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徳を積むこと。積んだ徳はきっと我が身に返ってくる。それも意外なところから。【コラム的なお話】

”徳を積む”ということは”善行を行う”ということ。

私の家は仏教の曹洞宗の檀家である。お寺の住職さんからは、
「人の為になることをしなさい」
「悪いことではなく善い行いをしなさい」
と説かれることは多いです。最近も法要のあとの説法でこの話を説かれたばかり。幼少の頃から、家族にそう教えられた方々も多いことと思います。

<善い行い>
・公衆トイレに空き缶が放置されていたので拾ってゴミ箱へ捨てた
・友人が困っていたので”心配事があるなら相談にのるよ!”と声をかけた。
・道に迷っている観光客がいたので案内した
<悪い行い>
・人に嘘をついて騙す、陥れる、痛めつける。
・困っている人に対して「見て見ぬ振り」をする。
・自分だけ利益を得て、いい思いをする。

そんな”徳を積む”ということについて、以前知人から言われてハッとしたことを書き留めようと思います。持論も多いので、その点はご容赦いただければと。

■”徳を積む”とは?

”徳を積む”
目には見えないが、心の満足度として積み重なっていくと言われています。
そしてそれらは、巡り巡って我が身に返ってくるとも言われています。ですが、積み上がると言われても500円玉貯金のように目には見えないもの。そして、「徳を積んでもいいことなんか何も起こらない」「誰にも褒められない」と考えてしまうこともあるのではないでしょうか。

それゆえに「優しい人ほど損をする」と揶揄されることはしばしば。

果たして、積んだ徳は我が身に返ってくるのでしょうか。

■徳の中でもっとも尊い”陰徳”

数ある徳の中でもっとも尊いとされるのが”陰徳”と呼ばれるものがあります。”陰徳”とは、「人に見られていないところでも善い行いをする」こと。成功者の多くは、この”陰徳”の積み重ねをしてきていると言われています。

陰徳
「人に知られなくてもいい行動をすること」

”陰徳”があれば、”陽徳”もあります。

陽徳
「人前でいい行動をすること」

陽徳は、何よりも自らの行動が目に見える形で評価されます。賞賛されます。人前で賞賛されることは大変心地の良いものです。ですが、陽徳は一代で尽きるとされているそうな。また、人間は賞賛されると天狗になることも多く、そうなると謙虚さが失われることもあります。

■徳の”押し売り”は「徳ではなく邪念」だと思う私

あのとき○○○してあげたのに!!!!

いわゆる仲違いをする時によく耳にするセリフのひとつ。
確かに、助けてもらえることはとてもありがたいものです。

....ありがたいのだが、このセリフを言われてしまうと一気に興ざめしてしまう。そして、このセリフが表に出た時、人はその人を拒絶し、離れていく気がします。

どうしても、利益や見返りを求めていることが最上位にあるように感じてしまう。きっと私たちの付き合いはその程度だったのだろう。と。

これまでの経験の中で、この言葉が産むのは、絆より亀裂の方が多いと感じています。

■積んだ徳はきっと我が身に返ってくる。それも意外なところから。

いわゆる”押し売り”のような感情になってしまっていたことは私自身もよくありました。特にメンタル不調に陥ってからは、他罰思考の反応がよく出やすいことがあります。その点は理解し、反省すべき部分だなと感じていました。

そんな時、突然に学生時代の友人からメッセージが届いたことがあります。

なんかお前のことが心配だ。
今度のGWは帰省するから、一緒に飯でもいこうぜ!

学生の頃、私は学寮で先輩後輩も含めて共同生活をしていました。彼は学寮で共に過ごした仲間のひとり。いわゆる”同じ釜の飯を食った”仲間です。

20歳で卒業と共に学寮を旅立ち、それぞれの道を歩み出した私とその友人。Facebookで繋がりはあったものの、連絡を取り合うのは実に12年振りのことでした。

12年も経って突然連絡がきたことに対し、私は少々疑念を抱いたものです。

もしかして、何か勧誘されるのではないか・・・
分厚い本や高価なツボでも売られたりして・・・

ですが、そんなことは愚問でありました。

お互い30歳を過ぎても、あの頃と変わらない会話。小さな街の小さな食堂で思い出話や今のお互いについて語り合う。

その時、彼にこの”徳を積むこと”の話を教えてもらってことは覚えています。

その時に私が感じたこと。

何年も顔を合わせていない彼が遠くの地で私のことを心配してくれていたこと。居場所は遠くなっても、お互いを思う気持ちは疎遠にはなっていなかったこと。

それそのものが”積んだ徳は巡り巡って我が身に返ってくること”なのだなと。

■”人に優しく”が連鎖したら、もっと生きやすい世の中になるんじゃないかと思う

優しさの集大成は”人知れず自分を犠牲にして人の為を思うこと”だと思います。これって、みんながみんなできることではないと思うのです。

それゆえに、すれ違いや仲違いもするし争いも起こるものです。

とはいえ、皆が皆、”人に厳しく””見返りばかりを求める”ような行動なってしまっては、その結果として息苦しさしか産まないと思うのです。

誰かが優しさを意識して行動した時、一方のもう一人救われる。
そしてその救われた人が、また誰かを救う。

この連鎖が起これば、もう少し生きやすい世の中になるのかなと思います。
本当にそうなるかはわかりません。でも、少しの優しさで変わる世界もあるのだと思います。私はそう思います。


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