見出し画像

Michael Breckerの名盤 (7) Infinity/ McCoy Tyner:評伝エピソードを交えて

私がジャズサックスに傾倒するきっかけとなったテナーサックス奏者、Michael Breckerの評伝「マイケル・ブレッカー伝 テナーの巨人の音楽と人生」が刊行されました。
というわけで、評伝のエピソードを挟みながら、私の好きな名盤、名演を紹介しようという企画です。今回はその6回目。当然ながら、評伝のネタバレもいくらかありますので、ファンの皆さんはまずは評伝を買って一読することをお勧めしますし、そこまでは、という人もこの記事で評伝に興味を持ってもらえると(そして買って読んでいただくと)幸いでございます。

今回の名盤:
Infinity/ McCoy Tyner

今回は、マイケルが敬愛するコルトレーン黄金のカルテットのピアニスト、マッコイ・タイナーとの競演盤です。録音は1995年4月。前回書いたポールサイモンとのツアーのあと、しばらくは兄ランディとブレッカーブラザーズを再結成して、その活動が一段落した後、ソロ活動再開に先駆けてリリースされたアルバムで、当時「マイケルがアコースティックジャズの世界に帰ってきた!」と興奮したことを覚えている。
内容は、まあ、ある意味想像通りで、今となっては「可もなく不可もなく」かなw しかし、今回評伝を読んで、マイケル的にはここに至るまでに散々な苦労して、このアルバムがそこから立ち直る?ためのきっかけになったのではないかという印象を得たので、今回はそこら辺の話を中心に。

なぜかサブスクに上がっていないので、You Tubeのプレイリストです。


7.1 「ジョーヘン事件」

前回書いた通り、マイケルは絶好調の自己のバンド活動を停止して、1990年後半から丸二年間、ポール・サイモンのワールドツアーに参加する。ポール・サイモンの仕事では法外なギャラwと特にアフリカ系の音楽、ミュージシャンとの邂逅を果たしたわけだが。その間に、米国ジャズ業界では、マイケルにとってとんでもない事件が勃発していた。
詳細はぜひ評伝で読んでほしいが、物凄く簡単に言うと、1992年の半ばに、やはりジャズ界の大物テナーサックス奏者、ジョーヘンことジョー・ヘンダーソンがジャズ雑誌のインタビューで「最近の若い奴ら、特にマイケル・ブレッカーは俺のフレーズをパクっておきながら、まったく俺のことを尊敬していない。インタビューで俺の名前を出さない。」などとマイケルを名指しで批判したという事件である。
まあ、ジャズミュージシャンも人間だし、そのぐらいのことを言う人間がいてもおかしくはないわけで、それ自体は「この人、そんなこと言うんだ」ぐらいの感覚だが、問題は相手がマイケルー自己肯定感が低く、自虐的で、周りの人間をことごとく尊敬し、特にジョーヘンについては相当研究してたであろう人間ーであったということだ。実際、マイケルのプレイ、特に70年代後半のアコースティックなセッティングではいろいろな意味でジョーヘンの影響が感じられる。
というわけで、生来生真面目なマイケル、相当悩んでしまったらしい。本件、日本にいた我々には知る由もないが。その後のレコーディングでは「ジョーイズム(ジョー・ヘンダーソンっぽいプレイ)」を極力排除するようにしたり、一方自身のインタビューでは必ず尊敬するミュージシャンとしてジョーヘンの名前を挙げたり、とプレイや行動の面でも影響があったようだ。さらに、おそらくは本件の影響もあって、しばらくアコースティックな演奏を離れ、ブレッカーブラザーズを再結成してEWIを含むエレクトリック方面に専念することになる。というわけで、ポールサイモンツアー前のレギュラーバンドの流れはここで一度途絶えてしまう。

さて、ここからは評伝に書いていない話。批判記事が出た1992年前後、ジョーヘンが何をやっていたのかを思い出していたのだが、実は前年1991年の夏に、マイケルの朋友ドン・グロルニックのリーダーバンドで、マイケルの実兄ランディ、およびやはりSTEPS等で仲良しだったエディ・ゴメスと欧州ツアーをしている(自慢だが、このバンドオランダで生で観たw)。映像もいくつかあるが、例えばこれ。マイケルの初リーダー作に入ってる曲ですな。

というわけで、このバンドのジョーヘンは、ポールサイモンツアーで忙しいマイケルの代役ともとらえることができるわけで、それが気に入らなかったのかもしれないw さらに言えば、ドン・グロルニックやランディブレッカーがご機嫌取りで「最近マイケルの野郎、調子に乗ってジャズやらずにガツガツ稼いでるんで、一発ガツンと言ってやってくださいな、兄貴」とか言って焚きつけてたりしてw。
さて、ジョーヘンだが、どうも自分がジャズ業界で正当に評価されていないという思いからの発言だったらしい。しかし、たまたま同年Verve からリリースしたアルバム「Lush Life」がジャズジャーナリズムから絶賛され、その後、晩年は「最後のジャズの巨人」的な扱いを受けてそれなりにハッピーに過ごすことになる。結果、ご当人はすっかり舌禍事件を忘れちゃったとか。まあ、ジャズマンらしい話ではある。

7.2 ブレッカーブラザーズ再結成

というわけで、ポールサイモンツアー終了後、マイケルは自分のバンドを再開せず、兄ランディとの双頭バンドを再結成する。このバンドでは、1992年から1995年にわたってアルバムを二枚リリースし、世界中をツアーすることになるが、私も再結成のニュースを聞いたときはさすがに盛り上がって、ブルーノート東京にライブを観に行った。その後、ニューヨークのボトムラインと、五反田のゆうぽうとの計三回ライブを観ている(自慢)。本稿においてはあまり詳しくは書かないが、今から考えると、70年代後半から始まったテクニカルフュージョン音楽、最後の打ち上げ花火みたいなバンドだったなあと改めて思うわけです。

評伝ではこのバンドの面白いエピソードてんこ盛りな訳だが、私が好きなエピソードをひとつだけ。キーボードのジョージ・ホイッティの発言です。この期に及んでまだブラザーコンプレックス丸出しのマイケルがちょっと可愛い。

マイケルは、たったひとりの聴衆に向けて曲を書いていると言っていた。そしてそのひとりというのがランディなんだ。(中略)。マイケルは、ランディに曲を気に入ってもらいたかったんだ。だから、あまりに普通だったり、シンプルすぎたりするとダメだ。ねじれがないとね。」
ジョージ・ホイッティ

マイケル・ブレッカー伝より

この映像は多分私が観に行った日の五反田ゆうぽうとでのライブ(日本でDVDで発売されたもの)。ドラムが初期のデニス・チェンバースから、ロドニー・ホルムズに替わっているが、タイトで派手なプレイは変わらず。

7.3 Infinity/ McCoy Tynerを聴いて
マイケルにとっての意義

ようやく本題。
このアルバムは、当時すでに生きる伝説だったマッコイ・タイナーのアルバムに客演するという企画である。
評伝によれば、この二人が初めて共演したのは1994年1月、オークランドのジャズ・クラブ Yoshi'sだった。当時、Yoshi'sは経営年に陥っており、もともとブッキングされていたマッコイの二週間のギグの最初の週を盛り上げるために、若いブッキングマネージャーが思い付きでマイケルを呼んだ、ということらしい。思い付きでマイケルを呼んじゃうのも凄いが、たまたまマイケルのスケジュールが一週間空いていたというのも凄い。さらに凄いのが、マイケルのゲスト参加を持ち掛けられたマッコイの反応が「彼(マイケル)のことはよく知らないんだ。ちょっと気が乗らないな」みたいな感じだったということ。ジャズフェスとかで顔を合わせていたんじゃないかとは思われるのだが、同じジャズ業界でもセグメントとか活動範囲とかが違うということなのかもしれない。結局ブッキングマネージャーが拝み倒して、共演が実現することになる。
マイケルの方は、当然自分の音楽の原点ともいえるバンド(コルトレーンカルテット)の伝説的プレイヤーとの演奏ということで、大喜びで、といいつつ緊張して本番を迎え、結果として演奏も興行も大成功でYoshi'sは店を経営難から立ち直ったという。
その共演で意気投合して、マッコイがマイケルを自身のトリオに呼んで録音したのが今回のアルバムである。マイケルは全9曲中7曲で客演している。当時話題になったのは当然、コルトレーンの "Impressions"の再現であり、マイケルはその曲でグラミーの最優秀ジャズインストゥルメンタルパフォーマンス賞を受賞することになる。
さて、肝心の演奏だが、まあ、想像の域を超えないというか、上に書いた通り可もなく不可もなく、というところだろうか(私見)。本物のコルトレーンカルテットに比べるとやはり勢いも緊張感もいまいちだし、マイケルのソロという意味でも、Stepsのライブや、自己のイケイケリーダーバンドでみせた異常な集中力みたいなものはあまり感じられない。いや、凄いんだけど、私は他の曲も含めてちょっと物足りなかった。マイケルフリークの皆様もきっとそうなじゃないかな。
しかし、今になって改めて考えてみると、このアルバム、「あの」大巨匠マッコイがゲスト起用して、しかもImpressionsをやらせたということで、古いジャズジャーナリズムがマイケルをジャズシーンの中心人物として正しく評価するきっかけになったのではないだろうか。マイケルはそれまでもハービーハンコックとかチックコリアとかのレジェンドとアコースティックなジャズのフォーマットで共演していたが、所詮、ハービーはロックイットバンドとかでヒップホップに魂売ってたやつだしwチックはエレクトリックバンドで長髪の白人ドラムと一緒になってショルダーキーボード振り回すやつだしw、ジャズジャーナリズムにとってのメインストリームではなかったのだろう。結果、マイケル当人にとってはジョーヘン事件から立ち直ってアコースティックなジャズへ回帰するためのトリガーになったアルバムだったと言えるかもしれない。
ちなみに、その後、マイケルは久しぶりのリーダー作"Tales From the Hudson"でお返しにマッコイを呼んで、2曲客演してもらっている。音楽的な出来という意味ではこちらの方が好きです。
さて、"Infinity"のバンドは、1996年にヨーロッパツアーをしており、その際の映像がいくつか残っている。例えばこれのImpressions(45分ぐらいから)なんか凄いね。マッコイの顔が怖すぎるがw 

7.4 おまけ:マイケルとジョーヘン

マイケルとジョーヘンの競演というと日本でのこれが思い出されます。

私がジョーヘンの存在を知ったのはこのイベントだった。今考えると、このステージに乗っているミュージシャンの中では一番の大物だったはずだが、ジョーヘン自身が「暗黒期」だったからかw ほとんどフューチャーされず、妙に不当な扱いを受けていたような覚えがある。横浜スタジアムのステージでは、屋外なのに渋いバラードの"Good morning heartach"をやらされたうえ、その時テレビのヘリコプターが飛んできて音が聞こえなかったとかw
この来日の時の雑誌のインタビューで、マイケルが「よく聴いて学んでいた敬愛するジョー・ヘンダーソンと一緒のステージに立てて光栄」みたいなことを言っていたので、私も興味をもって"Inner Urge"買ってみたりしました。 ちゃんとジョーヘンのこと尊敬して喋ってたのにね。

次に、マイケルへの影響という意味では、ジョーヘンの名盤・名演で必ず出てくる思われるこのアルバムのこのブルースが思い出されます。

私は初めて聴いたとき八分音符とかフラジオとかホゲホゲフレーズとか「すげえ!マイケルみたいじゃん!」とか思ったものですw 当然実態は逆で、おそらくマイケルはこのアルバムとか散々コピーして研究していたと思われます。当人の言質があるわけではないが、きっとそうだ。

というわけで、今回はここまで。本記事のマガジンはこちらから。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?