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音楽との出会いと「いいかねPalette」という歪な空間

いいかねPaletteの「あいうえお」

「音楽の力を信じる」
この言葉は、僕が10年やっていた学習塾を閉じ、有田焼の制作・PMやテニスコーチなど全ての仕事を辞めて、音楽に全振りするキッカケ(呪い)を与えてくれた福岡県田川市の廃校利活用施設「いいかねPalette」の事務局の黒板に書いてあった言葉です。「あ」は、挨拶をする。「う」は、嘘をつかない。そして「お」の部分に書いてあったのが、この「音楽の力を信じる」という言葉でした。

元々この施設に行った理由は、当時ハマっていた「コテンラジオ」という歴史を楽しく学ぶPodcastが生まれた場所、かつ、収録の場所という理由で、この施設のことも何も知らなかったし、ましてや音楽をやるなんてことを全く想定してなかったし、籠もって読書するために50冊ほど本を持ち込み1ヶ月程度短期滞在する予定でした。

いいかねPaletteという施設は、廃校になった猪位金(いいかね)小学校をリノベーションして町起こしの拠点として運営されている施設なんですが、当時はこんなふうにエントランスにセッションスペースはあるし、音楽スタジオや本格的にレコーディングができる部屋があって、しかも、宿泊もできるし、住んでいる人も20人くらいいるという不思議な場所でした。

2021年4月当時のいいかねPaletteのエントランスの様子

中学校からYOSHIKIさんの影響でピアノを始め、中高バンドをやってた僕が、こういう環境で音楽を避けて通ることはできず、自然な流れで楽器に触れたり、エントランスで歌ったりするようになっていました。

そんなある日、この施設に住んでいる長期滞在の人の中でギター初心者の人たちが深夜にスタジオ練習をするということで、夜中の2時にスタジオへ向かいました。ドアを開けると既に一人がドラムを叩いてて、もう一人がギターを弾いて「Stand by me」を合わせて練習していました。そこに参加したい!だけどギターでは入れない… あ!エントランスにベースあるやん!と思いベースを持って来てYoutubeでフレーズ調べて、とかそうこうしていたら、他の長期滞在の2名が遊びに来て、携帯片手に歌ってくれるということで、5人で「Stand by me」をワンコーラス合わせました。

夜中のスタジオで「Stand by me」を合わせて満面の笑みを浮かべる5人

たった数分だったんですが、十数年ぶりに大きな音を出して、それがめちゃくちゃ楽しくて、何かわかんないですが心をぐわっと鷲掴みにされて感動してしまったんです。音楽って感動までの距離が短いなって。こんなものがあったんだなって。高校卒業以降、バンドや音楽から離れていろんなことを経験したからこそ感じることができたことでした。

短期滞在が終わったにも関わらず、僕はこの施設に足を運ぶことを止めることができず、ついには長期滞在者として、佐賀と田川の2拠点生活をすることになります。「どういうこと?」と何度振り返ってもツッコミどころしかないのですが、それほどまでにこの施設が持つ魅力とそこに集まる人たちのエネルギーが持つ強い引力に抗うことはできませんでした。

起爆剤としての「いいかねPalette軽音部」発足

このいいかねPaletteという施設は、株式会社BOOKという会社が運営していて、現在は会長であり象徴的な存在の樋口聖典さんなんですが、当時は社長で会社の経営もされていました。今は青柳考哉さんが代表として会社経営、施設運営もされています。

左から樋口さん、考哉さん。初めてご飯を食べに行った今はなき定食屋さんにて

そんな樋口さんから、今度、軽音部を作ってイベントをやろうと思ってるから立ち上げを手伝って欲しいと声を掛けてもらいました。軽い気持ちで快諾したのですが、これがまぁ恐ろしく大変でした。当時、佐賀県有田町で8時から17時まで有田焼の会社で働き、その後自分の学習塾を22時くらいまでやって、その後にこの軽音部のプロジェクトの準備、ベースの練習をして3時とか4時に寝て、次の日の朝7時に起きるという生活を送っていました。イベント初回ということもあり、全てがゼロからの準備で、かつ、たたき台を作る作業のほとんどを何故か一人でやっていました笑 なんでだ笑 イベントの内容としては1泊2日の合宿で、初日に即席でバンドを組んで課題曲2曲がランダムに割り振られ、次の日にはライブをするというドSな内容で、運営も大変だったし、ブランクがあってベースの演奏も大変だったし、大変な思い出しかありません。ただそれに比例して喜び、感動も大きく、きっと僕が参加者の中で一番感動したんじゃないかな、と思ってます。

合宿2日目オープニングアクト。ボーカルは樋口さんの弟子だったマサさん。
楽器初心者の人たちが寝る間を惜しんで仕上げたライブ演奏

その翌年も幹事としてイベントの運営をされていただき、またしてもヤバいくらい感動してしまい、もういよいよ、これは音楽をやらない人生は送れないという思いがフツフツと湧き上がり、その思いに抗えなくなっていました。

多動で落ち着きがなく、ブレブレで軸がなくてもいい

母から何度も聞かされている話があるんですが、幼少期の頃に母が働く病院で迷子になったらしいんです。そして、発見された場所がトイレの用具入れのシンク。僕は全く記憶にないんですが、そこで全裸で水浴びをしていたらしく、母はこのときに「この子は…」と覚悟をしたそうです。

こんなところで全裸で水浴びをしていたらしい幼少期の僕

そんな僕なので、保育園、小中高、大学も中退し、その後も落ち着くことはなく、仕事もIT、飲食、販売、友達と起業みたいなことしたり、高級キャバクラのボーイ、スタートアップの営業、帰省してからは佐世保の米軍基地で働いたり、塾始めて、テニスにハマってバルセロナ留学してテニスコーチもやってと、好奇心の赴くままにいろんなことをやってきました。軸がないと言われることも多々あり、それに悩んでいた時期もありました。

いいかねPaletteで音楽と出会って、その音楽が人生を全振りするに値するものだと直感で感じたんですが、こちとらそういう自分と数十年付き合ってる訳でして、増して学習塾を10年やってて子どもたちの教育を途中で投げ出す訳にもいかないし、音楽やるって樋口さんに相談したのにやっぱり辞めますとか二転三転して迷惑かける訳にもいかないと感じていました。

それまでは、結構赴くままに自分の好きなことをやっていたのですが、この頃から(ようやく)自分の直感に対して、まずは半信半疑で疑って、時間を置いて、その熱が冷めないかを観察する。自分という人間の特質に目が向くようになったのは、間違いなくコテンラジオのお陰だと思います。感謝です。

多動、落ち着きがない、ブレブレ、軸がない等々揶揄されたこともありましたが、今思うことは、僕は「これだ」と思えるギターに出会うまでに40年かかったということです。本当にやりたいことを見つけるまでに僕には40年の歳月が必要だったし、それまで紆余曲折があったという、ただそれだけなんです。

僕が大好きなアップルの創業者のスティーブ・ジョブズがスタンフォードの卒業式で話した中にこういう一節があります。

「Sometimes life hits you in the head with a brick. Don’t lose faith. I’m convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did. You’ve got to find what you love. And that is as true for your work as it is for your lovers. Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work. And the only way to do great work is to love what you do. If you haven’t found it yet, keep looking. Don’t settle. As with all matters of the heart, you’ll know when you find it. And, like any great relationship, it just gets better and better as the years roll on. So keep looking until you find it. Don’t settle.」

Steve Jobs スタンフォード大学での有名なスピーチ「Stay Hungry, Stay Foolish」
引用 https://news.stanford.edu

長いので要約すると、自分の好きなことを見つけるまで落ち着くなってことなんですが、大学生時代にこのスピーチに感銘を受け、このスピーチが僕の行動指針になっていました。特にこの「Don't settle.」という落ち着くな、安定するな、って言葉が刺さったことは言うまでもありません。

歪さが交差する不思議な空間

結局、音楽に全振りしたい気持ちは止むどころか大きく確固たるものになり、樋口さんに相談し、上京を勧められ、それから半年くらい経った2022年7月に上京することになります。この施設を初めて訪れてから約1年が過ぎていました。

この施設は、冒頭に上げたコテンラジオが生まれた聖地ということ、田川(筑豊)という九州でもガラが悪くて有名な土地柄、福岡空港から1時間強くらいの微妙な位置、かつ、特段の観光名所もないので、動機を持ってワザワザ足を運ばないと来ないという、ある意味フィルターがかかっているので、いわゆる「変な」人が結果的に集まる印象です(褒め言葉です!)。

仕事を辞めた失業者、失業者予備軍、ニート、社会不適合者等々、まぁ僕もその一人なんですが、そんな場所だからこそ、想定もしない出会いや化学反応があり、セレンディピティが生まれ、田舎で時間がゆっくり流れてるからそれを醸成する期間が担保でき、周りが田んぼで囲まれてて何もないのでそれに集中できる環境もある。歪だからこそ特異で創造的な空間が形成されている、そんな施設が、この「いいかねPalette」だと思います。

だからこそ、読書という勉強をしに来たはずが、こうやって音楽に全振りして上京するという人間を生み出したんだと思います。

いいかねPalette卒業の日に撮ったエントランスの写真

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