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ブレッカーの音楽は完結しない Pilgrimage/ Michael Brecker

この文章は、マイケルが亡くなった後、遺作 "Pilgrimage" がリリースされて一カ月ほどの、2007年05月27日に書いたものです。当時の私の心境が現れているので、サルベージしておきます。まだiPhoneがない時代で、iPodで聴いていたようです。
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ブレッカーの遺作” Pilgrimage“は当然発売と同時に買っていた。が、若いころほど集中して音楽を聴くということがなく、酔っ払って帰って聴いて途中で寝てしまったり、先日日立に行く車の中で、しかも前が見えないほどの大雨の高速道路などという条件下で聴いたりと、じっくりと聴けていなかった。

そもそも、あまりオールスターセッションというのは好きでもなく、一聴した感じも、"Tales From The Hudson"  あたりから繋がるアコースティック路線みたいで、"Quindectet"  みたいな斬新性もなさそうな印象だった。もしかすると、内心、遺作ということを過度に意識しないように努めていたのかもしれない。

ところが先日、朝の通勤電車の中、iPodで何気なく最終曲の”Pilgrimage”を聴いてヤラれてしまった。これぞコンテンポラリーな、今の、あるいは近未来のJazzだなあと。バンド全体の音の感じ(エレピなので意表をつかれたのかな)とか、なんか解決するようなしないようなクルクル回ってる感じのコードとか、ビートとか。で、突然EWIのソロが出てきたところでトドメ。こうくるかと。

で、次に、あんまり意識せずに、これライブでやったらどうなるかなあと考えてしまった。例えば、メンバーはクラレンス・ペンとクリス・ミン・ドーキーとアダム・ロジャースと…キーボードはジョーイかな、ちょっと違うかなとか、ソロはやっぱりテナーでやるのかなとか、最後のところは相当盛り上がるんだろうなあとか…。

そう考えた後で、「そういえば、それってもうあり得ないんだなあ」と思いあたり、愕然としてしまった。

一般に、Jazzという音楽はCDに固められた状態では完結しない。ある意味そこから始まるといってもいいかもしれない。プレイヤーも、ライブで再現、発展させることを考えているだろうし(当然CDのテイクとしては完成されたものを目指すが)、ファンも、CDの音楽が、ライブで状況やメンバーが違う中でどのように変わっていくのかを期待して見に行く。

その意味で、ライブでの発展や変化が一番期待できそうなこのタイトル曲 ”Pilgrimage” を遺作の最後に持ってくると言うのは、罪なプロデュースだなあと思ってしまうのであった。選曲や順番には当然プロデューサーであるギル・ゴールドスタインやメセニー、スティーブ・ロドビーの意向があるんだろうが、当人の考えはどこまで入っているのか気になるところだ。もし、当人の意向があったのだとすれば、復活への強い意志の表明に思われ、聴いているほうとしてはなおさらつらくならざるを得ない。合掌。

本編はこちらから。



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