。
むしろ、幼少期の私と同じように、ボタンを押すのを心待ちにしている子供を見ると、「どうぞ押してくれ」と思ったりする。

なんだけど、はなからボタンを押す気がないと、他の人が一向に押してくれない時に困ったことになる。
私がよく降りるバス停は、そんなにマイナーな場所ではないというか、まあどの時間帯であっても、自分以外に2〜3人は降りるようなところ。
だから、基本的には何もせずとも、誰かが降車ボタンを押してくれて、事なきを得るわけだ。

だがしかし、たまにいつまで待っても降車ボタンが押されない時があって、内心「え、待って、誰も降りないの? ほんとに?」と思いながら、バス停に着くギリギリまで耐えてみて、それでもダメだったら、仕方なく自分で押さなければならない。
「なんだ、今日は誰も降りないのか。珍しいなあ」と思いつつ、プシューと開いた後ろのドアから降りようとすると、私の他にも4人くらいゾロゾロと降りていくではないか。
「みんな、降りるんじゃん。なんだよお」とちょっと裏切られた気持ちにさえなる。
恐らく私以外の皆さんも、「いつもは誰かが押してくれるから」と思っていたに違いない。
それでも皆、ギリギリまで「きっと誰かが」と信じ続けてボタンを押さなかったのに、我慢できなかった私の負け。

子供の頃はあんなにわくわく押したボタンなのに、大人になると大声で「降ります!」と宣言してるで、急に恥ずかしくなる。
降車ボタン1つでやきもきしてるのは、私だけかしら。
そんな一喜一憂はつゆも表情に出さず、颯爽とバスを降りてゆくのです。


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